近江八幡(市)(読み)おうみはちまん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「近江八幡(市)」の意味・わかりやすい解説

近江八幡(市)
おうみはちまん

滋賀県中部、琵琶(びわ)湖東岸に面した市。1954年(昭和29)八幡町と岡山、金田桐原(きりはら)、馬淵(まぶち)の4村が合併して市制施行。1955年北里(きたざと)村、1958年武佐(むさ)村を編入、2010年(平成22)蒲生(がもう)郡安土町(あづちちょう)と合併。琵琶湖中の沖島(おきしま)も市域に含まれる。北部は奥島山などの山地からなる半島部、南部は日野川などの堆積(たいせき)による沖積平野が広がり、統一的な条里がみられる。東方は繖山(きぬがさやま)(観音寺山(かんのんじやま)、桑実(くわのみ)山ともいう)の山稜で東近江市と接する。JR東海道本線と近江鉄道、国道8号、同421号、同477号が通じる。大中之湖(だいなかのこ)干拓地、沖島湖底からは縄文時代以降の遺物が発見され、出土品は市立郷土資料館に陳列されている。繖山の北西に連なる安土山には、1576年(天正4)織田信長によって安土城が築かれ、城の西麓・南麓には、近世城下町の先駆けとなる安土城下が形成された。1585年豊臣秀次(とよとみひでつぐ)によって築城された八幡城跡は旧市街北部の鶴翼山(かくよくざん)にあたり、その山頂には瑞龍(ずいりゅう)寺(村雲御所)、山麓(さんろく)には左義長(さぎちょう)祭で有名な日牟礼(ひむれ)八幡宮がある。旧市街地には八幡堀や近世の町並み景観が色濃く残り、日本でも有数の水郷(西の湖周辺)などとともに保全の対象になっている。1991年(平成3)には八幡堀周辺が重要伝統的建造物群保存地区に、2006年近江八幡の水郷が国の重要文化的景観に指定された。蚊帳(かや)、麻布、畳表などの在来工業が盛んであったが、現在では薬品、帆布、食品などの工業がみられる。また西の湖周辺のヨシや淡水真珠、八幡瓦(がわら)を特産する。江州米の産地で、野菜栽培、畜産も行われている。八幡城廃城後はおおむね天領で、商業の町として栄え、近江商人の一大拠点であった。旧市街地と近江八幡駅の間は区画整理事業により新しい官庁街、商店街の建設が活発である。琵琶湖に臨む長命寺(ちょうめいじ)山(333メートル)には西国三十三所第31番札所の長命寺があり、本堂、三重塔などは国の重要文化財。山麓の宮ヶ浜には休暇村と水泳場がある。繖山の山上には、近江守護六角(ろっかく)氏の居城であった観音寺城跡、西国三十三所32番札所の観音正寺(かんのんしょうじ)があり、山麓一帯には、薬師信仰で知られ、将軍足利義晴が約3年間滞在した桑実寺、安土宗論の行われた浄厳院(じょうごんいん)、織田信長創建の摠見寺(そうけんじ)などの寺院がある。沖島を含む湖岸地域は琵琶湖国定公園に含まれる。国特別史跡の安土城跡を中心に、いずれも国の史跡に指定される観音寺城跡、瓢箪山(ひょうたんやま)古墳、大中の湖南(こみなみ)遺跡を含む一帯は、歴史公園「近江風土記の丘」として整備され、その中核施設として1992年(平成4)には安土町下豊浦(あづちちょうしもといら)に県立安土城考古博物館が開館。面積は177.45平方キロメートル、人口8万1122(2020)。

[高橋誠一]

『小和田哲男、助野健太郎著『近江の城下町』(1971・桜楓社)』


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