サンスクリットのマイトレーヤMaitreyaの音訳とされているが,〈弥勒〉という名前そのものはクシャーナ朝(1世紀半ば~3世紀前半)の貨幣にあらわれる太陽神ミイロMiiroに由来すると思われる。クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神ミスラMithraに由来し,したがってベーダの契約神ミトラMitraと関連する。インド仏教徒はMiiroをMitraに還元し,mitraが友を意味し,派生語maitreyaが〈友情ある〉を意味することから,弥勒を〈慈氏〉(Maitreyaの意訳語)ととらえたものと思われる。《弥勒下生経》をはじめとする弥勒六部経によると,弥勒は兜率天(とそつてん)におり,釈迦の没後その予言にしたがい,人寿八万四千年のときに下界に降り,竜華樹のもとで仏となって,釈迦の救いにもれた人々を救う。《菩薩処胎経》などによると,それは(釈迦没後)五十六億七千万年とされる。仏教世界観によると,兜率天の1日は人間界の400年であり,そこの生き物の寿命はその年で測って4000年である。したがって,兜率天の生き物の寿命は人間界の年数に換算すると(1年を360日として),360×400×4000=5億7600万年となる。最初はおそらく弥勒は五億七千六百万年後に人間界に降るとされていたのであろうが,早くから五十六億七千万年という別の伝承が生じた。弥勒には未来仏の性格があることから,イランやその西方の救済者の思想の影響があるのではないかと考えられている。法顕によると,パミール山中に巨大な弥勒像ができたのを契機に,インドから中国に向かって仏教が伝播した。
→弥勒信仰
執筆者:定方 晟
弥勒の図像は2種に大別される。すなわち兜率天において教化に当たっている菩薩としての像と,釈迦滅後五十六億七千万年後に竜華樹下に成仏し,三会説法を行っている如来としての弥勒である。中国,朝鮮,日本の初期の仏教美術中にあっては,菩薩としての弥勒の造像がきわめて多い。ことに悉多太子の樹下思惟像と類似した半跏思惟像ないし交脚像が,弥勒菩薩として造像された。中宮寺像や広隆寺像が著名で,後者は材質的に朝鮮赤松を用いており,韓国中央博物館の金銅半跏思惟像との関連が注目される。また弥勒と銘記のある半跏思惟像として665年(天智6)の大阪野中寺の金銅半跏像がある。
一方,如来形をとる弥勒としては白鳳時代の当麻寺金堂塑像や,法隆寺五重塔塑造群像中の弥勒浄土や,平安時代初期の慈尊院像,運慶作の興福寺北円堂像などがある。弥勒の兜率天における説法の情景を描く〈兜率天曼荼羅〉に大阪巡命寺本,京都興聖寺本があり,弥勒の来迎を描いた図としては称名寺金堂壁画や東京芸大本があり,高麗仏画中には弥勒仏の竜華樹下の説法を描いた〈弥勒下生経変相図〉がある。密教図像としては胎蔵曼荼羅中台八葉院中の二臂像がある。右手に蓮華上に賢瓶を置き,左手を施無畏印とし,蓮華上に座し,宝冠中に卒覩波をおく。この図像をとる作例として醍醐寺本,宝山寺本などがあるが,持物に若干の相違もあり,宝塔を持物とするものが多い。そのほかに三十臂像があるが,作例は知られていない。
執筆者:百橋 明穂
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生没年不詳。インド仏教瑜伽行(ゆがぎょう)派(唯識(ゆいしき)派)の開祖。サンスクリット名はマイトレーヤナータMaitreyanāthaまたはマイトレーヤMaitreyaという。生没年に関し、宇井伯寿(ういはくじゅ)は270―350年としたが、干潟龍祥(ひかたりゅうしょう)(1892―1991)の350―430年説が有力である。唯識説は、弥勒―無著(むじゃく)―世親(せしん)の相承(そうじょう)のなかで大成されたといわれる。無著は、兜率天(とそつてん)に上り弥勒菩薩(ぼさつ)に教えを受けたと伝えられ、開祖の弥勒はその未来仏の弥勒菩薩と考えられてきた。しかし弥勒作とされる文献のすべてを無著に帰するのも困難であり、現在では、無著に先行して唯識説を説いた論師がおり、その者を弥勒と解するのが一般的である。中国では、弥勒作に、『大乗荘厳経論頌(だいじょうしょうごんきょうろんじゅ)』『弁中辺(べんちゅうへん)論頌』『金剛般若経(こんごうはんにゃぎょう)論頌』『分別瑜伽論(ふんべつゆがろん)』『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』の五つが伝えられ、チベットでは上記前二書のほかに『法法性(ほうほっしょう)分別論』『現観荘厳(げんかんしょうごん)論頌』『宝性(ほうしょう)論頌』の五つが伝えられている(弥勒の五法という)。しかし、『瑜伽師地論』『宝性論頌』についてはきわめて疑問視される。弥勒の唯識説の特徴として、空観(くうがん)色の濃いことが指摘される。
[竹村牧男 2016年12月12日]
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大乗仏教の代表的菩薩(ぼさつ)の一つ。慈氏,慈尊とも漢訳される。サンスクリット語マイトレーヤは「慈愛」の意味。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)という天上界で現在説法しているが,釈尊(しゃくそん)が滅して56億7000万年後にこの世に降り,弥勒仏として釈尊の救済から洩れた人たちを救うとされる。未来に現れる慈悲の仏として信仰を集め,中国の竜門石窟(りゅうもんせっくつ)や日本の広隆寺などに優れた尊像が伝えられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…いずれも正年号を拒否することで室町幕府に反抗する政治意思がこめられている。 しかるに15世紀末以降の戦国時代に,東国・奥州に現れる福徳(1489),弥勒(1506か07ころ),永喜(1526),宝寿(1533),命禄(1540)などの年号は,弥勒や福神の信仰に頼って天災・飢饉の厄難から逃れようとの願望の所産であって,正年号に対する政治的な不満,反抗,否定を含意したこれまでの異年号と一見趣を異にする。ところが当時の年号には,年号に攘災招福の呪力があるとのたてまえから,ほかならぬ攘災招福のために制定されたものがはなはだ多いことを考えると,これらの異年号は,国家公定の年号のもつたてまえ上の呪力を否定することで,国家の年号に対する根源的批判を表明したわけで,ここに異年号のもつもう一つの性格をうかがうことができる。…
…かつて釈迦がここにいて,ここから下界へ下った。現在では弥勒が説法しつつここを〈弥勒の浄土〉とし,遠い将来にここから下界に下る予定になっている。弥勒のもとに生まれその化導を受けようとする兜率往生の信仰は古く,阿弥陀仏の浄土への往生との優劣が争われたこともある。…
…明州奉化県の岳林寺に名籍をもつだけで,嗣法を明かさず,居所を定めず,日常生活の道具を入れた布袋をかつぎ,杖を負うて各地に乞食し,人々が与えるものは何でも布袋に放り込んだことから,布袋の名を得た。神異の行跡が多く,分身の奇あり,一鉢千家の飯,孤身幾度の秋云々,その他,謎のような偈頌(げじゆ)が知られて,生前すでに弥勒の化身とみられた。滅後はさらに俗信が加わって,その像を画いて福を祈る風が生まれ,水墨画のテーマとなる。…
…インド大乗仏教の瑜伽行派(いっさいは唯だ識の表れにすぎないという唯識説を説く学派)の始祖とされる人物。弥勒(みろく)と音訳,慈氏と意訳される。瑜伽行派の論書では,マイトレーヤは兜率天(とそつてん)に住する当来仏で,《摂大乗論》などを著したアサンガ(無著(むぢやく))に唯識の教理を伝授した菩薩であるとされるが,このような伝説は後世の創造であり,彼は実在した史的人物であるとみなす学者もあり,その代表が宇井伯寿説である。…
…未来仏であるマイトレーヤ(弥勒)に関する経典を一括して弥勒経とよび,中国や日本では弥勒六部経あるいは弥勒三部経を数えることが多い。釈迦仏の弟子たる弥勒の兜率天(とそつてん)往生ならびに信者たちの往生を説く《弥勒上生経》以外の5経は,いずれも遠い将来に補処の菩薩たる弥勒がこの世に下生して仏陀となり教化する物語を説く。…
…インドに成立し,東南アジア・東アジアの諸民族に受容された弥勒信仰は,未来仏である弥勒菩薩(マイトレーヤMaitreya)に対する信仰で,仏教に内包されたメシアニズムである。弥勒菩薩は釈尊入滅の56億7000万年後に,弥勒浄土である兜率天(とそつてん)よりこの世に出現し,竜華樹の下で三会にわたって説法し,衆生救済を果たすと信じられている。…
※「弥勒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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