南相馬(市)(読み)みなみそうま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南相馬(市)」の意味・わかりやすい解説

南相馬(市)
みなみそうま

福島県浜通り北部にある市。2006年(平成18)原町市(はらまちし)、相馬郡小高町(おだかまち)、鹿島町(かしままち)が合併して成立。合併後はそれぞれ原町区、小高区、鹿島区となっている。西部は阿武隈(あぶくま)高地の山間地で、東に向かって平坦になり、やがて太平洋に面する。真野(まの)川、新田(にいた)川、太田川、小高川などが東流して太平洋に注ぐ。JR常磐(じょうばん)線と国道6号(旧、陸前(りくぜん)浜街道)が併行して南北に走る。源頼朝の奥州攻めで戦功をあげた相馬師常(もろつね)(1139―1205。相馬氏の祖)がこの地方を賜わり、以来明治維新まで、相馬氏(江戸時代は相馬中村藩)の支配下に置かれた。原町、小高、鹿島とも、江戸時代は陸前浜街道宿場町であった。

 原町区には相馬中村藩の陣屋が置かれた。現在も南相馬市役所の所在地となっている。市街地周辺には電気、精密機器、食品などの工場が集まり、海岸部には原町火力発電所がある。農業は米作、施設園芸などで、新田川ではサケ漁も行われる。小高区には小高城(浮舟城)が築かれ、長い間相馬氏の拠点となっていた。米作が中心で、かつては養蚕も盛んであった。鹿島区には真野古墳群(国指定史跡)をはじめ古墳時代の遺跡が多い。農業は米作中心で、畜産漁業も行われる。

 旧武山家住宅、阿弥陀(あみだ)寺の刺繍(ししゅう)阿弥陀名号掛幅は国指定重要文化財。浦尻貝塚桜井古墳羽山横穴、慈徳寺の薬師堂石仏と観音堂石仏は国指定史跡。また、「相馬野馬追」は国指定重要無形民俗文化財となっている。面積398.58平方キロメートル、人口5万9005(2020)。

〔東日本大震災〕2011年の東日本大震災では死者1043人・行方不明111人、住家全壊2323棟・半壊2430棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。あわせて東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染によって小高区を中心とする市域南部や西部山間部が避難指示区域(のちに避難指示解除準備区域・居住制限区域・帰還困難区域に再編)となった。2016年7月に、帰還困難区域に指定された西部山間部の一部を除いて避難指示は解除され、2017年には仙台方面からの常磐線の運行も市内全域で再開されたが、2019年(令和1)6月30日時点で、市外避難者は5381人に上っている(南相馬市「避難の状況」)。2016年に原町区萱浜(かいばま)に福島ロボットテストフィールドの立地が決定したことから、市は「ロボットのまち南相馬」の推進を復興の中心事業の一つに位置づけ、復興事業に取り組んでいる。

[編集部]


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