栄福寺(読み)えいふくじ

日本歴史地名大系 「栄福寺」の解説

栄福寺
えいふくじ

[現在地名]玉川町八幡

八幡やわたの字松原にあり、府頭山と号する。高野山真言宗。本尊は海揚りの伝説をもつ阿弥陀如来。四国八十八ヵ所の五七番札所である。嵯峨天皇勅願により弘法大師開山と伝えられる。八幡山山腹の木立の中、一段高い所に本堂があり、その下に大師堂・金毘羅堂・納経所・庫裏・鐘楼と並んでいる。貞観元年(八五九)行教が境内八幡宮を建てたといわれ、神仏分離までは勝山かつやま八幡ともよばれていた。参道を登りつめると石清水八幡宮がある。

もと長福ちようふく寺とよばれ、寛永一四年(一六三七)の八幡村検地帳に「寺屋敷六畝長福寺」、元禄五年(一六九二)の八幡村地坪帳にも「八畝六歩 長福寺」とある。その後宝暦一一年(一七六一)の新田改帳には乗泉寺とあり、栄福寺となったのは寛政四年(一七九二)である(栄福寺文書)

栄福寺
えいふくじ

[現在地名]若葉区大宮町

下田台しもだだいにある天台宗寺院坂尾さんごの寺として親しまれる。如意山栄福寺無量院と号する。大治五年(一一三〇)千葉氏の家臣坂尾五郎治が主家の護持仏である妙見尊を現在寺のある場所の北西部、三角山に祀ったのが始まりとされる。のち導照を開山として真言宗の北斗山金剛授こんごうじゆ寺を建立菩提寺としたという。寛永二年(一六二五)上野寛永寺末となり、如意山養福ようふく寺無量院と改め、慶安三年(一六五〇)栄福寺と改めた(林家文書・栄福寺文書など)。本尊は木造阿弥陀如来坐像。境内に妙見堂・薬師堂がある。寺蔵の金銅透彫六角釣灯籠には「奉寄進下総国臼井庄本城妙見堂金灯炉者也 原式部太夫平胤栄敬白 天正二年甲戌三月二十五日」の銘文があり、県指定文化財。

栄福寺
えいふくじ

[現在地名]岩出町湯窪

湯窪ゆくぼ集落北部にある。金剛山寿明院と号し、新義真言宗。本尊弘法大師。寺伝によれば弘仁元年(八一〇)弘法大師空海創建という。「続風土記」は、古くは長福ちようふく寺と称していたが正徳二年(一七一二)現寺号に改めたとし、寛文記にいうとして「弘法大師堂前、檜柏二株あり、一は囲二抱、一は一抱余、大師西国より携へて植る所といふ」と記す。この檜柏は現存し、一本は空海がこの地で一〇〇日間の求聞持法修行を行ったが、満願となって去る時、土に挿し残した杖の成長した木、また一本は空海を訪ねた母の杖の成長したものと伝える。栄福寺イブキビャクシンの大樹名木として県指定天然記念物になっている。

栄福寺
えいふくじ

[現在地名]本埜村角田

角田つのだ集落の西手にある天台宗寺院。寺伝によれば天平期(七二九―七四九)の創建で、行基作という薬師如来を本尊とする。角竜山医王院と号する。本尊を安置する薬師堂は厨子および棟札とともに国指定重要文化財。その棟札に寛正七年(一四六六)六月柱立、応仁三年(一四六九)一一月上棟、文明四年(一四七二)二月成就という墨書銘があり、建立年代の明確な木造建築物としては県下最古のもの。薬師堂は正面・側面とも三間の単層の堂で、屋根は茅葺・寄棟造。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「栄福寺」の解説

栄福寺〔愛媛県〕

愛媛県今治市にある寺院。高野山真言宗。山号は府頭山、院号無量寿院、本尊は阿弥陀如来。弘仁年間、空海による創建と伝わる。四国八十八ヶ所霊場第57番札所。

栄福寺〔千葉県〕

千葉県印西市にある寺院。室町時代後期に建てられたとされる薬師堂があり、国の重要文化財に指定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android