品川(区)(読み)しながわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「品川(区)」の意味・わかりやすい解説

品川(区)
しながわ

東京都区部の南部にある区。1947年(昭和22)東部の旧品川区西部の旧荏原(えばら)区が合併して品川区と改称。西部から東部にかけて東急電鉄(東急)目黒線(旧、目蒲(めかま)線)・池上(いけがみ)線、都営地下鉄浅草線、JR東海道新幹線東海道本線(横須賀線)・京浜東北線、京浜急行電鉄(京急)、東京モノレールが通り、北部をJR山手(やまのて)線が走り、中央部を東急大井町線、東京臨海高速鉄道(りんかい線)が通る。道路も中原街道、第二京浜国道(国道1号)、第一京浜国道(国道15号)、首都高速道路1号羽田線・2号目黒線、同湾岸線、同中央環状線、国道357号と、東京と川崎・横浜を結ぶ南北方向の幹線が多い。

 西半部は洪積台地、東半部は沖積低地・埋立地からなり、北部を目黒川が台地を横切って東京湾に流れる。江戸時代は江戸の南郊の地で、街道筋を除けば近郊農村が広がっていた。そのなかで東海道筋の品川は、東海道五十三次の最初の宿場町として発展、北端御殿山(ごてんやま)は王子の飛鳥(あすか)山と並ぶ郊外のサクラの名所としてにぎわった。一方、南東端の鈴ヶ森は荒川区南千住(せんじゅ)の小塚原(こづかっぱら)とともに江戸時代の2刑場の一つで、人の少ない地域であったことを物語る。

 明治以後、目黒川、東京湾沿いの低地は、交通の便と地価の安いことから工業地区として発展を遂げた。北品川には官営工場で日本最初のガラス工場が立地した。現在は電気、一般機械、通信・精密機器など各種の機械工業が盛んで、大田区とともに京浜工業地帯の城南工業地区を形成している。一方、台地は住宅地として発展、東五反田(ごたんだ)の池田山、御殿山などは高級住宅地として知られる。JR目黒・五反田・大井町駅周辺および東急武蔵小山(むさしこやま)・戸越(とごし)銀座・荏原中延(えばらなかのぶ)駅周辺は住宅地区の中心商店街となっている。ほかにも京急北品川駅近くの旧東海道沿いや青物横丁駅周辺など、区内に多くの商店街が発達している。なお品川駅は北に接する港区域にある。

 山手線大崎駅東地区は1994~1998年(平成6~10)に副都心の一つとして再開発され、東西二つの高層タワービルを中心に、オフィス、商業施設、コミュニティ広場、現代美術館(O美術館)などの複合機能をもつ巨大建築物が集合する「ゲートシティ大崎」となっている。また、江戸時代の第四台場で、流通倉庫の集積地区となっていた東品川の臨海部は、1980年代後半から再開発計画が進められ、1992年東京モノレール新駅(天王洲(てんのうず)アイル駅)とホテルや商業施設などの複合ビル「シーフォートスクエア」が完成、以後巨大オフィスビルの建設が相次ぎ、劇場、多目的ホール、遊歩道、公園なども備えたビジネス地区「天王洲アイル」となり、東京臨海高速鉄道(2002年全線開通)が通じた。

 国指定史跡の大森貝塚は南の大田区に接する大井地区にあり、大森貝塚遺跡庭園として品川歴史館とともに整備された(1985)。豊町の戸越公園は細川氏の大名庭園。ほかに、しながわ水族館(1991年開館)、都立林試の森公園(一部は目黒区)、大井埠頭(ふとう)中央海浜公園、東京港対岸の東八潮に船の科学館がある。また、五反田の南にTOC卸売センター(旧、東京卸売センター)、埋立地に大井競馬場、東京貨物ターミナル、品川埠頭、大井埠頭(外貿コンテナ埠頭)などの施設や、清泉女子大学、立正大学、星薬科大学、昭和大学、杉野服飾大学などの教育機関もある。面積22.84平方キロメートル、人口42万2488(2020)。

[沢田 清]

『『品川区史 資料編』全3巻(1971・品川区)』『『品川区史 通史編』上下(1973、1974・品川区)』『『品川区史 続資料編』(1976・品川区)』


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