青森県西部、西津軽郡にあった旧村名(車力村(むら))。現在はつがる市の北部を占める地域。2005年(平成17)、西津軽郡木造(きづくり)町、森田(もりた)村、柏(かしわ)村、稲垣(いながき)村と合併して市制施行、つがる市となった。津軽平野の北西部に位置する。旧村域の東部を岩木川と山田川が並行して流れて十三湖(じゅうさんこ)に注ぐ。中央部は田光(たっぴ)沼、牛潟(うしがた)池、袴形(はかまがた)池などの溜池(ためいけ)が分布する湿地帯で、江戸時代に新田開発が行われたが、岩木川の氾濫(はんらん)や山田川の逆流による塩水害などで稲作条件は劣悪であった。1924年(大正13)におきた塩水逆流は田地に大きな被害を与え、農民救済のため、車力村小作組合(のち農民組合)が結成された。県で最初の農民組合で、1926年には小作米5割減免を要求する小作争議が起きた。第二次世界大戦後、干拓事業により土地改良が行われた。日本海に臨む七里長浜(しちりながはま)は津軽国定公園の一部をなし、背後の屏風山(びょうぶさん)の砂丘地帯では畑地化が進んでいる。牛潟町の高山稲荷(いなり)神社付近にチェズボロー号遭難慰霊碑がある。1889年(明治22)10月、七里長浜沖で破船したアメリカの貨物船の死亡した乗組員の記念碑である。
[横山 弘]
『『車力村史』(1972・車力村)』
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…中世から近世にかけて活躍した運送業者。車力(しやりき),車方(くるまかた)とも呼ばれた。牛に車を引かせて物資を運んだために,道路の整備された都市近郊で発達した。…
※「車力」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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