日本歴史地名大系 「羽根村」の解説
羽根村
はねむら
- 高知県:室戸市
- 羽根村
「土佐日記」承平五年(九三五)一月一一日条に「はねといふところにきぬ。わかきわらは、このところのなをきゝて、はねといふところは、とりのはねのやうにやあるといふ」とあり、また「ありけるをんなわらは」の歌として「まことにてなにきくところはねならばとぶがごとくにみやこへもがな」と記している。
延久二年(一〇七〇)七月八日付の金剛頂寺解案(東寺百合文書)に記される寺の四至のうちに「西限波禰中山」とあり、羽根岬北東の
羽根村
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はねむら
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羽根村
はねむら
- 愛知県:知多市
- 羽根村
東に丘陵があるほかは平坦地の小村。北は
「雑志」は瓦を特産とし、調宝記(久野家蔵)によれば、従来からの瓦焼職人は、増加する新興の瓦焼人に対して、寛政元年(一七八九)に「恐多御願ニ御坐候ヘ共、何卒職札御渡シ被下、当郡瓦師十三株之外、已来新規ニ職立候儀、御差留被成下候様奉願上候」と知多郡の瓦師を一三名に限るよう願出て、そのなかに当村の惣八の名がある。
羽根村
はねむら
羽根村
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羽根村
はねむら
香々地村の南西方に位置し、北西は周防灘に面し、国東道が通る。中世は香々地庄のうちとしてみえる。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、夷忠兵衛手永の御蔵納分として高一二九石余、家数二二のうち本百姓・小百姓九、隠居・名子・牛屋一一、御杣一など、男二七(うち名子二)・女二二、牛八となっている。加子分として高八二石余とあり、家数二二のうち本百姓・小百姓七、隠居・名子・牛屋一五、男二二のうち名子三・女一七、牛八。また別に給人真野兵左衛門尉の知行分として高一五一石余が記され、家数二九のうち本百姓・小百姓一三、隠居・名子・牛屋一六、男三四(うち名子二)・女二九、牛八・馬一。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報