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アンダルス al‐Andalus

世界大百科事典 第2版の解説

アンダルス【al‐Andalus】

初めイスラム教徒(ムスリム)によるイベリア半島の呼称であったが,しだいに同半島における彼らの支配領域を指す用語となった。語源は〈バンダル人の国〉のラテン語名Vandaliciaにあり,そのアラビア語なまりがアンダルスである。アル・アンダルスとも呼ばれる。スペイン南部のアンダルシア地方はこの呼称に由来する。アンダルスの範囲は時代によって相違し,その最大は後ウマイヤ朝の宰相マンスールal‐Manṣūr(?‐1002)の時代で,スペイン・ポルトガルの北部を除く半島の大部分を含んだ。

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世界大百科事典内のアンダルスの言及

【アンダルシア】より

… 711年に始まるイスラム勢力の侵攻は,イベリア半島のイスラム化を促した。イスラム支配下の南スペインはアル・アンダルスal‐Andalusと呼ばれ,アンダルシアがその中心になる。10世紀バグダードから完全な独立を達成したアブド・アッラフマーン3世は,コルドバに遷都し,カリフ朝(後ウマイヤ朝)王国を築いた。…

【後ウマイヤ朝】より

…とくに,アラブの優れた灌漑技術による農地の拡大と農産物の量産が行われ,その集散地であるコルドバやセビリャは繁栄を極めた。幼少の君主ヒシャーム2世をめぐる宮廷内の権力闘争は,ワジール(宰相)でハージブであったマンスールal‐Manṣūr(?‐1002)の実権掌握で終わった。次いでマンスールは飽くなき対外戦争を行い,この結果同朝の領域は北アフリカの一部を含むにいたった。…

【ムガル細密画】より

…ペルシアの細密画を祖として,インドのムガル帝国の宮廷で行われた細密画。主題は世俗的かつ現実的であり,描法は写実的で,同時期のラージプート絵画と著しい対照をみせている。その最初期は,ペルシアのサファビー朝のタブリーズ派の画家が招かれ,多数の挿絵入り写本がもたらされて,もっぱらペルシア細密画の技法を消化吸収した時代である。第3代皇帝アクバル(在位1556‐1605)のときには,インド人の画家がしだいに指導的地位につき,インド的傾向が強まってムガル絵画独自の様式が明瞭になった。…

【コルドバ】より

… しかし,コルドバがその歴史の中で最も繁栄し,広く知られるようになるのはイスラム期に入ってからである。711年にイベリアに侵攻したイスラム教徒は,軍事征服が一段落すると,アル・アンダルスと命名したこの新しい領国の首都にコルドバを選んだ。そして756年にはダマスクスを追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世が亡命政権を立てたことから,西方イスラム世界の首都となった。…

※「アンダルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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