日置(市)(読み)ひおき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日置(市)」の意味・わかりやすい解説

日置(市)
ひおき

鹿児島県、薩摩半島(さつまはんとう)の中西部に位置する市。2005年(平成17)日置郡東市来町(ひがしいちきちょう)、伊集院町(いじゅういんちょう)、日吉町(ひよしちょう)、吹上町(ふきあげちょう)が合併して市制施行、日置市となった。市名は、かつて市域が属していた日置郡の郡名による。東は鹿児島市、南は南さつま市、北はいちき串木野市、西は東シナ海に面する。市域の大部分シラス台地と中生層の丘陵地で、中央部を神之川(かみのかわ)が西流する。東シナ海に臨む西部は砂丘地帯で、この砂丘と背後の薩摩(さつま)湖などは吹上浜(ふきあげはま)県立自然公園に含まれる。JR鹿児島本線、南九州西回り自動車道、国道3号、270号が通り、県道20号、22号、24号、35号、37号などによって周辺都市に通じる。

 中世、市域の大半は伊集院に属した。同院は、はじめ紀姓伊集院氏の勢力が強く、ついで、鎌倉時代後半に入部した地頭島津氏が台頭。室町後期には、南薩と北薩を結ぶ要衝であった当地をめぐり、島津氏同族間で対立が生じ、戦闘が行われた。この戦いに勝利した島津忠久・貴久父子は伊集院城(一宇治城(いちうじじょう))を拠点とする。のち島津本宗家の家督を継いだ貴久は、鹿児島城に本拠を移し、下谷口村(しもたにぐちむら)(伊集院町下谷口)には地頭仮屋(御仮屋)が置かれた。1709年(宝永6)に薩摩焼を鹿児島藩の重要産業として奨励・保護するため、御仮屋は苗代川村(なえしろがわむら)(東市来町美山(みやま)地区)に移り、その周辺に郷士(ごうし)集落である麓(ふもと)が形成された。現在も美山は薩摩焼の本場である。

 鹿児島市に近いことから近年はベッドタウン化が進展。野菜、サツマイモ、イチゴ、茶などの栽培、肉牛ブロイラーなど畜産が主産業で、江口(えぐち)漁港の煮干しも有名。鹿児島の三大行事の一つである妙円寺詣り(みょうえんじまいり)は、関ヶ原の戦いにおける島津軍奮戦の故事にちなみ、毎年10月第4土・日に島津義弘(よしひろ)を祀る伊集院の徳重神社(とくしげじんじゃ)(義弘の菩提寺妙円寺の跡地に建つ)で行われ、参拝客で賑わう。面積253.01平方キロメートル、人口4万7153(2020)。

[編集部]


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