平野神社(読み)ヒラノジンジャ

デジタル大辞泉 「平野神社」の意味・読み・例文・類語

ひらの‐じんじゃ【平野神社】

京都市北区にある神社。旧官幣大社。祭神は今木神いまきのかみほか三神。もと大和にあったが、平安京遷都の際に遷座。本殿は重要文化財

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精選版 日本国語大辞典 「平野神社」の意味・読み・例文・類語

ひらの‐じんじゃ【平野神社】

  1. 京都市北区平野宮本町にある神社。旧官幣大社。祭神は今木(いまき)神、久度(くど)神、古開(ふるあき)神、姫神。いずれも渡来系の神で桓武天皇外戚祖神とも、また、今木神は源氏、久度神は平氏、古開神は高階氏、姫神は大枝(江)氏の氏神とされる。はじめ田村(平城京)後宮にまつられたが、平安遷都により現在地に移転。本殿は二殿ずつ横に結合し、比翼春日造、平野造と呼ばれる。

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日本歴史地名大系 「平野神社」の解説

平野神社
ひらのじんじや

[現在地名]北区平野宮本町

二条天皇にじようてんのう陵の東方にある。「延喜式」神名帳の葛野かどの郡に「平野ヒラノヽ祭神四社並名神大、月次新嘗」と載る式内社で、二十二社に列する(二十二社註式)。祭神は今木いまき久度くど古開ふるあきの三神および相殿比売ひめ神の四座。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創祀・祭神〕

「一代要紀」に「延暦十三年甲戌、今年始造平野社式」とあり、平安遷都の行われた延暦一三年(七九四)創建。「貞観式」に「平野・久度・古開三神」とあるように、当初は三座を祀り、平野神は今木神と称される主神で、また平野神とは総称でもあった(本朝月令)。四神の神階にも差異があり、貞観五年(八六三)五月二日には久度・古開二神が正二位、相殿比神が従四位上へと進み、同六年七月一〇日に正二位だった今木神が正一位をおくられた(三代実録)。今木神は今来(新来)神の意で、百済系の人人が多数居住して今来郡とも称された大和国高市たけち郡に祀られていた。「続日本紀」延暦元年一一月一九日条に「田村後宮今木大神叙従四位上」とあり、奈良時代の末田村(平城京)後宮に祀られているが、桓武天皇の生母高野新笠の祖神が祀られたものであろう。

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改訂新版 世界大百科事典 「平野神社」の意味・わかりやすい解説

平野神社 (ひらのじんじゃ)

京都市北区平野宮本町に鎮座。今木(いまき)神,久度(くど)神,古開(ふるあき)神,比咩(ひめ)神をまつる。794年(延暦13)平安遷都により,それまで大和国各所に奉斎されていた今木神,久度神,古開神を遷座,それに比咩神を加え奉斎した社。祭神について諸説があるが,今木神は今来(新来)神であり,桓武天皇の母高野新笠(たかののにいがさ)(天高知日之子姫尊)の先祖百済国聖明王で,久度神はさらにその遠祖仇首(くど)王,古開神は古と開,すなわち始祖温祚王の兄である沸流(ふる)王と肖古王とのことで,桓武天皇外戚祖先にあたるその三神に比咩神をあわせ奉斎したとの説がいちばん妥当とみられる。遷座後,朝廷よりしばしば奉幣され,神階は859年(貞観1)今木神に従一位,久度神と古開神に従三位,比咩神に従四位下,863年久度神と古開神に正三位,比咩神に従四位上,864年今木神に正一位が授けられた。延喜の制で四神ともに名神大社,祈年・月次・新嘗の奉幣にあずかり,毎年4月と11月の上申日の平野祭には皇太子が参向,奉幣するのを定めとし,平安中期には二十二社の一つとされた。また平,源,高階,清原,中原,大江,菅原,秋篠氏などの氏神とされた。しかし,中世以降社運は衰え,江戸幕府は朱印領100石を寄せたのみとなった。旧官幣大社。社殿は特殊な比翼春日造,第一第二合殿が1626年(寛永3)の造営,第三第四合殿が32年の造営。例祭4月2日。ほかに1月1日斎火祭などがある。境内は桜の名所。
平野祭
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平野神社」の意味・わかりやすい解説

平野神社
ひらのじんじゃ

京都市北区平野宮本町に鎮座。祭神は第一殿に今木神(いまきのかみ)、第二殿に久度神(くどのかみ)、第三殿に古開神(ふるあきのかみ)、第四殿に比賣神(ひめのかみ)と、本殿二棟に別々に祀(まつ)られている。祭神はいずれも朝鮮の王にあたり、桓武(かんむ)天皇の外戚(がいせき)の神を祀ったものといわれている。平安京遷都により大和(やまと)(奈良県)から奉遷され、朝廷の尊信を受けた。『延喜式(えんぎしき)』の名神(みょうじん)大社で「平野祭神四社」と特殊な型で記され、平安中期には二十二社の一つにあげられ優遇された。円融(えんゆう)天皇の981年(天元4)初めて行幸があり、毎年4月、11月上申(かみのさる)日に行われる平野祭には、皇太子の奉幣や皇居における天皇の御禊(みそぎ)が修せられた。今木神は源氏、久度神・古開神は平氏・高階(たかしな)氏、比賣神は大枝氏の氏神として尊崇された。旧官幣大社。二棟四殿の本殿は春日比翼造(かすがひよくづくり)と称する特殊な形式をもつ。例祭4月2日。

[加藤隆久]

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百科事典マイペディア 「平野神社」の意味・わかりやすい解説

平野神社【ひらのじんじゃ】

京都市北区平野宮本町に鎮座。旧官幣大社。今木(いまき)神・久度(くど)神・古開(ふるあき)神・比【め】(ひめ)神の4神を各別殿にまつる。社伝によれば,今木神は桓武天皇の生母高野新笠の遠祖に当たる百済(くだら)の聖明王とされ,他の3神も朝鮮系の神という。初め大和国田村にあったが,平安奠都(てんと)に際して現地に移建。延喜式内の名神大社。古くから竈(くど)(久度神にちなむ)の神,厄除(やくよけ)の神として広く信仰されている。例祭は4月2日。平野の夜桜が知られる。
→関連項目火の神

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平野神社」の意味・わかりやすい解説

平野神社
ひらのじんじゃ

京都市北区平野宮本町に鎮座する元官幣大社。祭神は,イマキノカミ,クドノカミ,フルアキノカミ,ヒメガミ。平安遷都のとき,大和国から遷座した。祭神は百済との関係が深い。鎮火,竈厄除の神として知られる。例祭4月2日。

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デジタル大辞泉プラス 「平野神社」の解説

平野神社

京都府京都市北区にある神社。祭神は今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比売神(ひめのかみ)。平安遷都に際し、大和国から遷座。本殿は国の重要文化財。境内は桜の名所。

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世界大百科事典(旧版)内の平野神社の言及

【氏神】より

… 平安初期の《新撰姓氏録》が示すように当時は有力氏族の系譜意識を反映して祖神を氏神とみなす傾向が強いが,平安末期から武家政権の時代にかけて氏神は機縁ないし地縁性の強い守護神を氏神とするようになった。安芸の厳島(いつくしま)神が平家の氏神となり,源氏が八幡神を氏神とするのが代表的な例だが,源平両氏はともに京都平野神社をも氏神としている。これはともに桓武天皇を始祖とするところから天皇の母高野皇太后の遠祖,百済聖明王を今木(いまき)神としてまつる平野社を氏神としたので,この点では祖神的氏神である。…

※「平野神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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