築山古墳(読み)つきやまこふん

日本歴史地名大系 「築山古墳」の解説

築山古墳
つきやまこふん

[現在地名]大和高田市大字築山

南郷なんごう池の南、国道一六五号を隔てた南側に位置する大型の前方後円墳新山しんやま古墳(北葛城郡広陵町大字大塚)などとともに馬見うまみ古墳群の南グループを形成している。ほぼ東面し、墳丘の全長約二一〇メートル、前方部幅約一〇五メートル、後円部径約一二〇メートルと大型で、幅約三〇メートルの周濠がめぐらされている。周辺には茶臼山ちやうすやま古墳・狐井塚きついづか古墳など数基の陪冢がある。

前方部の右側面に造出しがあるようにもみえるが、あるいは墳丘が崩壊してできたのかもしれない。

築山古墳
つきやまこふん

[現在地名]佐賀関町神崎 浄願寺

佐賀関半島北岸の洪積台地上にある。台地裾部を削り出して造った五世紀中頃の大型前方後円墳で、西三キロの地点にある大分市亀塚かめづか古墳に次ぐ規模をもつ。国指定史跡。前方部を西にとり、全長九〇メートル、後円部の直径四〇メートル、高さ八メートル。周囲に整地した基壇がある。昭和七年(一九三二)石棺二基が発見され、この地方で石棺さまとよばれて信仰を集めている。

築山古墳
つきやまこふん

[現在地名]長船町西須恵

長船町東部の平野から、南の邑久町千町せんちよう平野に続く山間に位置している。東に前方部を向けて造られた前方後円墳で、全長約八〇メートル、後円部径約三八メートル、前方部幅約七〇メートルを測り、前方部の発達した大型の古墳である。県指定史跡。墳丘は三段に築かれ、墳頂の縁辺と中段下段の面上に円筒埴輪列が確認されている。後円部墳頂には竪穴式石室があり、刳抜式の石棺が内蔵されていた。

築山古墳
つきやまこふん

[現在地名]大和町大字尼寺字東町

春日かすが小学校東の平地に築かれた前方後円墳で、主軸六〇メートル、後円径四〇メートル、後円部高七メートル、前方幅三〇メートル、前方部高六メートル。封土上に葺石や埴輪があり、円筒埴輪や鎧をかたどった埴輪の破片が発見されている。明治年間(一八六八―一九一二)盗掘の際に勾玉・管玉や太刀が出土し、横穴式石室といわれている。

築山古墳
つきやまこふん

[現在地名]安岐町馬場 ネギテ

安岐川下流左岸丘陵上に所在する前方後円墳。前方部を西に向けていたが、周辺の採土により現在は径二〇メートルの後円部を残すだけである。後円部墳頂は第二次世界大戦中に防空監視所等の建設のために掘削されており、主体部は不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「築山古墳」の意味・わかりやすい解説

築山古墳
つきやまこふん

築山は人工の山の意で、同名の大形古墳は各地にある。

[今井 尭]

神崎築山古墳

大分県大分市神崎(こうざき)にある。全長90メートル、後円部径40メートル、前方部幅45メートルの前方後円墳。後円部に組合せ式石棺2基があり、北棺3体、南棺1体の埋葬が認められた。北棺から鏡、小玉、武具、農具、工具が、南棺から貝釧(かいくしろ)などが出土した。5世紀中葉の首長墳である。

[今井 尭]

西須恵築山古墳

岡山県瀬戸内市長船(おさふね)町西須恵(にしすえ)にある。丘陵端利用の全長90メートル、前方部の発達した前方後円墳。後円部頂の竪穴(たてあな)式石室には古式の家形石棺があり、舶載画像鏡、玉類、横矧板鋲留衝角付冑(よこはぎいたびょうどめしょうかくつきかぶと)、短甲、そのほか小形f字形鏡板、小形剣菱(けんびし)形杏葉(ぎょうよう)などの馬具が出土した。5世紀後半に属する。

[今井 尭]

上塩冶築山古墳

島根県出雲(いずも)市上塩冶(かみえんや)町にある。径43メートルの円墳で埴輪(はにわ)がある。切石積横穴式石室の長さ14.6メートル、玄室奥壁幅2.8メートル、高さ3メートルで、玄室内に大小二つの横口付家形石棺がある。金銅製冠、銀環、玉類、円頭大刀(えんとうのたち)などの武具、鏡板、鞍(くら)金具、雲珠(うず)、銅鈴など馬具、須恵器(すえき)などが1887年(明治20)に出土した。6世紀末ないし7世紀初頭の首長墳。

[今井 尭]

『賀川光夫・小田富士雄「北海部郡関町の古墳調査報告」(『大分県文化財調査報告』15所収・1968・大分県教育委員会)』『梅原末治「邑久郡西須恵築山古墳」(『瀬戸内海研究』9.10合併号所収・1957・瀬戸内海研究会)』『池田満雄「築山古墳」(『出雲市文化財調査報告』一所収・1956・出雲市教育委員会)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

国指定史跡ガイド 「築山古墳」の解説

つきやまこふん【築山古墳】


大分県大分市佐賀関(さがのせき)町にある古墳。佐賀関半島北西海岸部に突出した丘陵上に所在する前方後円墳。全長90m、後円部径40m、高さ10m、前方部幅45m、高さ8mで、墳丘には葺石(ふきいし)が存在したようである。主体部は後円部の結晶片岩を用いた南北2つの箱式石棺で、主軸を東西にとり、両者の間は約2.4m。南棺では3体の人骨が確認され、このうち1体は女性で右腕に貝釧(くしろ)を着装。そのほか、捩文鏡(ねじりもんきょう)1、小玉180、刀11、剣4、鉄鏃(てつぞく)90、鉄斧(てっぷ)5、鋤(すき)先13、刀子2、鎌2、毛抜形鉄器2、棒状鉄器6などというおびただしい数の副葬品が出土。とくに鉄製の武器や農具類の多いことがめだつ。北棺では女性1体が確認されたが、碧玉製管玉(くだたま)2、巻き貝製釧1、二枚貝製釧10が出土した。鉄製武器や農工具の多さは中期(5世紀代)の古墳の特徴をよく示していることから、1936年(昭和11)に国の史跡に指定。貝釧は臼杵地方の臼塚古墳下山古墳からも出土しており、海部(あまべ)地域を代表する古墳の被葬者が相互に深い結びつきがあったことを物語っている。JR日豊本線幸崎駅から大分バス「築山古墳入口」下車、徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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