乞食(読み)コジキ

デジタル大辞泉 「乞食」の意味・読み・例文・類語

こ‐じき【乞食】

《「こつじき」の音変化》
食物や金銭を人から恵んでもらって生活すること。また、その人。ものもらい。おこも。
こつじき1」に同じ。
「食ふべき物なし。雪消えたらばこそ、出でて―をもせめ」〈古本説話集・下〉
[類語]物乞い薦被り

こつ‐じき【乞食】

[名](スル)
僧侶が修行のため、人家の門前に立って、食を請い求めること。また、その僧。托鉢たくはつ分衛ぶんえ。「乞食行脚あんぎゃ
こじき(乞食)1」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「乞食」の意味・読み・例文・類語

こつ‐じき【乞食】

〘名〙 (「こつ」は「乞」の慣用音。「じき」は「食」の呉音)
① 仏語。僧が、人家の門に立ち、食を請いもとめながら行脚(あんぎゃ)し、仏道を修行すること。また、その僧。頭陀(ずだ)。行乞(ぎょうこつ)。分衛。托鉢(たくはつ)。こじき。
※令義解(718)僧尼「其有乞食者。三綱連署。経国郡司。勘知精進練行判許」 〔法集経‐一〕
② こじきをすること。また、その人。
※方丈記(1212)「乞食、路のほとりに多く」
※源平盛衰記(14C前)四二「辛命生て、乞食(コツジキ)して這々京へ上ける者也」 〔称謂録‐乞・乞食〕
[語誌](1)中古の「こじき」は促音の無表記で、「こっじき」と読むべきか。中世から近世にかけて「こつじき」が一般的で、近世にしだいに「こじき」が増え、近代以降「こじき」が普通となった。
(2)本来は托鉢(たくはつ)のことで僧の修行の一つであったが、中世頃から物もらいの意が主になり、近世になると托鉢の意ではあまり用いられなくなる。

こ‐じき【乞食】

〘名〙 (「こつじき」の変化した語)
① 他人から金銭や食物などを恵んでもらうこと。また、そのようにして生活すること。そういうことをする人をもいう。おこも。ものもらい。乞丐(こつがい)。かたい。ほいと。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「かうぜちとては、こじきするまねをする」
※玉塵抄(1563)一四「存外にをごれば徳や果報がつきて、子孫もなく、あれども、ひらうしてこじきするぞ」
※古本説話集(1130頃か)五三「この法師、糧たえてひごろふるままに、くふべき物なし。雪きえたらばこそ、いでてこじきをもせめ」
[補注]家々を訪れては神の祝福のことばを告げて、食を乞い求めた「ほかいびと(乞食)」が、仏教の頭陀行(ずだぎょう)の一つである「乞食(こつじき)」と混淆して、「こじき」の語を生じた。

こじ・く【乞食】

〘自カ四〙 (名詞「こじき」を活用させた語)
① 乞食をする。
仮名草子・長者教(1627)「うきよをば、ゆめとおもひて、あそぶこそ、しなねばのちは、こちくばかりよ」
② 「行く」「する」などの動作を卑しめていう語。
※雑俳・川柳評万句合‐明和五(1768)梅三「六夜待ち又野郎めがこじくのか」

こつ‐じ・く【乞食】

〘自カ四〙 (名詞「こつじき(乞食)」を動詞化した語) 乞食をする。こじく。
※幸若・信太(室町末‐近世初)「身はうへ人となるまま袂に物をこつしき」

こち‐じき【乞食】

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改訂新版 世界大百科事典 「乞食」の意味・わかりやすい解説

乞食 (こじき)

食物や生活に必要な金品を他人に乞うて暮しをたてている者の総称。

こじきは地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。ただしコジキの呼び名がもともとは仏教僧の托鉢たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように,その多くは本来の意味からの転用である。したがって,こじきの範囲は今日一般に考えられているよりもはるかに広く,そのさかいめもあいまいであった。

 ではたとえば近世以前の社会では,こじきとはどのような人々と考えられていたのだろうか。江戸時代の随筆類や風俗調査などにあらわれたところを大きく分類すれば,この時代のこじきに,(1)純然たる物もらいのためのこじき,(2)托鉢勧進する宗教者,(3)門付(かどづけ)芸人,(4)旅をする行商人,などをあげることができる。

 このうち第1のタイプのものはおそらくどの時代にも普遍的に存在した。それは冷厳な経済の構造が多くの人々を社会の外へと切り捨てていった結果にほかならないが,風あたりはことに病人に対してきびしかった。カタイというこじきの呼び名が,業病とおそれられた癩(ハンセン病)の異名であるとした土地が少なくないことにも,それはよくあらわれている。彼ら病人たちはこじきとなって故郷を捨て,しばしば治外法権的な性格をもった神社仏閣の庭にたむろして余命をつないだのである。

 2番めのタイプのこじきには勧進僧,六十六部巡礼など,いずれも旅をむねとする宗教者が含まれる。仏典によれば比丘(びく)の生活には十二頭陀(ずだ)行と呼ばれる12の戒律があり,乞食(こつじき)行はその一つとされる。托鉢というのもこれと同じで,修行僧が煩悩のあかをおとし衣食住にむさぼりの心をおこさないため,門ごとに食物を乞い歩くことをいう。したがって午前中に行うこと,生命をささえるにたるだけにとどめることなど,いくつもの厳格な制約があった。しかし一方では働かずに食物を手に入れられるところから旅僧まがいの世間師や故郷で食いつめた巡礼など,ほとんどこじきとしかいいようのないものも少なくなかったのである。

 第3の門付芸人には,節季候(せきぞろ),万歳(まんざい),春駒のように一年中の定まった季節にやって来るものと,説経,祭文,歌比丘尼などのように時を定めぬ者とがいた。いずれも第2の場合と同じく,もともとこじきだったわけではない。むしろ季節を定めて祝福に訪れてくる神々への信仰に源流をもち,神の姿をした祝福芸人〈ほかい人〉の末裔にほかならなかった。だから,《万葉集》巻十六に〈ほかひびと〉の歌がおさめられていることからもわかるように,その起源はきわめて古いといってよい。しかしこれら祝福芸がたとえば能や狂言などのように社会の上層に上昇転化するきっかけを失い,また近世に入ってからは,これらの芸をになった人々のほとんどが,差別視された身分におとしめられるにつれ,かつての巡遊芸人たちもこじきと同様にみなされるに至ったのである。

 また最後のタイプのこじきにはたとえば,おもに箕(み)なおし,筬(おさ)作りなどにたずさわったといわれる山窩さんか),オゲと呼ばれる漂泊漁民,野鍛冶などがあたる。彼らの場合も,中世から近世にかけて都市が発達してゆく過程で,そこに定着することに失敗した職種の商人たちが,のちのちまでこじきとして残されてしまったのであろう。

 いずれの型のこじきにしろ彼らに共通する特徴として,経済的にも身分的にも社会の最下層に位置していること,社会の一般的な経済システムから排除されていること,そしてきわめて放浪性の高いことがあげられる。逆に土地に根づく農民を主体に作られてきた日本の文化にあっては,一ヵ所に定住しないことはみずから食物を作り出さないことであったから,旅の境涯にある人々の生活様式は必然的に物乞いであるほかはなかったであろう。その意味では,旅を基盤にした文化,あるいは都市でつちかわれてきた文化とは,こじきとそれにまつわるさまざまな習俗を生み出してきた文化であるともいえる。

 一方,農民はじめ一般庶民の間にも習俗化された物乞いの行為が入りこんでいることが少なくない。たとえばまぶたに生ずるはれものをモノモライとかメボイト,メコジキなどこじきを意味することばで呼ぶのは,近所の家々をまわって障子の穴から手をさし出し,すこしずつ食物をもらい歩いて食べるとよいなどという民間療法からきている。そのほか八月十五夜の月見のだんごを盗んで食うと健康になるというのはよく知られた風であるし,小正月のころ若者や子どもたちがわざとこじきのなりをして家々から金品や食物をもらい歩く,カセドリとかコトコトなどと呼ばれる習俗もかつては全国に分布していた。これは食物をともにすることにより,多くの人々と力をあわせ,より健康な生活をおくることができると信じた心意にもとづく慣行だと考えられている。

 これに対して,一般庶民が,門ごとに訪れるこじきたちに対していだく期待も少なくはなかった。江戸時代の四国諸藩がたびたび乞食遍路の取締りを行いながらも,彼らを弘法大師の化身とみなす庶民信仰にはばまれてついに成功しなかったのは,乞食行脚(こつじきあんぎや)の宗教者に対する民衆の期待や信仰がいかに強かったかを物語っている。施される金品とひきかえにこじきたちは宗教的な霊威や門付芸による祝福,あるいは生活上必要な物資さえもたらした。つまり都市や農村に住む民衆にとってこじきとは,生活圏の外から訪れてくる,なかばの期待となかばの恐れとをもって迎えるべき神聖な旅人でもあったのである。
執筆者:

中国ではこじきは一般に〈乞丐(きつかい)〉と呼ばれ,また仏教で俗に施物を乞うことを〈教化〉といったことから,転じて〈叫化子〉あるいは〈叫花子〉〈花子〉とも称された。貴賤の観念からすると,〈娼,優,隷,卒〉すなわち娼妓,俳優,小役人,兵卒が賤流とされたのに対して,こじきは社会的にその範疇にはいらないが,決して敬われる存在ではなかった。

 古くからその社会にもギルドに似た組織があり,頭目は〈丐頭〉〈団頭〉と呼ばれた。一説には,明の太祖が難民を統制するため,その手形として皇帝をあらわす黄色のふさのついた棒を与えたのに始まるといわれ,こじきの側でも,なにがし皇帝は立身出世する前はこじきだったので,とくにその恩沢をうけて今にいたるというように,組織の沿革を説くこともあった。頭目の下には小頭目も置かれ,配下のこじきたちはほぼ年齢によって順位づけられて,物乞いすると,その一部を日銭として上納しなければならず,新入りのものは数日にわたり稼ぎのすべてを献納した。一方,頭目は組織の頂点にたつ者として,配下のこじきを指揮統制し,仲間内の縄張りあらそいなどには絶対的な発言力をもち,家々で誕生祝いや婚礼などの慶事があると,こじきを代表して祝儀をもらいにゆく役目もあった。また天候のすぐれないときや,配下に病人が出たり死亡したときには,そのいっさいのめんどうをみる義務もあった。この頭目の役は世襲されることもあったが,おおむね仲間の最高齢者が跡目をついだ。

 このような厳格な組織のなかで,施主に対する呼びかけ方や憐れみを乞う哭(こく)し方,あるいは物乞いの際に唱えるめでたいことばも伝習されたが,中には街頭で見世物まがいのことをやってのけるものもあった。清末から民国初年のころの旧北京には,ナイフや煉瓦(れんが)などで自分の肉体を傷つけたり,皿まわしやヘビをあやつるもの,失明した目や障害をきたした手足をみせるものも見られたという。〈乞食芸〉として〈喜歌〉や〈蓮花落(れんげらく)〉も歌われたが,これらの歌謡は頭目やその専門の師匠から伝授されるものであった。〈喜歌〉は〈門付芸〉の性格をもち,婚礼,誕生祝い,新築,開店などに歌われる祝儀歌であり,〈蓮花落〉はすでに宋代ころから行われていたらしく,民国以後は〈改良蓮花落〉と称されて一種の茶番劇と化した。のちに〈蓮花落〉とともに雑芸場で上演されるようになった〈(すう)来宝〉も,〈乞食芸〉に始まるという。このほか江南地方には,こじきたちが扮装して家々をまわる〈跳竈王〉〈跳鍾馗〉という旧暦12月の行事のあったことが,宋の呉自牧の《夢粱録》や清の顧禄《清嘉録》から知られる。また文学の世界でこじきというと,のちに戯曲化もされた唐の伝奇小説《李娃伝(りあでん)》の主人公がとくに有名であるが,明末刊行の《喩世明言》と《今古奇観》に収められた〈金玉奴棒打薄情郎〉は,団頭のひとり娘の結婚を題材とした物語で,こじきの社会的な面もうかがえる。
執筆者:

こじきは一般的には贈与,互酬関係のなかで成立する人間の生活形態である。富める者は再分配の義務を負うが,貧しい者は施しを受け,その代りに富める者のために祈るという関係は,どの宗教においても普遍的にみられるものだといえる。ヨーロッパにおいてはこのような関係のうえにキリスト教の教義が形成され,現世における最大の善行のひとつとして喜捨が位置づけられ,そのためにこじきの存在がキリスト教倫理の前提とされていた。中世においてはこじきは現代と違って社会的に容認された存在であり,こじきの仲間団体すら結成されていた。社会的には,貧民救済の制度が不完全で,食を求める行為として認められる必要があったためであるが,貴族や高位者はつねにこじきに取り巻かれ,物惜しみせずに喜捨しなければならなかった。それゆえにS.ブラントの《阿呆船》(1494)の63章にあるように,職業としてこじきが成立しえたのであった。一方で托鉢修道会のように所有を否定し,托鉢によってのみ生活する修道会も生まれていた。こじきは決していやしむべき生活態度ではなかったからである。健康な身体をもった者が片足,片腕,盲目などに苦心して身をやつし,多くの人々の同情をひき,人々は自分の霊の救いのためにこじきに施物をする。こじきへの喜捨は,施す人の霊の救いを確保する最も簡単な方法であったから,多くの人々は遺言書のなかで死後に遺産のなかからこじきにパンを分け与えるよう書きのこしている。このようにして中世末にはこじきがあふれてきたため,たとえばドイツのフランクフルト・アム・マインなどではギラー小路など街の一部にこじき街をつくり,こじきをする日も数日間に限定し,特定の場所を指定しはじめるようになった。すでに宗教改革以前にこじき取締法がつくられ,こじきには目印をつける義務が課されていた。しかし村のなかではよそ者のこじきと村出身のこじきとは区別され,村抱えのこじきには特定の日に施しをすることが長い間定めとなっていた。
執筆者:

コーランは信者に対して〈その財産を,近親者,孤児,貧者,旅人,物乞い,奴隷の解放のために費やす〉べきことを繰り返し説いている。そのためイスラム社会ではこじき(スールークṣu`lūk,ハルフーシュḥarfūsh)や貧者(ファキール)に対する自発的な喜捨(サダカ)が奨励され,施しは来世のために善行を積むことになるとみなされた。モスクに集まるこじきには入口のひさしで夜を過ごすことが認められ,礼拝を済ませた信者は,これらのこじきに相応の施しをすることが慣例となった。12世紀以後,多くの托鉢者(デルウィーシュ)が現れ,スーフィーとしての修行の旅を続けることができたのも,このような施しの社会慣行があったからにほかならない。またマムルーク朝時代のアミールたちは,それぞれ特定のこじき集団を抱えていたが,これによってアミールは日常的な施しの機会をもつことになり,ムスリム大衆に対して,公正でしかも気前のよい支配者であることを印象づけることができた。9世紀以後のアラブの散文学は,洗練された都会の教養人と対比して,こじきや浮浪人などの下層民を好んで取り上げ,やがてこじきを主人公とするマカーマートやカシーダ(長詩)も書かれるようになった。

 しかしこじきとなるのは,清掃人や墓掘人,あるいは無頼人などと同様に,イスラム社会の最下層民である場合が多かったから,いきおい押しつけがましい物乞いや偽って不具に見せかける者の数が増大した。スブキー(1370没)はこのようなこじきをシャッハーズと呼んで〈職人づくし〉の最後に取り上げ,彼らによる物乞いのための技巧を詳しく説明している。それによれば,モスクの礼拝者やカーッス(説教師)を取り巻く聴衆にしつこくつきまとうのは忌むべきこととされた。これらのシャッハーズを取り締まるのは,ムフタシブ(市場監督官)の役目であった。こじきへの施しを徳として奨励し,またこれを脱俗的な聖者の一種とみなす一方では,このように健全な社会生活を乱す者であるとする見方が近代以降にも受け継がれて,今日にいたっている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「乞食」の意味・わかりやすい解説

乞食【こじき】

食物などを他人から貰い乞う行為,またそのことによって生活を営む人をいう。仏教語の〈乞食(こつじき)〉が転じて用いられたもの。仏教では托鉢(たくはつ)して食を乞い受ける〈乞食行〉は,解脱(げだつ)を求める出家修行者がなすべきもっとも基本的な修行の一つである。〈こつじき〉がいずれの時点で〈つ〉音の脱落した〈こじき〉となったかは,はっきりしないが,院政期の成立で鎌倉中期の書写になる《古本説話集》には,〈雪きえたらばこそ,いでてこじきをもせめ……〉とある。また,僧の修行以外の〈乞食〉の例としては,早く《万葉集》に《乞食者詠二首》とみえ,この〈乞食者〉は〈ほかひひと〉と訓まれただろうと考えられている。〈ほかひ〉は〈ほく(祝く・寿く)〉に基づく語で,2首の内容からも古く寿祝芸能をもって仕えた何らかの芸能者集団の存在が想定される。市などの人の集まる場や人家の門口で種々の芸能を奉仕し,食物や金銭を得る行為は,歴史的にも地域的にも広く確認でき,この〈ほかひひと〉はそれらに連なるものと考えられる。また古く〈こじき〉をいう語に〈かたゐ〉があるが,〈ほかいひと〉と〈かたい〉とは重なりつつも別概念であったかと思われ,〈かたい〉は〈ま〉に対する〈かた〉を語源とし,もともとから身体障害性と結び付いた概念であったらしい。1161年の《山槐記》に〈肩居(かたい)は東寺に群集し,乞食は西寺に群集す〉とあるなど,身体障害を有しない狭義の〈乞食(こつじき)/(こじき)〉集団とは区別されたと考えられる。〈かたい〉の用例は《日本霊異記》など古代の文献に広く見られるが,やがて身体障害性のもっとも高いと考えられたハンセン病の患者(〈癩者〉)に特徴的に使用されるようになった。〈こじき〉の排除・隔離が格段にすすむ近代以前には,〈こじき〉の語は,物を乞うという共通項の上にたって,以上の諸人・諸集団をはじめ,広く,托鉢勧進の宗教者や門付(かどづけ)芸人,さらには旅の行商人をも含めて用いられることもあった。〈こじき〉という営みは,世界のさまざまな文化に存在し,そのあり方は,宗教と深くかかわりつつ,贈与と施し,定住者と漂泊民,富と貧困の関係についての,それぞれの文化の意味づけを担って多様に変遷してきたものと思われる。
→関連項目托鉢

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「乞食」の意味・わかりやすい解説

乞食
こじき

こつじきともいう。本来は仏教の托鉢の意であったが,のち転化して,他人に物乞いをして生活する者を総称して乞食というようになった。路傍にすわって通りがかりの人から物乞いするのをカタイ,家々を訪れて金品をもらい歩くのをモノモライといい,薦 (こも) を着てどこにでも寝起きするのでオコモなどという。古語でホイトというのは祝人 (ほぎびと) の転じたもので,正月をはじめ年中行事のおりおりに家々を訪れ,めでたい祝福の言葉を述べ,そのお礼に金品をもらったもので,本来は万歳,春駒,福俵,大黒舞,獅子舞,琵琶弾奏などの芸を行い,その見返りとして施しを受ける者のことであった (→門付芸 ) 。

乞食
こつじき
paiṇḍapātika

仏教用語。インド一般の出家修行者に認められた生活法。一定の行儀作法に従って在家から食物を乞う。仏教ではその作法が律によって規定されている。日本では中国伝来以来托鉢の名称によっても知られる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「乞食」の解説

乞食
こつじき

托鉢(たくはつ)・行乞(ぎょうこつ)・分衛(ぶんえ)とも。少欲知足を旨とする出家者集団がみずからの生命・身体のたすけとするために,一定の規律・行儀にしたがって在家から食物を乞うこと。十二頭陀行(ずだぎょう)のうちの一つ。「僧尼令」などに規定があるが,規律は守られず,ついには物乞いのみする者を乞食(こじき)と称するようになった。

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普及版 字通 「乞食」の読み・字形・画数・意味

【乞食】こつじき・きつしよく

こじき。

字通「乞」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の乞食の言及

【乞食】より


[日本]
 こじきは地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。ただしコジキの呼び名がもともとは仏教僧の托鉢(たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように,その多くは本来の意味からの転用である。したがって,こじきの範囲は今日一般に考えられているよりもはるかに広く,そのさかいめもあいまいであった。…

【乞胸】より

…江戸時代から明治にかけて,都市を中心に活動した雑芸人(ぞうげいにん)で,いわゆる乞食の一種とみなされた人々の呼称。身分制度では町人の扱いを受けたが,万歳(まんざい),大黒舞(だいこくまい),節季候(せきぞろ),厄払,猿若(さるわか),辻放下(つじほうか),説経,講釈など,さまざまな雑芸を演じて門付(かどづけ)してまわり,わずかな報酬をえて生計をたてており,〈物もらい〉とも呼ばれた。…

【乞食】より


[日本]
 こじきは地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。ただしコジキの呼び名がもともとは仏教僧の托鉢(たくはつ)を意味する乞食(こつじき)からきているように,その多くは本来の意味からの転用である。したがって,こじきの範囲は今日一般に考えられているよりもはるかに広く,そのさかいめもあいまいであった。…

【托鉢】より

…サンスクリットのパインダパーティカpaiṇḍapātikaの訳で,行乞(ぎようこつ),乞食(こつじき)などとも訳される。インドでは婆羅門(ばらもん)教などに鉢をもって在家に食を乞(こ)うことが行われたが,仏教もその風習をとり入れ,出家した僧は,厳密に定められた種々の規律に従って行乞を行い,生活の手段とした。…

【漂泊民】より

…おのずとそれは,人間とその社会,歴史をとらえるさいの二つの対立した見方,立場にもなりうる。例えば定住的な農業民にとって,漂泊・遍歴する人々は異人,〈まれひと〉,神であるとともに乞食であり,定住民は畏敬と侮蔑,歓待と畏怖との混合した心態をもって漂泊民に接したといわれるが,逆に漂泊・遍歴する狩猟・漁労民,遊牧民,商人等にとって,定住民の社会は旅宿の場であるとともに,交易,ときに略奪の対象でもあった。また農業民にとっては田畠等の耕地が生活の基礎であったのに対し,狩猟・漁労民,商人等にとっては山野河海,等がその生活の舞台だったのである。…

【江戸時代】より

…人はなんらかの集団に所属して役を務めるべきであり,そうでないものは徒者(いたずらもの)として取り締まられた。乞食も,非人頭の手下でないものは野非人(のひにん)として捕らえられ,郷里のあるものは送り帰されて百姓とされ,ないものは非人頭の手下に編成されて町の清掃などの役を務めさせられた。乞食さえも役にたてずにはおかないのが,この時代であった。…

【賤民】より

…このほか皮剝ぎ(),羊飼い,犬皮鞣工,家畜を去勢する者なども同時に共同体構成員ではない存在として賤視されていたが,彼らも動物とかかわる点で,人間の共同体を超えた世界と接していたのである。 煙突掃除人,乞食,遍歴楽師,陶工,煉瓦工なども共同体構成員になれない存在であり,特に遍歴芸人のような放浪者は定住民の共同体成員からは怖れられ,賤視される存在であったが,彼らも,土,火,水などとかかわる点で共同体にとって不可欠なものでありながら,他面で危険なエレメントと深くかかわる存在として怖れと賤視の対象とされたのである。 狭義の共同体Mikrokosmosとその外に広がる世界Makrokosmosとの狭間に生きる以上の人々の仕事は共同体が成立する以前においてはまだ職業として確立していたわけではなかった。…

【浮浪者取締法】より

…16世紀イギリスで大量に発生した浮浪者や乞食に対する一連の残虐な抑圧立法。イギリスにおける浮浪者を取り締まる立法の歴史は,1348年の黒死病(ペスト)に端を発した労働力不足に対応し労働可能な貧民の物乞いを処罰し施与を禁止した,エドワード3世治下,1349年の労働者条例までさかのぼることができる。…

※「乞食」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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