横町(読み)ヨコチョウ

デジタル大辞泉 「横町」の意味・読み・例文・類語

よこ‐ちょう〔‐チヤウ〕【横町/横丁】

表通りから横へ入った町筋。また、その通り。よこまち。

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精選版 日本国語大辞典 「横町」の意味・読み・例文・類語

よこ‐ちょう‥チャウ【横町・横丁】

  1. 〘 名詞 〙 表通りから横へはいった通り筋にある町。また、その町筋・通り。よこまち。よこちょ。よこっちょう。〔日葡辞書(1603‐04)〕
    1. [初出の実例]「横丁(ヨコテウ)の西村におりやす」(出典:洒落本・辰巳之園(1770))

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日本歴史地名大系 「横町」の解説

横町
よこちよう

[現在地名]高岡市本町ほんまち横町よこまち

小馬出こんまだし町の北に続き南北に延びる両側町。北は平米ひらまい町に続き、南端を東に折れると坂下さかした町。伏木ふしき村や氷見ひみ町に至る往来に沿う。当町から坂下町の背後を通るあわら道に木戸があった(「不歩記」・「高岡度々御検地ノ事」高岡市立中央図書館蔵)。本町で、時割は三時八歩八厘(不歩記)。明治六年(一八七三)の役地二千三一〇坪九合(沽券調総計帳)。天明五年(一七八五)の家数三四(家数書上帳)。文政四年(一八二一)大火では馬借持二軒を含め全町三九軒を焼失(高岡史料)。明治五年の家数四四(同書)。文政一二年増山屋甚左衛門と井波屋太助が町頭勤続を賞して表彰された(高岡市史)


横町
よこちよう

[現在地名]八幡町大手町おおてまち

ほん町と北側の鍛冶屋かじや町の境から東の殿との町の通りまで東西に走る通りの両側町。寛文年間(一六六一―七三)の町絵図に大手ヨコ丁とみえる。通りを東へ進むと八幡城の大手門に至り、西へ進むと吉田よしだ川左岸に「キコク舛形」があり、そこから対岸の中坪なかつぼ尾崎おさきへ二本の橋が架けられていた。寛文四年の遠藤常友大坂御加番の人足書(郡上郡史)に新中間として横町次郎兵衛がみえる。元禄五年(一六九二)には家数三五・反別三反一畝八歩、内訳は豆腐屋七・茶屋三・鍋屋一・瀬戸物屋一・肴屋一・味噌屋一・ふじや一・郷通商人二・医師一・聖一・大工三・耕作人三。


横町
よこちよう

[現在地名]八王子市大横町おおよこちよう

八日市ようかいち八幡はちまん両宿の間に位置する。八王子横山十五はちおうじよこやまじゆうご宿のうちで、横山・八日市両宿の加宿。町内に北条氏とのゆかりを伝える出世稲荷社をはじめ、嘉元二年(一三〇四)起立の宝樹ほうじゆ(時宗)、大永元年(一五二一)に開山した福全ふくぜん(現臨済宗南禅寺派)などがあった(風土記稿)。町名は大横町ともいい(「横山根元記」、文政四年「玉川渡船場一件書上」渡辺家文書)、また大善寺横だいぜんじよこ町ともいう(風土記稿)。元禄一五年(一七〇二)の八王子横山宿村鑑(新野家文書)によれば、高五四石余、家数八五のうち本百姓五〇・水呑三五、人数三〇一、馬三、諸色商売人(焼餅商・饅頭商・心太商・豆腐商・草履商・草鞋商など)三五、大工五・畳指二・千人同心一五・農間渡世二八。


横町
よこちよう

[現在地名]栃尾市おもて

栃尾城下の根小屋町に連なる商業町で七日なのか町の横に続く。西谷にしだに川の左岸にあり、対岸の向谷地むかいやちに対して山方谷地やまがたやちとも称した。南の川上に神明しんめい町・岩崎いわさき町が続く。西谷道山手側には二軒の御旅屋おたや(代官屋敷)が続いていた。延宝三年(一六七五)の屋敷改検地帳(富川家文書)では表間口四八間余で地子米は三斗余。文化六年(一八〇九)の万掛改書法書(同文書)では三一間余で地子米は銀納となり一二〇文。元文年間(一七三六―四一)の西谷川の度々の氾濫により水難損地分が歩高と称して宅地として追加されたので、表間口割のほかに川前屋敷も宅地割が行われて新しい町並となる。


横町
よこちよう

[現在地名]滑川市横町

南北に走る北陸街道を中心とした町で、北は富山湾に臨む。寛永六年(一六二九)瀬羽せわ町が海岸浸食のため山方へ移転したのち、その西横にできた町であったのが町名の由来と伝える(滑川町誌)。天明三年(一七八三)の滑川町惣絵図(田村家蔵)に横町とみえ、瀬羽町を東から西に貫通した北陸街道は当町南部に突き当って北に折れ、北端でさらに西へ曲がって山王さんのう町に続く。


横丁
よこちよう

[現在地名]鹿角市花輪 横丁

花輪はなわの町並の北部に位置し、文政四年(一八二一)の南部盛岡藩領内絵図に「横丁」とある。足軽・町人混在の町で東西に走る道沿いに形成され、東は組丁くみちよう丁字形に交差、西はしん町と交わり、南はふくろ町、北は川原かわら町と平行する。


横町
よこちよう

[現在地名]長浜市元浜町もとはまちよう

南北通りに沿った両側町で、南の東西通りは東本ひがしほん町・西本町、北は大手おおて町に続く。朱印地。慶安四年(一六五一)の検地帳(川崎文書)によれば屋敷地二三があげられ、うち明屋敷二。元禄八年大洞弁天寄進帳では家数二二(借家三・貸家一)、男四二・女三九で、町代・横目が置かれ、眼医者・医師・京飛脚・肴屋・塗師屋・梯子屋・杓子屋・備前屋がいた。


横町
よこちよう

[現在地名]新庄市本町ほんまち万場町ばんばちよう大手町おおてまち

南の北本きたほん町から直角に西に曲り、再び北折して万場町に続く。城下の構造が南北に長いため、東西の通りが少ないためにつけられた。西の突当りに修験南学なんがく院がある。北本町等諸町絵図(中島家蔵)によれば、北側一三軒、南側七軒の屋敷があるだけの短い町である。


横丁
よこちよう

[現在地名]大畑町大畑 横町

大畑町の東方、ひがし町の中ほどから北のしん町に通ずる道に沿う。大畑町の各町のなかでも比較的新しく成立した町で、「原始謾筆風土年表」の延享四年(一七四七)の項に「横町にも昆布町東町同様と願出、此か為に東町昆布蔵敷の中より十分の二を総町へ出せり」とあり、東町とともに昆布市が立った。

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