法楽寺(読み)ほうらくじ

日本歴史地名大系 「法楽寺」の解説

法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]神崎町中村

越知おち川に臨む山上にある。金楽山と号し、高野山真言宗。本尊は千手十一面観音。義犬伝説をもち、播州の犬寺、粟賀あわがの犬寺として著名。大化年間(六四五―六五〇)法道の開基と伝える。「元亨釈書」「峯相記」などによれば、福山ふくやまと称する地の豪族牧夫長者(一名秀符)が蘇我入鹿誅伐に従軍、その間に従僕が長者の妻と密通した。従僕は帰郷した長者を謀殺するため狩に誘い、弓を引いて射殺そうとしたが、長者の愛犬黒竜・白竜(大黒・小黒とも)が従僕に飛掛り主人の難を救った。長者は従僕を誅し、妻を離別して出家入道した。死に臨んだ長者は子がなかったため遺産を二匹の犬に譲り、その遺産で犬の死後一寺が建立された。その後寺は焼失、本尊の千手十一面観音が北山に飛移り、その地に一寺を建立、法楽寺と号したと伝える。


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]東住吉区山坂一丁目

真言宗泉涌寺派別格本山、紫金山小松院と号し、本尊不動明王。「田辺たなべのお不動さん」といわれる。治承二年(一一七八)小松の大臣とよばれた平重盛の開創(寺蔵文書)。翌年重盛は熊野参詣の途次落慶法要を営み、平治の乱で没した源義朝の念持仏如意輪観音像を安置し、源平両氏の菩提を弔ったと伝える。如意輪観音像の背面に「左馬頭源義朝一刀三礼、久安二年丙寅二月十八日法眼湛幸作之」の漆書銘がある。山号は当寺に安置する紫金二顆の仏舎利を示すという。重盛は宋国育王山仏照禅師に帰依し、一門菩提のため祠堂料として金三千両を贈って結縁を求めたほど篤信者であったことから(平家物語)、仏舎利は育王山より贈られたという伝承がある(摂津名所図会)


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]香芝市下田東四丁目

葛下かつげ川東岸に所在した寺院。片岡山と号したが、明治の廃仏毀釈で廃寺となる。本尊大日如来のほかに上半身だけの如来像(平安後期)が残る。中世には鎮守三十八社宮の座法楽寺座があり、座を通じて鹿嶋かしま神社(現香芝市)と密接な関係をもった。創建については、文安元年(一四四四)一月、法楽寺安学あんがく院の栄進の記した座衆経営録(鹿嶋神社文書)に「蓋人王五十三代淳和天皇御宇弘法大師草創此寺而勧請三十八社略見旧記」とみえる。また同記録の跋文には「嘗従往古有法楽寺内三十八宮之祭座衆結鎮之儀式、而経営矣、所謂下田法楽寺座是也此云下田方、猶亦鹿嶋明神祭礼奉行矣此云鹿嶋方、自中古両座合成一座、神事結鎮会合而経営焉、是永為恒例矣」とあり、法楽寺の経営する法楽寺座が、鹿嶋神社の勧請によって生れた鹿島方の座とやがて合体して結鎮座の経営を行うことになったということを記している。


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]足利市本城三丁目

長林ちようりん寺の北東方に位置する。曹洞宗で正義山と号し、本尊は釈迦如来。建長元年(一二四九)足利義氏の開基という。義氏は義兼の三男、母は北条政子の妹時子、妻は執権北条泰時の娘。所領は一七ヵ国に及び、義兼の持仏堂を鑁阿ばんな寺として一山一二坊を整備し、自ら当寺を興し、晩年は「関東の宿老」(「吾妻鏡」建長三年一二月七日条)といわれ幕府に重きをなした。


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]田原本町大字黒田小字寺垣内

黒田くろだ集落の北西方にあり、天地山と号し、真言宗御室派。本尊は勝軍地蔵。寺伝では聖徳太子の創建で、慶雲四年(七〇七)法性護国院の号を賜ったという。「磯城郡誌」は、伽藍は貞応元年(一二二二)に再建し、天正元年(一五七三)六月の松永・筒井両氏の合戦の兵火にかかり、現本堂はその後の再建と記す。「広大和名勝志」法楽寺の項は、聖徳太子が夜、光を放つ黒田郷に至り、孝霊天皇の廟所なりという老人の言に感じて伽藍を建てたこと、院号は往生院といい、孝霊大明神も祀り、昔日の社領は三〇〇町で六坊あったが、羽柴秀吉の時に社領を失ったこと、本寺はなかったが寛文年中(一六六一―七三)京都仁和寺末となったことなどを述べる。


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]府中市府川町 藤殿

真言宗御室派、山号補陀落山、本尊千手観音、もとまち栄明えいみよう寺末。

「水野記」は「豊田山了学院法楽寺」として長禄二年(一四五八)杉原豊前守康盛の建立で古来寺領三〇貫あったが、天正一六年(一五八八)当地の領主木梨氏が没落し、毛利氏のとき同二〇年ことごとく没収されたと記す。一方「備陽六郡志」は「補陀落山千手院法楽寺」とし、開基は行基、本尊千手観音は行基の作と記し、天文二一年(一五五二)八月の、大願主として杉原播磨守・木梨民部太夫・木梨七左衛門、願主として池田隼人・帯刀の名がみえる棟札を載せ、「宗休公当国御拝領の砌迄無住にて、廃絶同断の儀にて侍る所に、町村栄明寺宥泉法印建立被致、夫より只今迄相続し侍り、仍宥泉を中興開山とし侍るなり」と記し、「元和七辛酉年五月建 栄明寺宥泉」という棟札を紹介している。


法楽寺
ほうらくじ

[現在地名]生駒市高山町

高山たかやま前田まえだ集落に位置する。光竜山と号し、華厳宗。本尊は薬師如来。中世には鷹山氏の菩提寺であった。古来奈良東大寺と深い関係にあり、高山八幡宮の宮寺であったのではないかともいわれている。神像二体は僧形八幡と女神像で、ともに一木彫、平安時代後期の作とみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の法楽寺の言及

【度会[町]】より

…鎌倉時代には棚橋の蓮華寺が同御薗の地頭職を有していた。蓮華寺はのちに大神宮法楽寺と称され,多くの寺領をもち公武御祈禱所として栄えた。南北朝初期には北朝方の拠点ともなっている。…

※「法楽寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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