デジタル大辞泉
「魯」の意味・読み・例文・類語
ろ【魯】
中国、春秋時代の列国の一。周の武王の弟、周公旦が曲阜(山東省)に封ぜられたのに始まる。春秋時代、大国の間にあって国勢は振るわなかったが、周の文化を最もよく伝えた。前249年、楚に滅ぼされた。孔子の生国。
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ろ【魯】
- [ 一 ] 中国、周代の侯国。前一一世紀ごろ成立。始祖は周の武王の弟周公旦。都城は曲阜。建国以来、内紛が多く、国勢はふるわなかったが、周の伝統文化を伝えた。前二四九年、楚に滅ぼされた。孔子の生国で、儒家の中心地。
- [ 二 ] 「ロシア」のあて字「魯西亜」の略。
- [初出の実例]「英に商多く魯に工多く仏に農多し」(出典:匏菴十種(1869)〈栗本鋤雲〉鉛筆紀聞)
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普及版 字通
「魯」の読み・字形・画数・意味
魯
人名用漢字 15画
[字音] ロ
[字訓] おろか
[説文解字]
[甲骨文]
[金文]
[字形] 会意
魚+曰(えつ)。曰は祝を収める器。魚を薦め、祝する儀礼を示す字である。〔説文〕四上に字を白に従う形とし「鈍詞なり。白に從ひ、魚(ぎよ)聲」とするが声が合わず、「鈍詞」という意も明らかでない。おそらく魯鈍の意とするものであろうが、金文には魯休・魯命・純魯・魯寿など、嘉善の意に用いる字である。なお〔(えいき)〕「拜して稽首し、天子の厥(そ)の順を(な)したまへるを魯(よろこ)びとす」、〔井人鐘(けいじんしよう)〕「純(ひじゆん)にして以て魯(おほ)いなり」、〔士父鐘(しほしよう)〕「余(われ)に魯(さいは)ひをし、多無疆ならんことを」などの用法がある。祖祭に魚を用いることは辟雍(へきよう)の儀礼にみえ、魯とは祖祭に関する儀礼をいう字であろう。魯鈍の意は、朴魯(ぼくろ)の義から転じたものとみられ、もとは純魯をいう字であったと考えられる。
[訓義]
1. よろこび、さいわい、めでたい。
2. おおきい。
3. にぶい、おろか。
4. 鹵と通じ、たて。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕魯 マブシ・ノブ・ツツシム・カブル・オロカナリ・オコル・ミチ
[声系]
〔説文〕に魯声として櫓など二字を収める。いずれも(ろ)のように鹵(ろ)声をとる別体の字があり、魯・鹵は声符として通用の義をもつものであろう。
[語系]
魯・鹵laは同声、文字として通用することがある。(旅)liaも声近く、〔説文〕にを魯の古文としている。
[熟語]
魯魚▶・魯鶏▶・魯縞▶・魯酒▶・魯▶・魯直▶・魯鈍▶・魯朴▶・魯論▶
[下接語]
頑魯・魚魯・愚魯・淳魯・椎魯・朴魯
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魯
ろ
Lu
中国,周代の諸侯国の一つ (前 1055~249) で,山東省の曲阜に都した。周の武王の弟の周公旦が封じられたのに始るが,任地の曲阜におもむいて魯侯となったのは,その子の伯禽 (はくきん) で,その地の統治には多くの労苦があったという。以後 34代 800年あまり続いたが,初期の状況については伝説的要素がほとんどであり,不明な点が多い。春秋時代の 14代隠公から 25代哀公までのことは孔子が編集したという『春秋』やその注釈書の『左伝』に詳しい。国内では春秋時代初期の桓公の子の三桓氏が代々交互に権力を握り,君主の廃立さえ行い,前6世紀後半の昭公は三桓氏に敗れて国外に逃亡し,帰国できないまま亡くなったという例もある。対外的には斉,晋,楚の3強国の勢力にまったく左右されていた。戦国時代にはますます弱小国になり,最後の頃公 (けいこう) が頃公 25 (前 249) 年に楚の考烈王に滅ぼされた。周王の権力が低下した春秋時代に周の文化や制度を保持し続けた国として知られる。
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魯
ろ
中国、周代の諸侯国の一つ。姫姓。周の武王の弟で、周王朝創建の大功臣である周公旦(しゅうこうたん)が曲阜(きょくふ)(山東省曲阜県)周辺の地に封ぜられたのに始まる。ただし、周公旦は都にとどまって周王を補佐し、長子の伯禽(はくきん)が封地に赴いた。その地はもと東夷(とうい)の地であり、最初は統治に苦心したといわれる。春秋時代には、斉(せい)、晋(しん)、楚(そ)などの強国の圧迫を受けて国は振るわず、とくに、その後期になると、その君主であった桓(かん)公の子孫の孟孫(もうそん)氏、叔孫(しゅくそん)氏、季孫(きそん)氏のいわゆる三桓氏が国の実権を握って公室を三分し、ついには季孫氏の臣下の陽虎(ようこ)に実権を奪われるありさまであった。その後、孔子が君権の回復を図ったが失敗し、戦国時代には国はますます衰え、紀元前249年、楚に滅ぼされた。春秋時代、周の王室が衰えて以後、魯は周の文化をもっともよく伝える国であった。そのような国に生まれた孔子は、周公の理想政治を回復しようとして果たせなかったが、その政治思想は諸国に散らばった弟子によって伝えられ、後世中国の歴史に絶大な影響を与えた。
[江村治樹]
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魯 (ろ)
Lǔ
中国,古代の侯国。?-前249年。周武王の弟で,周王朝創設の大功臣周公旦を始祖とする。山東省曲阜(きよくふ)に都をおく。春秋時代には12の有力諸侯の一つにかぞえられていたが,斉,晋,楚などの圧迫を受け,国内的には第15代桓公から出た孟孫,叔孫,季孫の3氏が政治を壟断(ろうだん),軍制,租税徴収なども掌握し,公室は衰え,戦国時代には小国に転落,前249年楚に滅ぼされた。春秋末の孔子はこの国の人であるが,彼が編したといわれる《春秋》によって,各諸侯国中,歴代君侯の在位年数が伝えられる唯一の国で,古代史構成上重要な国である。
→春秋戦国時代
執筆者:伊藤 道治
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魯【ろ】
中国,周代の諸侯国。山東の曲阜(きょくふ)を都とし,周公を始祖とする。周の伝統ある文物や制度を伝え,その年代記として《春秋》が編纂(へんさん)された。孔子も,ここに生まれた。しかし国勢は振るわず,前249年楚のために滅ぼされた。
→関連項目春秋戦国時代|武王
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魯(ろ)
Lu
?~前249
周代の侯国。都城は山東省曲阜(きょくふ)。東夷(とうい)に対する根拠地として周初に設けられたが国勢はふるわず,34代で楚(そ)に滅ぼされた。周公旦(しゅうこうたん)を祖とし,周の伝統的文化や制度を伝えた国で,孔子の出身国でもある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
魯
ろ
?〜前249
周代に山東省にあった国
前12世紀に周の武王の弟である周公旦 (しゆうこうたん) が建国し,曲阜 (きよくふ) を都とした。大国の間にはさまれて国勢は奮わなかったが,周の礼教文化を最もよく伝えた国として誇りをもち,孔子はこの国に生まれた。34代続いたが,前249年楚 (そ) の孝烈 (こうれつ) 王に滅ぼされた。その歴史は『春秋』に見られる。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の魯の言及
【山東[省]】より
…人口8738万(1996)。泰山,魯山,蒙山などから成る山地(魯中・魯南山地),山東半島と周囲の平地を省域とする。北は黄河下流の沖積平野を広く含んで河北と接し,西も黄河に沿って銅瓦廂の屈曲点までを含んで河南と接するが,南は魯南山地の山麓部で江蘇省,安徽省と接する。…
※「魯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」