藤島神社(読み)フジシマジンジャ

デジタル大辞泉 「藤島神社」の意味・読み・例文・類語

ふじしま‐じんじゃ〔ふぢしま‐〕【藤島神社】

福井市にある神社。主祭神は新田義貞。明治3年(1870)義貞戦死の旧跡創建、明治34年(1901)現在地に遷座。

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精選版 日本国語大辞典 「藤島神社」の意味・読み・例文・類語

ふじしま‐じんじゃ ふぢしま‥【藤島神社】

福井市毛矢にある神社。旧別格官幣社。新田義貞ほか四柱をまつる。明治九年(一八七六)義貞戦死の旧跡に社殿造営。同三四年現在地に遷座。

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日本歴史地名大系 「藤島神社」の解説

藤島神社
ふじしまじんじや

[現在地名]福井市毛矢三丁目

足羽あすわ山東中腹にある。祭神新田義貞。新田義宗脇屋義助・新田義顕・新田義興を合祀する。新田義貞は、延元三年(一三三八)閏七月の合戦で戦死したが、明暦年間(一六五五―五八)に義貞戦没地の灯明寺畷とうみようじなわて(国指定史跡)から兜が発掘され、万治三年(一六六〇)四代福井藩主松平光通によって「新田義貞戦死此所」の石碑が立てられた。明治三年(一八七〇)松平茂昭は同地に一祠を建立、同九年藤島神社として別格官幣社となる。

藤島神社
ふじしまじんじや

[現在地名]七宝町秋竹 柏田

祭神は市杵島姫命。旧県社。「延喜式」神名帳に「藤嶋神社」とみえ、尾張国神名帳に「従三位上 藤嶋神社」とある。「尾張志」は創建を天武天皇四年と伝えるが、「徇行記」は「鎮座年紀不知」と記す。「寛文覚書」に「社内六畝歩、熱田宮部太夫持内」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤島神社」の意味・わかりやすい解説

藤島神社
ふじしまじんじゃ

福井市毛矢(けや)三丁目に鎮座。南北朝時代の武将新田義貞(にったよしさだ)を主神とし、新田義宗(よしむね)・脇屋義助(わきやよしすけ)以下の一族郎党を合祀(ごうし)する。1333年(元弘3・正慶2)義貞は、倒幕の旗をあげて鎌倉に攻め入り、北条氏を滅ぼし、建武(けんむ)政権で後醍醐(ごだいご)天皇に重用される。1338年(延元3・暦応1)足利尊氏(あしかがたかうじ)側と戦い、藤島で戦死した。

 義貞戦没地と伝えられる燈明寺畷(とうみょうじなわて)より江戸時代初期に兜(かぶと)が出土、福井藩主松平氏歴代は遺跡の保存に努め、1870年(明治3)松平茂昭(しげあき)は同地に社殿を造営した。1876年別格官幣社に列せられ藤島神社と称し、1901年(明治34)現在地に遷座。例祭5月1~3日。社宝に義貞所用と伝える発掘の鉄製銀象眼(ぞうがん)兜、鎌倉期の太刀(たち)二口、紙本結城宗広(しほんゆうきむねひろ)書状(いずれも国の重要文化財)などがある。

[平泉隆房]

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改訂新版 世界大百科事典 「藤島神社」の意味・わかりやすい解説

藤島神社 (ふじしまじんじゃ)

福井市毛矢にあり,新田義貞をまつる。1338年(延元3・暦応1)義貞は北朝方の斯波高経と戦い,越前藤島で戦死した(藤島の戦)。1870年(明治3)福井藩知事松平茂昭は,新田塚と呼ばれていた義貞戦死の地に祠を建てたが,76年にその社名が藤島神社と定められ,別格官幣社に列せられた。81年に近くに移転したが,1901年に足羽(あすわ)山の中腹に移された。義貞の弟脇屋義助,子義顕・義興以下の将士を配祀する。例祭は8月25日。
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百科事典マイペディア 「藤島神社」の意味・わかりやすい解説

藤島神社【ふじしまじんじゃ】

福井市毛矢に鎮座。旧別格官幣社。新田義貞をまつる。社地は1338年義貞が足利勢との戦いで討死した場所に由来。1870年創建。例祭は8月25日。
→関連項目福井[市]

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