ヤスパースと並んでドイツの実存哲学を代表する哲学者。
[宇都宮芳明 2015年3月19日]
9月26日南ドイツのメスキルヒに生まれる。1909年フライブルク大学に入学、初めは神学を学んだが2年後に哲学に転じてリッケルトなどに学び、1914年に学位論文『心理主義における判断論』を、1916年に教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスのカテゴリー論と意義論』を発表する。この間すでに著書を通じてフッサールの現象学を熱心に学んでいたが、そのフッサールが1916年にフライブルクの教授として来任、二人の間に親密な師弟関係が結ばれる。
1923年マールブルク大学教授となり、1927年に主著『存在と時間』を公刊、1928年には定年で退いたフッサールの後を継いでフライブルク大学に戻った。1931年には従来のカント解釈をくつがえす『カントと形而上(けいじじょう)学の問題』や、小冊子ながらも豊富な内容をもつ『形而上学とは何か』『根拠の本質について』を刊行、1933年には推されてフライブルク大学総長となったが、このころナチスに入党、全体主義的色彩の濃い就任演説を行う。しかし1年足らずでナチスと衝突して総長を辞任、以後研究生活に没頭、ヘルダーリンに関する論稿以外はほとんど成果を世に問うこともなく、1945年、第二次世界大戦の終結を迎えた。
戦後はナチス協力の理由で教職から追放されたが、1951年復職、1976年5月26日の死を迎えるまでなお旺盛(おうせい)な思索活動を続け、戦前や戦中の成果をも含めた著作を次々に発表し、戦後のドイツ思想界に第二次ハイデッガー・ブームとでもいうべきものを引き起こした。戦後刊行されたおもな著作に、『ヒューマニズムについて』(1947)、『森の道』(1950)、『ヘルダーリンの詩の解明』(増補第2版・1951)、『形而上学入門』(1953)、『講演論文集』(1954)、『同一性と差異』(1957)、『ニーチェ』全2巻(1961)などがある。
[宇都宮芳明 2015年3月19日]
ハイデッガーが戦前のドイツ哲学界で注目の的となったのは『存在と時間』によるが、これは当時彼がまとめつつあった全構想の前半部にあたり、フッサール編集の現象学に関する研究年報に第1部として発表された。彼によると、哲学は昔から「存在」とは何かを問う存在論にほかならないが、この第1部では存在を理解する唯一の存在者である人間(現存在)の存在(実存)が現象学的、実存論的分析の主題とされ、現存在の根本的な存在規定である「関心」の意味が「時間性」として確定される。第1部はここで終わり、彼はそこから『存在と時間』の本来の主題である「存在」と「時間」の関係に戻り、現存在の時間性を手掛りとして存在の意味を時間から明らかにするとともに、歴史的、伝統的な存在概念の由来を同じく時間の地平で究明する予定であったが、この後半部は未発表に終わった。
つまり、彼が実存思想の代表者とみなされたのは、この現存在の実存論的分析の部分によるので、そこでは不安、無、死、良心、決意、頽落(たいらく)といった、すでにキルケゴールによっても扱われた実存にかかわる諸問題がきわめて組織的、包括的に論じられている。現存在の存在意味が過去、現在、未来の三相の統一である時間性として示されたことも、人間が時間的、歴史的存在であるという「生の哲学」以来の考えを実存の視点からとらえ直したものであった。ちなみに、彼の現存在分析の手法は、精神分析から文芸論、さらには神学にまで影響を与えている。
1935年前後を境として、ハイデッガーの思索は、存在そのものを直接問う方向に向かう。存在は、個々の存在者と同列の一存在者ではなく、存在者をそれぞれの存在者として存在させる特異な時間=空間であり、人間はそこに立ちいでるものとして「開存」Ek-sistenzである。西洋の哲学は、ハイデッガーによると、古代から存在を存在としてではなく、存在者としてとらえる「形而上学」であって、そこから彼の、これまた特異な史観といえる存在史観が生まれる。存在者を人間の客体として技術的に処理する人間中心的な「閉存」の立場は、この形而上学に、つまり「存在の忘却」に由来する。現代に必要な一事は、形而上学の歴史的由来を知ることによって存在忘却を克服し、歴史を支配する存在そのものに聴従しながら、それを守蔵することである。
ハイデッガーのこうした後期の存在の思索が、『存在と時間』の目標であった存在そのものの解明と連続しているか否かについては、いろいろ議論があるが、しかし人間の本来的なあり方についての見方が、悲劇的、英雄的実存から諦観(ていかん)的開存へと変化していることは確かで、そうした意味では後期のハイデッガーをサルトルなどと同列の実存主義者とみることはできない。なおハイデッガー自身は、前期・後期を通じて一貫して実存哲学者とか実存主義者とよばれるのを拒否していることも、付け加えておこう。
[宇都宮芳明 2015年3月19日]
『宇都宮芳明他訳『ハイデッガー選集』全33巻(1952~1983・理想社)』▽『辻村公一他編『ハイデッガー全集』全102巻(1985~ ・創文社)』
ドイツの哲学者。西南ドイツの小村メスキルヒでカトリック教会の職員の長子として生まれ,普通教育のあと司教に嘱望されて1909年フライブルク大学に入学し,はじめ神学を,やがて哲学を修めた。この転向については,F.ブレンターノの《アリストテレスにおける存在の多様な意味について》(1862)という学位論文の精読から得た感銘が契機になったと伝えられる。はじめリッケルトやE.ラスクの代表する新カント学派の影響を受け,ついでフッサールの《論理学研究》(1900-01)から決定的な啓発を受け,15年に同大学の私講師に任ぜられると同時に,フッサールの助手としてその指導のもとにアリストテレスの現象学的解釈にたずさわった。この哲学史研究を深めていくうちにフッサールの超越的観念論とたもとをわかち,アリストテレスの形而上学のうちに余映をとどめている初期ギリシア思想の存在経験の傾向を深化させ,これによって〈cogito,ergo sum〉を拠点としたデカルトに始まる近代的思惟の限界を突破することに努めた。23年マールブルク大学教授に転じ,ヨーロッパの形而上学の歴史についての多彩な解釈を展開するかたわら,新約聖書学者ブルトマンとの親しい対話のなかで西洋哲学の根本的基調を対比的に体得するに至った。この時期の思索の蓄積が主著《存在と時間》(1927)として公表され,1920年代のドイツ哲学界に深刻な衝撃を与えた。その構想はさしあたり,人間の実存から出発してそこへ帰着すべき解釈学的存在論と,これの基礎づけの提唱として表明された。この腹案は計画通りの完結をみるに至らなかったが,28年フッサールの講座後継者としてフライブルク大学に移り,そこで活躍するうちに,根本から変容された。彼は各学期の講義でヨーロッパ哲学史の由緒あるテキストの克明な解釈と根源的な批判を通じて,ますます近代哲学の限界を明らかにし,同時に《存在と時間》の本旨を深化して新しい地盤をたしかめることに努めた。その歩みはのちの多くの論著,なかんずく《ニーチェ》(1961)のうちにたどることができる。
33年ハイデッガーは不本意ながらフライブルク大学総長となり,ナチスの大学再編にもそれなりに荷担せざるをえなかった。そのドキュメントは《ドイツ大学の自己主張》(1933)と題する講演である。しかし,在任わずか1年でヒトラーの文教政策に失望して辞任,それ以後は深い孤独の中で,きびしい時代批判のなかから《存在と時間》の問題の再考に沈潜し,とりわけヘルダーリンの詩とニーチェの形而上学との批判的体得という作業のなかで新しい思索の深化と集中に努めた。この時期の思索の境涯はほとんどすべて,第2次大戦後にはじめて多くの著作の中で公表されたものである。45年ドイツの敗戦とともに休職し,50年にフライブルク大学に復帰,いわばハイデッガーの後期思想とも呼ぶべきものが相次ぐ論究の出版によって明らかにされた。このハイデッガー思想の〈転回〉は1935年ごろから顕著な形をとりはじめ,その後の歩みは《存在と時間》に匹敵すべき体系的主著に集成されることなく,おびただしい解釈と論述の形でかなりの紆余曲折をたどっているので,明快な形で簡単にまとめることはできない。彼が自分の思索の様式を伝統的な体系とか理論とか方法の型に合わせず,率直に〈思索の道〉と呼んでいるのは,このためである。
若きハイデッガーの思索がどのような境涯と系譜から由来していたかを詮議することは困難な作業であるが,とにかく存在者の存在の意味を人間の実存的存在経験へ立ち帰って解明しようとして,その限りでフッサールの(デカルト的な)観念的予断を批判的に克服することに努めながら,問いつつさかのぼるべき根源的存在経験としては,なおキリスト教的実存(キルケゴールからブルトマンに至る血脈)にあまりにも深く連帯していたということは否めない事実である。キルケゴールへの一時的共鳴やブルトマンとの親交が,このことを証拠だてている。この意味で当時の実存思想が結局はやはり一種の(神学的な)世界疎外によって条件づけられていたということがしだいに摘発・自覚され,この自覚が後期への転回の強いモティーフになったことは明らかである。〈転回〉の時期がヘルダーリン解釈(《ヘルダーリンの詩の解明》1944)とニーチェ批判によって占められていたことが,その間の内情をうかがわせる。なぜなら,ニーチェによって素描されていたものがキリスト教への反逆的な拘束を刻印されていることを明示するハイデッガーのヘルダーリン,ニーチェ解釈の主旨が,伝統的存在論(プラトン主義)の継承によって覆われていた悲劇的世界経験の再興をめざし,あるいはそれに対応することに向けられていたからである。
ここまで来ると,かつて《存在と時間》のなかでいわば形式的に導入されていた〈世界内存在〉という概念における〈世界〉もしくは〈世界性〉という概念が否応なしにある具体性を帯びてくることになる。存在・真理・世界は,決してその相関性を失うことはないが,その内実は変遷する。それも人類の歴史の重要な転換期ごとに存在・真理・世界がそのつど別な現象の系列として出現するというだけではなく,それらがきわめて早期からそれぞれの人間的意味を減衰させ,ついには存在と世界の喪失へむかって滔々と流れていくという含みを帯びてくる。すなわち後期ハイデッガーの思想は,その先端において〈ヨーロッパのニヒリズム〉との,ニーチェのそれとはまったく異なる対決へと呼び立てられるのである。この世界はギリシア人のいうコスモスでも,キリスト教徒の信じる摂理の舞台でもなく,もはやいかなる体系化も意味づけをも不可能にする渾沌,無へと突きすすんでいく過程そのものにほかならない。それゆえに,この動向に対応する哲学は,それ自身ある--いな特別の--歴史性を帯びざるをえない。〈故郷の喪失が世界の運命となる。それゆえに,この世界を存在史的に思索することが必要となるのだ〉とハイデッガーは述べて,彼の思想全体をつらぬくモティーフを明言している。彼が後期思想において語り出そうと努めているのは,このように無化しつつある世界の不安な消息であり,そしてこの世界を背景とも地盤ともして到来しつつあるヨーロッパの歴史全体の運命なのである。なお,主著には上記のもののほか,《カントと形而上学の問題》(1929),《ヒューマニズムについての書簡》(付《プラトンの真理論》。1947)などがある。
執筆者:細谷 貞雄
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1889~1976
ドイツの哲学者。主著『存在と時間』(1927年)で現象学的な存在論を展開。ギリシア以来現代までのヨーロッパ哲学を存在忘却の哲学と批判し,存在者と区別された意味での存在そのものを追求している。ナチスとの関係が問われているが,現代哲学への影響多大。
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…このような意味での意識をとくに重視するものに,現代の実存主義の哲学がある。例えばハイデッガーは,人間特有の在り方を〈前存在論的〉な〈自己了解〉にあるとみなし,そうした在り方を〈実存〉と呼んだが,サルトルも,いわゆる無意識とは実は〈非定立的自己意識〉,すなわち非主題的,非対象的な自己意識にほかならないとして,無意識の存在を否定し,人間の根源的自由を力説した。彼によれば,神経症といったものも,各自の選択した生き方なのである。…
…すなわち記号の解釈を通して,いかにして他者の生を了解するか,である。 ハイデッガーは《存在と時間》(1927)において,了解の認識論を了解の存在論に転回することによって,この論理的難点(アポリア)を克服しようとした。そこで展開される基礎的存在論とは,〈存在を了解しつつ存在する〉現存在(人間)の存在解釈学なのである。…
…19世紀後半は実証主義の隆盛による形而上学の衰退と特徴づけられるが,二つの世界大戦は認識論的な反形而上学の立場から,有限な人間の人間本性の展開に基づく人間の形而上学を復活させた。ベルグソン,シェーラー,ハイデッガー,ヤスパースなどの試みがそれである。他方,後期ハイデッガーは西洋の歴史を形而上学の歴史とし,その極を技術すなわち原子力時代の形而上学と見,形而上学の克服は在来の形而上学の始原とは別の始原の到来によるほかはないとする。…
…シェーラーは当時進行中であった生物科学(生物学,生理学,心理学)の方法論的改革,ことにユクスキュルの〈環境世界理論〉を批判的に摂取し,人間が一個の生物でありながら,その生物学的環境を超えて人間独自の〈世界〉に開かれているありさまから人間を見てゆこうと企てたのである。同じフッサールの弟子ハイデッガーは《存在と時間》(1927)において,シェーラーのこの着想も採り入れながら,人間の基本的存在構造を〈世界内存在〉としてとらえ,そのようなあり方をする人間が世界や多様な世界内部的存在者ととり結ぶ能動的かつ受動的な関係の総体を解明し,さらにはその関係の根本的な転回の可能性をさえ模索する壮大な存在論を構想する。 やがて1930年代に入り,ナチス政権のもとにドイツ哲学が圧殺されるころには,現象学はフランスに移植され,サルトルの《存在と無》(1943)やメルロー・ポンティの《行動の構造》(1942),《知覚の現象学》(1945)において新たな展開をとげる。…
… (1)コギトを重んずる現代の哲学としては,何よりもまず実存主義の哲学があげられる。例えばハイデッガーは,人間をたえず〈前存在論的〉に〈自己了解〉しているものととらえ,そうした人間の在り方を〈実存〉と呼んだが,サルトルはそのような自己了解を〈非定立的自己意識〉と規定して,実存をコギトに直結させようとした。われわれは自分自身を反省するまでもなく,いつもすでにおのれを非対象的,非定立的に意識しており,したがって人間のどんな在り方も自由な選択の結果にほかならないというわけであった。…
…ニーチェもまた不断に脱自的であらざるをえない人間を〈力への意志〉に基づく〈超人〉と名づけ,無意味な自己超克を繰り返しているかに思われる運命を肯定することに意味を発見した。〈実存哲学〉の語が定着するのは,第1次大戦後の動向のうちとくに《存在と時間》(1927)に表明されたハイデッガーの哲学を念頭に置いて,これを〈人間疎外の克服を目指す実存哲学〉と呼んだF.ハイネマンの著《哲学の新しい道》(1929)以降であり,ヤスパースがこれを受けて一時期みずから〈実存哲学〉を名のった。ほかに,ベルジャーエフ,G.マルセル,サルトルらの哲学を実存哲学に含めるが,彼らは必ずしもみずからの哲学を実存哲学と呼んではいない。…
…〈全体が真理である〉と説くヘーゲルの真理概念も,弁証法的に統合されたあらゆる経験の整合的全体を究極的真理と見るわけであるから,やはり整合説に属すると考えてよい。 しかし,今日では述定判断の真理性の根拠を追求し,それが前述定的経験の明証性に基礎を置くと見るフッサールやハイデッガーのような考え方もある。彼らは,存在者がそれにふさわしい経験においてあらわに立ち現れていることを根源的真理と見るのであり,これは原初のalētheia的真理概念の復権と見てよい。…
…〈ある〉〈存在する〉ということについてのこうした特異な考え方は,たとえば英語のbe動詞にあって,〈……がある〉という意味の完全自動詞としての用法よりも〈……である〉という意味の不完全自動詞としての用法の方が優越しているという事実にも現れている(ドイツ語やフランス語では,〈……がある〉と言うとき,英語のbeに当たるseinやêtreは原則的には使われないくらいである)。おそらくわれわれ日本人にとっては,〈ある〉〈存在する〉ということは,もっと単純な事態であり,われわれは〈存在〉という言葉を聞くとき,〈である〉をも含意した〈がある〉を思い浮かべるのが普通であろう(たとえば現代ドイツの哲学者ハイデッガーなどが,wesenという動詞で言い当てようとしているのもこうした意味での〈ある〉である)。すべての存在者を〈フュシス〉と見ていた古い時代のギリシア人にとっても事情は同様であり,そこでは〈ある〉〈存在する〉ということはもっと単純な事態であったにちがいない。…
…M.ハイデッガーがその最初の主著《存在と時間》の序説部分において特記している新しい造語。それは何よりもまず人間存在の具体的形態をつらぬく根本構造として提示され,とくに従来の主観概念の変革を意味する。…
… 同じように,同時代人の思想のうちに刻印を残した哲学的立場として実存主義と論理実証主義をあげることができよう。前者は社会的分裂と政治的崩壊の時代を生きる現代人の不安と孤独をみつめ,そこから真の主体性確立の契機を引き出そうとするもので,M.ハイデッガー,K.ヤスパースがその代表者であった。後者は経験的に立証できる命題のみに意義を認め,宗教,道徳にかかわる心情的陳述をあくまで排除しようとしたもので,L.ウィトゲンシュタインに始まり,B.A.W.ラッセルがさらに発展させた。…
…M.ハイデッガーがその最初の主著に付した表題。1927年刊。…
…同時に,従来は客体と対象との側面から,すなわち自然,神,動物,機械との差異においてのみ認識されてきた〈人間存在〉を,真に〈人間存在〉として根本に据え,人間存在に基づく存在論を建設しようとしたのは,実存哲学であり,哲学的人間学であった。 ハイデッガーは人間を〈現存在Dasein〉と呼び,現存在の存在・存在意味を〈関心〉〈時間性〉とし,現存在の分析論を〈基礎的存在論Fundamentalontologie〉と呼び,人間以外の存在者に関する諸存在論の基礎を与えるものとした。彼は基礎的存在論を〈現存在の形而上学〉の第1段階とし,人間の存在を通路とする基礎的形而上学を構想した。…
…したがってここでは,おのれが世界のうちに生きていると信ずる自然的態度に対して,それを超え出た態度が超越論的態度なのである。(4)存在論的超越概念 ハイデッガーにあっては,人間存在の存在構造がそのまま〈超越〉とよばれる。彼の考えでは,人間は他の動物のようにそのつど出会う対象にかかりきりになるのではなく,それらからいわば身を引きはなして,すべてのものをまず〈在るもの〉として,〈存在者〉として見ることができる。…
…そういう危機的状況から逃避せず,むしろそれに徹底することを通じてそれを超克しようとする〈ある極端なニヒリズム〉に,彼のすべての根本思想の核心が存する。 これに対してハイデッガーは,ヨーロッパの形而上学そのものが全体としてニヒリズムにほかならず,それはプラトンに始まりニーチェにおいて完結したと見る。彼によれば,形而上学の根本的な問いは,〈なぜそもそも存在者があるのか,虚無があるのではないのか〉という形でライプニッツによって初めて定式化された。…
…たとえばサルトルが,〈人間においては存在が本質に優先する〉というテーゼによって,〈実存主義〉を唱えながら,やがて〈われわれは,ただ人間のみが存在するような地平にいる〉というテーゼによって,〈実存主義はヒューマニズムなり〉と主張するとき,ヒューマニズムという立場の根拠に関するあいまいさと混乱があらわになる。ハイデッガーの《ヒューマニズムについて》(1949)は,こういう多義性に直面して,〈ヒューマニズムという言葉に一つの意義を取り戻すことができるか〉という問いに答えようとしたものであるが,彼はヒューマニズムを,存在者の存在についての特定の解釈を前提にした形而上学の系譜に属するものとして,それから一線を画し,人間中心主義の形而上学の超克という方向で,むしろヒューマニズムを超えることを志向している。また,ハイデッガーに次いで1960年代以降ドイツ哲学界の声望を集めたアドルノは,自然支配の原理のうえに自己を確立してきた人間主体が,逆に自然に隷従するという《啓蒙の弁証法》(1947)の立場から,人間の自己疎外の問題を,むしろ自然の自己疎外の問題としてとらえ直そうとしている。…
…このように外見上暴力と無縁な精神と思考にとって,排除する暴力が不可欠の構成因となっている。ハイデッガーやアドルノは,それぞれのしかたで,理性の道具化と道具的理性の暴力性を指摘した。理性自身が排除的理性からどう免れるかは,現代の最も重い課題となった。…
…S.フロイトならびにユングから直接の影響を受ける。1950年前後からは哲学者ハイデッガーと親交を結ぶにいたる。彼は《存在と時間》にはじまるハイデッガーの思想が,従来の医学界において支配的であった機械論的・心身二元論的人間観を克服し人間理解への新しい地平を開いたと考え,ハイデッガーの思想を精神医学的な人間理解に忠実に適用した。…
…だが現代の実存哲学において無は初めて主題化されるにいたった。ハイデッガーは,人間の現存在を死の不安においてある存在として把握し,また伝統的形而上学においてはもっぱら存在者が問題にされて,無としての存在が忘却されてきたと批判した。サルトルは,意識としての人間の対自存在そのものを〈無化する無néant néantisant〉として把握した。…
…いずれにせよ了解の基盤は,個別的に実現しているわれわれの生の普遍性である。ハイデッガーはこの了解概念をさらに拡大・形式化し,これを気分とともに世界にかかわる現存在のあり方,その自己遂行の基本的様態としてとらえた。そうしたものとしての了解は,例えば道具の意味の了解,つまりその使用能力をも意味するものとして,“実践的な”性格をもつ。…
…良心としてのsyneidēsisという語の最古の用例はデモクリトスに見いだされるが,ストア学派以外で近代的良心概念にとってとくに重要なのは新約聖書,とくにパウロ書簡における用例であり,それは神のことばに対する恐れの内面化と解されうる。これはルター,カルバンを経て,とりわけ近代イギリスにおけるモラル・センスmoral senseの理論(すなわち公平な内的傍観者の理論)やカントにおける内的法廷としての良心の概念というかたちで,近代的な人格の〈自律〉という思想のうちに継承され,さらにはハイデッガーの実存思想における良心の呼び声という概念のうちにも生き続けている。良心は広義には道徳意識の根源的統一を表示する概念ではあるが,罪責感や悔恨の意識を生じさせる内からの〈呼び声〉が良心の最も本来的な現象である。…
…彼の思想的営為は伝統的価値が清算される一段階であり,むなしい努力ではあったが,その努力自体がワイマール文化のエートスでありパトスだった。だがワイマール文化の逆説的な両義性の思想的頂点はハイデッガーの《存在と時間》(1927)だった。そこに示されている精神の姿勢は,実存主義という遺産となって,ワイマール文化のジレンマを今日に伝えている。…
※「ハイデッガー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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