モンジュ

デジタル大辞泉 「モンジュ」の意味・読み・例文・類語

モンジュ(Gaspard Monge)

[1746~1818]フランスの数学者。海軍大臣画法幾何学を創始した。また、解析幾何学の業績や、微分方程式のモンジュの方法でも知られる。

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共同通信ニュース用語解説 「モンジュ」の解説

もんじゅ

プルトニウムウラン混合酸化物(MOX)燃料を用いて発電しつつ、消費量を上回るプルトニウムを生むとされる高速増殖炉。開発段階の原型炉として造られた。1994年に核分裂が持続的に起きる臨界状態を初めて迎えたが、95年のナトリウム漏れ事故で長期間運転を停止。その後もトラブルが続発し、政府は2016年12月に廃炉を決めた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンジュ」の意味・わかりやすい解説

もんじゅ

日本原子力研究開発機構高速増殖炉原型炉。名称は釈迦仏の左脇侍の文殊菩薩にちなんだ。電気出力 28万kW。天然ウラン(→ウラン)に約 0.7%しか含まれないウラン235を燃料として消費する一般的な軽水炉に対し,高速増殖炉は発電中に,残りの約 99.3%のウラン238を,核分裂連鎖反応を引き起こすプルトニウム239(→プルトニウム)に順次,転換する。使用済み燃料を再処理して新たな燃料を創出できるため,増殖炉と呼ばれる。核分裂で生じる中性子を高速のまま利用するため,減速効果のある水の代わりに高温によって溶けた液体ナトリウムを冷却材として使う。「もんじゅ」は,日本原子力研究開発機構の前身,動力炉・核燃料開発事業団によって福井県敦賀市で 1985年に着工され,1991年に機器据え付け完了。1994年に初臨界(→臨界)を迎えたが,1995年,性能試験のための運転中に二次冷却系配管でナトリウム漏洩事故が発生(→原子力発電所事故)。事故当初,ナトリウムが建物内に飛散する様子を撮影していたにもかかわらず公表せず,地元住民らの信頼を大きくそこねた。2010年に性能試験を再開したが,約 2ヵ月間の基本試験を終えたのち,炉内中継装置と呼ばれる燃料棒交換用の装置を原子炉容器内に落下させる事故を起こし再び停止した。2012年には保安規定に基づく機器の点検漏れが約 1万個あったことなどが発覚し,2013年,原子力規制委員会の出した改善命令により,すべての機械の安全管理体制の見直しを行なうまで運転再開準備作業に着手できなくなった。

モンジュ
Monge, Gaspard

[生]1746.5.10. ボーン
[没]1818.7.28. パリ
射影幾何学を開拓したフランスの数学者。ボーンとリオンのオラトリオ会の学校に学ぶ。メジエールの士官学校の教官になろうとしたが,この学校は貴族の学校で,父が行商人であったため,製図工としてしか採用されなかった。しかし勤めているとき,要塞に大砲を据付ける問題を,それまでのような長たらしい計算によらないで,簡単な幾何学的作図を用いて解決し,その才能を示した。その結果,教官に採用され,画法幾何学を中心に,数学,物理を教えた (1768~83) 。パリに出て,海軍士官候補生の試験官となり (83~89) ,フランス革命が起ると革命支持者として,新度量衡制度委員会の委員に任命され (91) ,海軍大臣をつとめた (92~93) 。 1794年にはエコール・ポリテクニクの創設に参加し,創設後はこの学校の校長となり,また画法幾何学,解析幾何学微分幾何学の講義をした。ナポレオン1世に優遇され,そのエジプト遠征にも参加して,エジプトの文化発展のための諸機関の創設を助けたが,1814年,ブルボン王朝が復活すると,役職から追放された。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) での講義をまとめた『画法幾何学』 (99) と,エコール・ポリテクニクでの講義に基づく『解析学の幾何学への応用』 (1801) は,前者は射影幾何学,後者は解析幾何学を確立したテキストとされている。

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百科事典マイペディア 「モンジュ」の意味・わかりやすい解説

もんじゅ

日本原子力研究開発機構の高速増殖炉。福井県敦賀市の敦賀半島北端にある。MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を用い,消費した量以上の燃料を生み出すことが可能とされ,高速の中性子によって燃料のプルトニウムを増殖しナトリウムで冷却する。核燃料サイクル計画の一環を担う。原型炉として計画され,高速増殖炉の実用化に向けた技術の開発,その設計や建設,そして稼働の経験を通じて高速増殖炉の発電性能および信頼性・安全性を実証し,高速増殖炉の経済性が将来の実用炉の段階において既存の発電炉に対抗できる目安を得ることを目的とした。1970年計画開始,1985年に着工されたが着工時には計画段階の費用見通しの十数倍のコストが必要とされ,さらに着工後も建設費が高騰して1兆円を超える費用が投じられている。1995年試運転を開始したが,ナトリウム漏洩事故を起し運転停止。2003年名古屋高裁から設置許可取消が出されたが,2005年最高裁は〈安全審査は正当〉と判断,2010年5月に性能試験が再開されたがその間にもトラブルが多発,同年8月炉内中継装置の落下事故により再度運転停止。民主党政権行政刷新会議は2012年の試運転費の削除を提言,試運転ができなくなった。さらに高速増殖炉としてエネルギー源にしようとする計画は断念されることになった。しかし超ウラン元素の核変換用研究炉として存続させることが決められている。運転ができれば,核分裂性のプルトニウムの組成が98%という非常に優秀な核爆弾が製造されるという軍事的な思惑が基本にあるためという指摘が専門家から出されている。他方,もんじゅの補助建屋直下に活断層がある疑いが指摘されている。2013年5月原子力規制委員会は,運転準備中止命令を出した。

モンジュ

フランスの数学者。メジエールの陸軍工兵学校在学中に画法幾何学(立体図学)を創始,1771年同校教授,1780年パリ大学教授。フランス革命後は造兵の技術と組織に尽力,1790年メートル法制定委員会委員,1792年海相,1794年彼の提案によりエコール・ポリテクニクが創立された。ナポレオンのエジプト遠征に従軍し,1796年エジプト学会を創立。その後も微分幾何学,微分方程式等を研究。ブルボン王朝の復活とともに失脚。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンジュ」の意味・わかりやすい解説

モンジュ
もんじゅ
Gaspard Monge
(1746―1818)

フランスの数学者。ボーヌの職工の家に生まれる。初め工兵士官学校を志したが、職人の子弟は入学できないという規定があり、付属の技術下士官を養成する学校へ入った。モンジュは、三次元の立体を、形、位置、幾何学的性質が量的に正確に一見してわかるように二次元的に表現する方法として「投影の方法」を用い、この方法に数学的根拠を与え、あらゆる場合に適用できるように理論づけた。しかし軍事上の理由で公表を許されなかった。1780年パリに招かれ、流体力学や気象学の講義を行うなかで、自己の樹立した学問を公表し、学界にその名を知られた。

 1789年のフランス革命に参加し、ジャコバン党員となった。1792年8月10日、コンドルセの切望によって海軍大臣になったが、翌1793年辞職し、新たに設置された高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)の教授となり、画法幾何学を講義。また、1794年に設立された理工科大学校(エコール・ポリテクニク)で、画法幾何学、曲面論、空間曲線論を講義した。1796年モンジュは、ローマ法王からフランスへ譲渡された絵画と彫刻とを受け取るためにイタリアへ派遣され、このときにナポレオン・ボナパルトを知った。ナポレオンが皇帝になると上院議員になり、伯爵を授与されるほどの信頼を得た。しかし、ナポレオンが失脚し、ルイ18世が王位についた際、モンジュは新政府に忠誠を誓わず、公職から追放され、1818年7月28日にパリの一隅の陋屋(ろうおく)で寂しく他界した。

[小堀 憲]

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改訂新版 世界大百科事典 「モンジュ」の意味・わかりやすい解説

モンジュ
Gaspard Monge
生没年:1746-1818

フランスの数学者。フランス中東部の町ボーヌに生まれた。少年時代より測量技術に関心をもち,メジエール工兵学校を志望したが,庶民の出身のために許されず,築城技術者養成のための別科に入った。しかしすぐに頭角をあらわして,22歳で工兵学校教官となり,18年間勤務した。その間に画法幾何学を大成して,技術面のみならず数学に大きな足跡を残し,1780年にアカデミー・デ・シアンス会員に選ばれた。89年にはフランス革命軍に加わり,海軍大臣や兵器製造責任者になり,またエコール・ポリテクニクの設立(1794)と育成に献身的な努力をした。のちにナポレオンの知遇を得て,そのエジプト遠征には文化工作を担当し,伯爵にもなったが,ブルボン朝の復活とともに追われ寂しく死んだ。画法幾何学のほかにも,微分的方法による曲面の研究を行って微分幾何学の素地をつくった。著書に《画法幾何学》(1795)がある。
執筆者:

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知恵蔵 「モンジュ」の解説

もんじゅ

「もんじゅ廃炉」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のモンジュの言及

【原子力】より

… 日本は,98年12月末現在,52基,4500万kWの原子力発電設備が運転されており,世界で3番目の原子力発電国となっている。また,このほかに6基,約600万kW(高速増殖炉〈もんじゅ〉28万kWを含む)が建設中あるいは建設準備中である。1996年の原子力発電電力量は約3000億kWhで,日本の総発電電力量の約3割を占めている。…

【動力炉・核燃料開発事業団】より

…動燃と略称。新型炉開発では,ウランの有効利用を図れる新型転換炉と高速増殖炉の自主開発を進めており,前者では電気出力16.5万kWの原型炉〈ふげん〉を運転中で,後者については実験炉〈常陽〉を経て電気出力28万kWの原型炉〈もんじゅ〉を建設した。また,大型研究施設を茨城県大洗町に有す。…

【画法幾何学】より

…図法幾何学,立体図学とも呼ばれる。画法幾何学の創始者はフランスのG.モンジュで,彼は城壁の設計を計算によらず作図によって解く方法を開発した。この図式解法は当初は軍事機密とされたが,のちに公開が認められた。…

【技術教育】より

…これは,すぐれた科学者の手で労働者たちに数学,自然科学の諸部門,技術の原理や応用を教える運動で,19世紀半ばには上流階級の反対で急速に消滅したが,のちの技術教育機関の萌芽となり,アメリカにも大きな影響を及ぼした。フランスでは,大革命の少し前から軍隊内の技術将校養成などの技術教育施設が生まれていたが,大革命の過程でG.モンジュらの指導するエコール・ポリテクニクが創立された。ここでは,数学,製図,自然科学の系統的な基礎教育のうえに土木,機械学等の高い水準の技術学が教授され,その卒業生から優れた科学者,技術者,技術将校が生まれた。…

【工学】より

…この学校では,フランス全土から選抜された多くの有為な青年たちが,画期的なカリキュラムに沿って学習に励んだ。カリキュラムの立案には数学者のG.モンジュの貢献が大きかったとされているが,この学校では数学や画法幾何学(図学),力学を中心とする科学知識の習得に多くの時間があてられていた。このようなカリキュラムには,この学校で学んだ青年たちが,将来いかなる方面――軍事技術,土木,建築,造船,地図製作,さらに教職――に進んでも困らないためには,理論的・基礎的な知識が不可欠であるとのモンジュの考え方を反映していた。…

【製図】より

…その後,印刷術の発明により,機械を写した図,書物は多数を数えることになるが,その中でG.アグリコラによる《デ・レ・メタリカ》はとくに著名である。 近世に入って,G.モンジュによって創始された画法幾何学は,築城の技術に一大躍進をもたらした。それまでめんどうな計算を行って解かなければならなかった問題が,作図により容易に解決できるようになったのである。…

【鉄】より

…製鉄の各分野がここで模範的にまとめられた。そしてついにA.L.ラボアジエの新元素観と酸化と還元の理論,G.モンジュがC.L.ベルトレらと共同してこの新理論を冶金に適用し,高炉における還元と吸炭の過程,精錬炉における合金元素,同伴元素,有害元素の酸化除去のプロセスをみごとに解明した。今や炭素,ケイ素,マンガン,リン,硫黄など,鉄中の諸元素の挙動が追究され,技術の向上に決定的に寄与するに至った。…

※「モンジュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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