〈京都・山城寺院神社大事典〉
「一代要紀」に「延暦十三年甲戌、今年始造平野社見式」とあり、平安遷都の行われた延暦一三年(七九四)の創建。「貞観式」に「平野・久度・古開三神」とあるように、当初は三座を祀り、平野神は今木神と称される主神で、また平野神とは総称でもあった(本朝月令)。四神の神階にも差異があり、貞観五年(八六三)五月二日には久度・古開二神が正二位、相殿比神が従四位上へと進み、同六年七月一〇日に正二位だった今木神が正一位をおくられた(三代実録)。今木神は今来(新来)神の意で、百済系の人人が多数居住して今来郡とも称された大和国
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京都市北区平野宮本町に鎮座。今木(いまき)神,久度(くど)神,古開(ふるあき)神,比咩(ひめ)神をまつる。794年(延暦13)平安遷都により,それまで大和国各所に奉斎されていた今木神,久度神,古開神を遷座,それに比咩神を加え奉斎した社。祭神について諸説があるが,今木神は今来(新来)神であり,桓武天皇の母高野新笠(たかののにいがさ)(天高知日之子姫尊)の先祖百済国聖明王で,久度神はさらにその遠祖仇首(くど)王,古開神は古と開,すなわち始祖温祚王の兄である沸流(ふる)王と肖古王とのことで,桓武天皇外戚祖先にあたるその三神に比咩神をあわせ奉斎したとの説がいちばん妥当とみられる。遷座後,朝廷よりしばしば奉幣され,神階は859年(貞観1)今木神に従一位,久度神と古開神に従三位,比咩神に従四位下,863年久度神と古開神に正三位,比咩神に従四位上,864年今木神に正一位が授けられた。延喜の制で四神ともに名神大社,祈年・月次・新嘗の奉幣にあずかり,毎年4月と11月の上申日の平野祭には皇太子が参向,奉幣するのを定めとし,平安中期には二十二社の一つとされた。また平,源,高階,清原,中原,大江,菅原,秋篠氏などの氏神とされた。しかし,中世以降社運は衰え,江戸幕府は朱印領100石を寄せたのみとなった。旧官幣大社。社殿は特殊な比翼春日造,第一第二合殿が1626年(寛永3)の造営,第三第四合殿が32年の造営。例祭4月2日。ほかに1月1日斎火祭などがある。境内は桜の名所。
→平野祭
執筆者:鎌田 純一
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京都市北区平野宮本町に鎮座。祭神は第一殿に今木神(いまきのかみ)、第二殿に久度神(くどのかみ)、第三殿に古開神(ふるあきのかみ)、第四殿に比賣神(ひめのかみ)と、本殿二棟に別々に祀(まつ)られている。祭神はいずれも朝鮮の王にあたり、桓武(かんむ)天皇の外戚(がいせき)の神を祀ったものといわれている。平安京遷都により大和(やまと)(奈良県)から奉遷され、朝廷の尊信を受けた。『延喜式(えんぎしき)』の名神(みょうじん)大社で「平野祭神四社」と特殊な型で記され、平安中期には二十二社の一つにあげられ優遇された。円融(えんゆう)天皇の981年(天元4)初めて行幸があり、毎年4月、11月上申(かみのさる)日に行われる平野祭には、皇太子の奉幣や皇居における天皇の御禊(みそぎ)が修せられた。今木神は源氏、久度神・古開神は平氏・高階(たかしな)氏、比賣神は大枝氏の氏神として尊崇された。旧官幣大社。二棟四殿の本殿は春日比翼造(かすがひよくづくり)と称する特殊な形式をもつ。例祭4月2日。
[加藤隆久]
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… 平安初期の《新撰姓氏録》が示すように当時は有力氏族の系譜意識を反映して祖神を氏神とみなす傾向が強いが,平安末期から武家政権の時代にかけて氏神は機縁ないし地縁性の強い守護神を氏神とするようになった。安芸の厳島(いつくしま)神が平家の氏神となり,源氏が八幡神を氏神とするのが代表的な例だが,源平両氏はともに京都平野神社をも氏神としている。これはともに桓武天皇を始祖とするところから天皇の母高野皇太后の遠祖,百済聖明王を今木(いまき)神としてまつる平野社を氏神としたので,この点では祖神的氏神である。…
※「平野神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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