会席料理
かいせきりょうり
日本料理の形式の一つ。俳席料理が本来の名称で、そのおこりは江戸の初期俳諧(はいかい)の祖ともいえる松永貞徳(ていとく)の門人山本西武(さいむ)が、京都二条寺町の妙満寺で百韻興行を催したとき(1629)に始まるという。この席に酒食を出して、俳席に出席した人たちが会食し、それを俳席料理といったのである。俳席のことだから料理は簡素であるが礼儀正しく、酒は会の終わりに少量出していた。それがしだいに崩れ、俳諧のほうも百韻から簡易化した歌仙(36句)になり、俳諧の行事が終わらないうちに、杯(さかずき)を交わし歌をうたうといった酒食本位の俳席が延宝(えんぽう)年間(1673~81)に始まった。俳席料理は宴会本位の会食になり、いつしか会席料理というようになった。1771年(明和8)には料理屋が江戸・深川八幡(はちまん)近くにでき、各所に続出するに至って、料理屋料理として急速に進展し、内容も一段と複雑になり高級化した宴会料理となった。会席料理は西洋料理のディナーと同じで、一つの型をもつ定食となったが、関東の会席料理では、口取りのグループに属する料理は折詰めにして持ち帰る方式をとった。昭和の初めからは、関西式の、出た料理をその場で食べる食切(くいきり)料理の形態となってきた。
なお会席料理の由来については、このほか、懐石(かいせき)からきたもの、すなわち、茶会の席上の料理の意としてあてたものとする説、また本膳(ほんぜん)料理を簡略にしたものとする説などがある。
[多田鉄之助]
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会席料理
かいせきりょうり
日本料理の一形式。江戸時代に俳諧の会席で供した料理から出たもので,宴会向き供膳料理である。膳は足のない会席膳を用いる。初めに,杯,刺身,汁などをつけて配膳し,次に他の料理をすすめる。酒と料理が終ってから,味噌汁と香の物で飯を供するのが普通である。料理の内容は,吸い物 (澄まし仕立て) ,刺身,口取り,鉢肴 (焼き物,揚げ物など) ,うま煮,酢の物または和え物,止め椀 (味噌汁) の7品が普通であった。最近は,お通し,突き出しといって酒の肴に適するものを1口ぐらいの量で二,三品出すことが多くなり,口取りが省かれる場合もある。また西洋料理,中国料理の手法も加わり,形式にはあまりこだわらなくなってきている。
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かいせきりょうり【会席料理】
酒宴に出される上等な料理。献立の構成はそれほど厳密ではないが、一般的には、まず先付け・前菜などの酒の肴(さかな)があり、次に椀物(吸い物が多い)・向こう付け(刺身が多い)・焼き物・煮物の一汁三菜を基本に、場合によっては八寸・揚げ物・蒸し物・酢の物などの料理がいくつかあって、最後に飯・止め椀(みそ汁が多い)・香の物が出て、水菓子(果物)や甘味で終わる。◇もとは会席(連歌または俳諧の席)に出された、本膳料理を簡略化した料理とされる。
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かいせき‐りょうり クヮイセキレウリ【会席料理】
〘名〙
② 一品ずつ皿に盛って会席膳を用いて出す上等な料理。本膳料理を簡略にしたもの。会席。〔
随筆・
守貞漫稿(1837‐53)〕
※断腸亭日乗〈永井荷風〉昭和一五年(1940)八月二四日「二ノ膳付の会席料理は其跡を断つことになるなり」
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会席料理【かいせきりょうり】
宴席に供せられる日本料理の通称。江戸時代に連歌や俳諧(はいかい)の会席で供した料理からきたもので,献立に一定のきまりはないが,懐石のくずれた形が多い。最初から酒を供し,飲みながら食べるという,日本料理の代表的な形式となっている。
→関連項目日本料理
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かいせき‐りょうり〔クワイセキレウリ〕【会席料理】
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かいせきりょうり【会席料理】
江戸中期以後民間で行われるようになった食事形式。会席の語は茶の湯,連歌などの寄合いの場の意であるが,そうした集会,さらには茶の湯の席で供される食事をさすこともある。現在のような会席料理が始まった時期について,《続飛鳥川》(1810ころ?)は安永(1772‐81)の末とし,《武江年表》(1849‐50)は享和年間(1801‐04)としている。《守貞漫稿》によると,天保(1830‐44)初年ごろから会席料理がはやったというが,それ以前の文政7年(1824)刊の《江戸買物独案内》を見ると両国薬研堀(やげんぼり)の川口忠七,下谷大恩寺前の駐春亭,向島の平岩,真崎(まつさき)の甲子屋ほか多くの店が会席料理を称している。
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世界大百科事典内の会席料理の言及
【懐石】より
…茶の湯の席で,茶事の一部として饗される食事。懐石(会席)料理ともいう。これは式正(しきしよう)の本膳料理に対応する表現でもある。 懐石の名は,石を焼いて布に包み,これを懐に入れて暖をとったことに由来し,温石で腹を暖める程度に腹中を暖めるということから,軽い食事という意味が生じた。〈懐石は禅林にて菜石と云に同じ,温石を懐にして懐中を温めるまでのことなり〉(《南方(なんぼう)録》)とあり,これが茶の湯の解である。…
【日本料理】より
…武野紹鷗(じようおう),千利休によってわび茶にふさわしく簡素化された懐石は,煩雑,過剰な本膳形式に対する批判と反省のうえに成立したといえるだろう。こうして江戸時代にはさらに自由で気楽に楽しむ宴会形式の欲求から会席料理がおこり,これが懐石とともに日本料理の主流を占めるようになった。ほかに,江戸時代には中国の民間料理と僧院料理が伝えられ,前者は卓袱(しつぽく)料理,後者は普茶料理としていまも行われている。…
【袱紗料理】より
…伊勢貞丈の《貞丈雑記》が〈本式にあらざる物にはふくさと云事を付ていふなり〉といっているように,略式のものを呼ぶのに〈ふくさ〉を冠したことによる呼称である。やがて酒と料理を楽しもうという時代の要請にこたえた会席料理へと発展して,現在の日本料理の中核を形づくるようになった。本膳料理【鈴木 晋一】。…
【料理茶屋】より
…とくに八百善は,大田南畝の狂歌に〈詩は五山,書は鵬斎に狂歌われ,芸者おかつに料理八百善〉とあるように,江戸第一の料理茶屋とされた。会席料理が流行し始めたのもこのころからで,1824年(文政7)刊の《江戸買物独案内》を見ると,〈御料理〉を看板とする約70店の1/4あまりが〈会席〉を称している。 京都では円山の左阿弥,文阿弥など時衆の寺院から茶屋に転じたところや,祇園社門前の二軒茶屋あるいは三条,四条へんの高瀬川沿いに多くあった〈生洲(いけす)〉と呼ぶ川魚料理主体の店などが知られていた。…
※「会席料理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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