香川県中部、木田郡(きたぐん)にあった旧町名(牟礼町(ちょう))。現在は高松市(たかまつし)の北東部を占める一地区。1962年(昭和37)町制施行。2006年(平成18)高松市に編入。JR高徳(こうとく)線、高松琴平(ことひら)電鉄志度(しど)線、国道11号が道じる。旧牟礼町は庵治(あじ)半島基部に位置した農漁業と観光の町。高松市庵治町との境界には五剣(ごけん)山(375メートル)があり、中腹に四国八十八か所第85番札所八栗寺(やくりじ)がある。源平合戦に由来する史跡も多い。1969年からこの地にアトリエを構えていた彫刻家、イサム・ノグチの作品とアトリエを公開するイサム・ノグチ庭園美術館が1999年(平成11)に開館した。農業は水稲のほかミカン、キュウリなどを栽培するが、高松市中心部のベッドタウンとして県下屈指の人口増加率を示す急激な住宅地化の波を受けて耕地の減少が続いている。漁業は志度湾でのノリとカキ、ハマチ、タイの養殖が主である。このほか、良質の黒雲母花崗(くろうんもかこう)岩である庵治石の採石や石材加工、伝統産業の窯業が行われる。
[新見 治]
『『牟礼町史』(1993・牟礼町)』
長野県北部、上水内郡(かみみのちぐん)にあった旧村名(牟礼村(むら))。現在は飯綱(いいづな)町の南部を占める。旧牟礼村は1955年(昭和30)高岡、中郷(なかごう)の2村が合併して成立。2005年(平成17)三水(さみず)村と合併して町制施行し飯綱町となった。旧牟礼村域は飯縄山(いいづなやま)東麓(ろく)に位置し、千曲(ちくま)川の支流鳥居川に沿う。しなの鉄道北しなの線(旧、JR信越本線)、国道18号が通じる。近世、中心集落の牟礼は北国街道(ほっこくかいどう)の宿駅であり、現在は小商店街を形成する。水田を中心にリンゴ栽培などが行われ、山腹は別荘地やスキー場に開発されている。
[小林寛義]
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