如法寺(読み)ねほうじ

日本歴史地名大系 「如法寺」の解説

如法寺
ねほうじ

[現在地名]豊前市山内

求菩提くぼて山の北東約八キロにある黄檗宗寺院。常在山と号し、本尊は如意輪観音求菩提山六峰の一つ。開山は「如法寺縁起」では行基、「求菩提山縁起」では行善と伝える。求菩提山普賢ふげん窟から出土した康治元年(一一四二)一〇月二一日銘をもつ国宝の銅板法華経(九州歴史資料館蔵)に「執筆僧厳尊」と刻まれている。厳尊は建保元年(一二一三)七月八日の彦山流記(高千穂家蔵/彦山編年史料古代中世編)に「如法寺住僧円城坊厳尊」とみえる人物で、経銘からは平安時代後期の当寺が求菩提山の写経所としての機能を担っていたことがわかる。当寺は宇都宮信房の開基(伽藍再興か)と伝える。


如法寺
によほうじ

[現在地名]西会津町野沢

野沢のざわの中心街から南方一キロほどの山腹にある。金剛山と号し、真言宗室生寺派。本尊は不動明王。当寺の諸縁起によれば、開創は大同元年(八〇六)あるいは同二年とも伝え、開基は徳一とも空海ともいう。元来は鳥追とりおい観音ともよばれる境内観音堂(薩山曜光堂)別当寺であった。野沢如法寺鳥追観音縁起(温故拾要抄)によると、同観音は天平二年(七三〇)行基が芹沼せりぬま村の老夫婦に授けたもので、老夫婦の死後阿賀川に身を投じたこの観音を大同二年空海が川から拾い上げたという。「異本塔寺長帳」によると、天治二年(一一二五)に当寺の再興がなり、また「会津旧事雑考」によれば、仁平元年(一一五一)炎上罹災したという。


如法寺
によほうじ

[現在地名]中野市大字中野

かもヶ岳山城の麓、字観音平かんのんだいらにある真言宗智山派の寺で、京都智積ちしやく院の直末。高嶺山無量寿院と号し、本尊は不動明王。永禄四年(一五六一)兵火を被り、元和九年(一六二三)再建したが、慶安元年(一六四八)頼尊によって中興されたと伝える。

平安時代中頃より弥勒仏の信仰に代わって阿弥陀仏浄土信仰が貴族社会に流行し、やがて中野牧の当地にも普及してきた。この頃、如法寺に薬蓮という沙弥の僧があり、妻と二人の子供をもって暮らしていた。


如法寺
によほうじ

[現在地名]長野市若穂綿内 春山

村の西南部春山はるやまじようみねの西麓にある。

曹洞宗永平寺派、富春山如法寺。創立天文七年(一五三八)開山英文、本寺南佐久郡内山村(現佐久市)正安寺。口碑に古くは保科村真言宗清水寺末という。


如法寺
によほうじ

[現在地名]大洲市柚木

大洲盆地の中央部ひじ川北岸の冨士とみす(三二〇メートル)の中腹にあり、大洲二代藩主加藤泰興が寛文九年(一六六九)盤珪永琢を開山として建立した寺院。臨済宗妙心寺派。富士山と号し、本尊は観世音菩薩。三ヘクタールの寺地は、戦国期の領主宇都宮豊房が真空妙応を開山として開基した古寺跡で、大洲の浮舟うきふねにあった盤珪の道場をこの地に移転して如法寺とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「如法寺」の解説

如法寺〔福島県〕

福島県耶麻郡西会津町にある真言宗の寺院。大同年間の創建と伝わる。境内の観音堂と本尊の聖観音像は「鳥追観音」と呼ばれ、寺も「鳥追観音如法寺」などと呼ばれることが多い。本堂、観音堂などは県の重要文化財指定

如法寺〔愛媛県〕

愛媛県大洲市にある臨済宗妙心寺派の寺院。1669年創立。1670年に建てられた仏殿は国の重要文化財に指定されている。

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