長福寺跡(読み)ちようふくじあと

日本歴史地名大系 「長福寺跡」の解説

長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]加茂市下条 長福寺

長福寺集落北の蘆沢あしざわ一帯真言宗瑠璃山長福寺跡と伝える。周辺には元仁王もとにおうかねつきどう地名が残り、元仁王は仁王尊を安置した山門の跡とされる。現在、「おん仁王さま」とも「元仁王の地蔵さま」ともよばれる石地蔵がある。田の中に礎石とみられるものがあり、五輪塔・宝篋印塔などの一部、骨瓶などが出土している。

開基年代は不明だが、「宝寿院文庫目録」の灌頂式私耳書の奥書に「延文四年極月日、於越州青海庄長福寺、灌頂式伝受時」と記され、南北朝期には寺はあったと思われる。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]東広島市西条町寺家

寺家じけの南西部にある。現在薬師堂が建ち、本尊薬師如来坐像、脇侍の日光・月光両菩薩像、十二神将像を安置。長福寺は真言宗で長尾山医王院と号した。

長福寺縁起(柏尾誠氏蔵)によると、神亀年中(七二四―七二九)の創建と伝え、のち無住となったが、天元(九七八―九八三)の頃西条正直なる者が再興、嘉禎年中(一二三五―三八)安芸国守護安芸親定(史実では藤原親実)が相模国鎌倉の永福えいふく寺から良親(良信)住持に迎えた。その後管領斯波義重のとき寺領を没収されたというが、文明三年(一四七一)の道秀奉書(「閥閲録」所収福原対馬家文書)にある「田迫長福寺」が当寺だとすればはら村内に寺領があったことになる。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]小野市広渡町

南北町期―室町時代に大部おおべ庄内にあった寺院。建武四年(一三三七)の大部庄内検目録(東大寺文書、以下同文書は省略)に「除仏神人給八町八段 一段長福寺」とみえる。暦応三年(一三四〇)一二月の大部庄内検目録でも一段分を免除されている。永享七年(一四三五)一一月日の大部庄領家方名寄帳では、サコノ(左近)大郎の惣相田一町一段一〇のうち「四斗五升チヤウ(長)福寺田」とあり、引物(免除分)となっている。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]玉名市高瀬 保田木町

近世高瀬たかせ町の東南端、保田木ほたき(現浦川堀)の近く、南関なんかん往還の入口西側にあったといわれる。山号、本尊などは不明。「国誌」には臨済宗清源せいげん寺の末寺で、開山も同寺開山の固山一鞏とするが、応永一八年(一四一一)九月一四日の高瀬武楯寄進状案(寿福寺文書)には天台宗寿福じゆふく寺の末寺と記される。「国誌」の繁根木はねぎ村寿福寺の項にも、もとは同寺の末であったが、いつの頃か臨済宗永徳えいとく寺の末となり、当時は固山を開基と伝えるとある。貞和五年(一三四九)二月八日に壱岐守輔重が清源寺敷地として寄進した地の東限は「火神木ほたき堀長福寺」であり(「壱岐守輔重寄進状」清源寺文書)、当時すでに当寺が存在していたと思われる。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]金津町古屋石塚

古屋石塚ふるやいしづか東部竹田たけだ川河岸にあった高田専修たかだせんじゆ寺末寺院。現存しない。永正一五年(一五一八)七月二三日の高田専修寺越前国末寺連署法度(一身田専修寺文書)に「長福寺光恵」とみえるのが当寺のことと思われる。「朝倉始末記」心月寺本の「遁万死、得一生事」に、天正二年(一五七四)の一向一揆の折、長畝のうね内田うちだ(現福井県丸岡町)の長福寺の僧が捕らえられ殺されようとしたが、僧の機知によって逃れ得たことがみえる。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]鹿央町北谷 三郎丸

国見くにみ山東麓の山塊裾部のやや高所に境内がある。山号は万寿山。天台宗、本尊は十一面観音。「国誌」によると康平元年(一〇五八)の建立、開山は恵公という。「古記集覧」所収の「霜野来由記」には、近世初頭に長福寺村が北谷きただに村と改称した際、当寺も永福寺と改めたという。本尊十一面観音は「国誌」によると、往古の本尊が紛失したために永正一〇年(一五一三)に造立したものという。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]池田町漆川

黒沢くろぞうに長福寺跡といわれる場所がある。石仏があるものの、礎石や瓦などは確認されていない。伝承では空海が草庵を開いたのが始まりで、その後大寺として栄えたが、天正五年(一五七七)長宗我部元親の白地はくち城侵攻に際して焼失したという。川崎の三所かわさきのさんしよう神社蔵の大般若経巻一九四・一九五・一九八の応永七年(一四〇〇)の奥書に「阿州志津河長福寺」とみえる。


長福寺跡
ちようふくじあと

[現在地名]人吉市下原田町 上野

上野うえのにあり、現在は跡地に阿弥陀堂が建つ。宗旨は不明だが、山号は上野山、応永一一年(一四〇四)創建と伝える。阿弥陀堂内の阿弥陀仏の台座銘に「大檀那藤原晴広」とあり、藤原は相良氏の本姓である。また位牌銘に「三界万霊十方至聖 了無道為居士造立之牌」とあり、裏面に「于時天文七稔戊戌七月十三日 上野山長福禅寺安置之」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android