西楽寺(読み)さいらくじ

日本歴史地名大系 「西楽寺」の解説

西楽寺
さいらくじ

[現在地名]袋井市春岡

宇刈うがり川右岸に所在する真言宗智山派寺院。山号は安養山、本尊阿弥陀如来。聖武天皇の勅願により行基が草創したと伝える。中絶していたが堀河天皇(在位一〇八六―一一〇七)時代、六条右大臣藤原顕房が真言宗寺院として再興、山城醍醐寺末となったという(弘治三年「西楽寺勧進記」西楽寺文書など、以下同文書は省略)。本尊阿弥陀坐像の胎内銘に「奉□□(修理)西楽寺阿弥陀三尊并観音勢至・不動・毘沙門 善□和尚 正応三年庚寅二月上旬□□□始□□、同年九月□日開眼。□願主沙門中道」とあり、正応三年(一二九〇)沙門中道の発願によって阿弥陀三尊が修理されている。天文七年(一五三八)伽藍焼失、その後衆徒・道俗の努力で堂舎が再建された(弘治三年西楽寺勧進記)


西楽寺
さいらくじ

[現在地名]関市彦島本村町五丁目

ひこ島の中央やや北寄りに位置し、正覚山と号する時宗寺院。本尊の阿弥陀如来は、寺伝によれば平重盛の守本尊で、平家が壇之浦だんのうらに敗れてから執権植田・岡野・百合野らがこれを奉持して彦島に渡り、先住の河野一族とはかってさこに堂宇を建立したという。当寺の記録に「当山二十世梵阿俊応和尚之曰」として次のようにある。


西楽寺
さいらくじ

[現在地名]長野市松代町西条

浄土宗関谷山西楽寺。本尊阿弥陀如来。

寺伝によれば応永年間(一三九四―一四二八)創建といい、開基を関屋上野介、開山を西誉上人とする。初め関屋村にあったが永禄年間(一五五八―七〇)西条美作守らが帰依して現在の地に移し、鎌倉光明寺の僧名誉善室を請じて開山とした。正保年間(一六四四―四八)火災にあったが真田信之が再建。信之の三男信重が深く帰依し、その没後、慶安元年(一六四八)寺内に霊屋を建立し信重夫妻の位牌を安置した。


西楽寺
さいらくじ

[現在地名]福山市坪生町 大塚

神森かんもり神社南方の丘陵にある。高野山真言宗、水無瀬山と号し、本尊薬師如来。弘安四年(一二八一)陶山勘兵衛が再建したと伝え、坪生つぼう庄の開発領主の後裔という坪生和泉守の香花院で、翌五年には陶山氏の香花院として正覚しようかく院が建立された(水野記)坪生庄を支配していた陶山氏が、まず本家にあたる坪生氏の寺を建立し、翌年に自身の香花院を建立したものと解される。


西楽寺
さいらくじ

[現在地名]下関市大字安岡

安岡やすおかの字鍛冶屋かじやにある。浄土真宗本願寺派で臨江山と号し、本尊阿弥陀如来。

寺伝によれば、大内家家臣で芸州高田郡かつら(現広島県高田郡吉田町)の小松重之が桂を名乗って安岡に遁世、のち本願寺蓮如に帰依し、法名教心をもらって大永五年(一五二五)法堂を建立したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「西楽寺」の解説

西楽寺

長野県長野市にある浄土宗の寺院。1574年開基。信濃松代藩主、真田信之の3男、信重の霊屋があり、国の重要文化財に指定されている。

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