会津若松(市)(読み)あいづわかまつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「会津若松(市)」の意味・わかりやすい解説

会津若松(市)
あいづわかまつ

福島県西部にある市。県のほぼ西半分にあたる会津地方の中心都市。1889年(明治22)市町村制施行令により82町を1町として若松町となり、1899年市制施行。1951年(昭和26)町北(まちきた)村を合併、1955年湊(みなと)、一箕(いっき)、高野(こうや)、神指(こうざし)、門田(もんでん)、大戸(おおと)、東山(ひがしやま)の7村を編入して会津若松市と改称した。2004年(平成16)北会津郡北会津村、2005年河東町(かわひがしまち)を編入。市域の東部に猪苗代湖(いなわしろこ)があり、湖南西部に小平地が点在するが、山地が多い。西部には阿賀(あが)川(大川)が流れ、その東の吹矢(ふきや)山断層崖(がい)下までの間は平地が広がり、北西部は阿賀川と鶴沼(つるぬま)川(宮川)間の氾濫原(はんらんげん)となっている。気候は日本海岸式で、雪が多く、山地では積雪2メートルを超える。JR磐越西線(ばんえつさいせん)が通じ、JR只見線(ただみせん)、会津鉄道は会津若松を起点にしている。国道49号、118号、121号、252号、294号、401号が通じ、バス路線が会津地方に延びている。また磐越自動車道の会津若松と磐梯(ばんだい)河東の2インターチェンジがある。

[安田初雄]

歴史

中心の若松は、1384年(元中1・至徳1)蘆名直盛(あしななおもり)が小高木(おたかき)(小田垣)に東黒川館を築いたのに始まる。当時城下は黒川とよばれた。黒川の地名は、東山から流れる湯川(ゆがわ)の古名である。直盛に従ってきた簗田(やなだ)氏は商人司(つかさ)として定期市など領内の商工業の統制にあたった。一時期伊達政宗(だてまさむね)の支配下にあったが、1590年(天正18)蒲生氏郷(がもううじさと)がこの地に封ぜられた。氏郷は旧領の近江(おうみ)国(滋賀県)蒲生郡若松の森にちなんで城下を若松とした。1592年(文禄1)には城郭を改修し、町割を整備した。城下には近江から従ってきた商人たちが日野町(後の甲賀町(こうかまち))をつくり、その東に新町を設けた。蒲生氏のあと上杉、加藤、保科(ほしな)の諸氏が入部し、城下も大きく発展した。幕末には保科氏の子孫、松平氏の支配下にあった。松平氏は戊辰(ぼしん)戦争に敗れ、城下も兵火にあったが、町人町はやがて復興した。

 1869年(明治2)若松県が置かれ、1876年に福島県に統合された。城下の町並みは、もと上(うわ)町、下(した)町、南町などの町屋が若松城付近の郭内(侍屋敷)を囲んでいた。城を囲む囲郭は明治初年に除去された。郭内には市役所をはじめおもな役所、学校が集まる。神明通りから会津若松駅に抜ける新道が開かれるなど、町並みの一部は変わったが、城跡や城下を囲む寺院などは旧態を残している。1899年(明治32)に私営の岩越鉄道(がんえつてつどう)(現、JR磐越西線)が郡山(こおりやま)から若松まで開通、1914年(大正3)には新潟県新津(にいつ)まで全通した。

[安田初雄]

産業

中心市街の商業で特色があるのは漆器製造、酒造業などである。漆器は蘆名時代からのウルシ栽培に関係があり、蒲生氏は近江から木地師(きじし)を連れてきて製法を伝えた。ウルシはもともと蝋(ろう)をとる目的で栽培され、近世の会津は米と蝋で知られた。蝋漆の保護制度は明治以降なくなり絵ろうそくとして名残(なごり)をとどめるが、漆器製造は輸入の漆や化学塗料を使って会津塗の伝統を守っている。旧市街の南西に漆器工業団地がある。近郊は広い水田地帯で会津米を産出するほか、会津身不知柿(みしらずがき)、チョウセンニンジンの特産がある。阿賀川の旧河床(鶴沼川沿岸)は江戸時代に開発された新田で水田単作地帯だが、近郊農業としてトマト、キュウリなどの野菜、花卉(かき)、果樹栽培を行う。近年、電子機器関連の企業の立地が進み、1993年にはコンピュータ理工学部をもつ県立会津大学が開校した。

[安田初雄]

史跡・名勝・観光

若松城(鶴ヶ城)跡、旧滝沢本陣、大塚山古墳、会津藩主松平家墓所は国の史跡。会津松平氏庭園(御薬園(おやくえん))は国の名勝、赤井谷地の湿原(赤井谷地沼野植物群落)と高瀬の大木(ケヤキ)は国の天然記念物に指定されている。白虎(びゃっこ)隊の自刃地飯盛山(いいもりやま)も参拝客が絶えない。白虎隊記念館、白虎伝承史学館がつくられている。飯盛山山麓(ろく)の旧正宗寺三匝(さんそう)堂(1796年建造)は西国三十三所観音(さいごくさんじゅうさんしょかんのん)を祀(まつ)り、その巡拝のための階段が螺旋(らせん)状になっており、「さざえ堂」とよばれ国指定重要文化財。旧滝沢本陣横山家住宅、金銅双竜双鳥文磬(金剛寺蔵)、大塚山古墳出土品、河東地区にある延命寺地蔵堂、八葉寺(はちようじ)阿弥陀(あみだ)堂なども国の重要文化財。若松城天守閣は郷土博物館となっており、ほかに福島県立博物館、復原した会津藩家老西郷頼母(さいごうたのも)邸を中心とする会津武家屋敷、河東地区の会津村や復原した会津藩校日新館などがある。猪苗代湖は磐梯朝日(ばんだいあさひ)国立公園域。市域内に東山温泉、芦ノ牧温泉(あしのまきおんせん)がある。郷土玩具の赤べこは有名。面積382.97平方キロメートル(一部境界未定)、人口11万7376(2020)。

[安田初雄]

『高橋富雄・豊田武著『会津の歴史』(1969・会津若松市出版会)』『会津若松史出版委員会編『会津若松史』全12巻(1981・国書刊行会)』『『会津若松市史』全25巻(1999~2009・会津若松市)』


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