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アール・ヌーボー Art nouveau

翻訳|Art nouveau

世界大百科事典 第2版の解説

アール・ヌーボー【Art nouveau】

19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパとアメリカに広がった装飾芸術および建築の様式。フランス語で〈新しい芸術〉の意。この名は,ドイツ出身の美術商ビングSamuel Bing(1838‐1905)が1895年にパリで開いた,東洋の工芸品や新しいデザインの品を売る店〈アール・ヌーボーL’art nouveau Bing〉にちなむもので,主としてフランスとイギリスで用いられる。ほかにフランスとベルギーではスティル・モデルヌstyle moderne(現代様式),ドイツではユーゲントシュティールJugendstil(青春様式),オーストリアではゼツェッシオン(分離派)など種々の名で呼ばれたが,そこには同質の形態と精神を見いだすことができる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のアール・ヌーボーの言及

【近代建築】より

…しかし,実際の造形がゴシック様式や他の歴史様式を基調とする限りにおいては,それらを近代建築と呼ぶことはできない。
[近代運動の模索]
 建築が歴史主義を脱した造形を模索し始めるのは,1870年代にイギリスの郊外住宅を中心にクイーン・アン様式あるいは〈フリー・クラシック〉と呼ばれる造形が現れて以降であるが,90年代からヨーロッパ全体にアール・ヌーボーが流行するにいたって,それは決定的になった。アール・ヌーボーの代表的作例であるオルタによるタッセル邸(1892‐93)やギマールによるパリの地下鉄入口では,創意に満ちた曲線的モティーフが見られた。…

【室内装飾】より

…さらにボイジーCharles A.Voyseyは,時代的な様式主義のディテールから脱却して近代装飾へ前進した。1893年ブリュッセル市の博覧会に〈アール・ヌーボー〉という名称をつけて,独創的な様式の装飾を提案したバン・デ・ベルデは,大陸風のロココ的な有機的形態によって歴史様式を打ち破った。しかしアール・ヌーボーはドイツ,フランス,オーストリアなどにひろまったが,結果的には一種の様式主義に堕して消失した。…

【世紀末】より

…それは当然,新しい世代による文化更新の試みを含んでいた。90年代に流行したアール・ヌーボー(新しい芸術)は,ひとりヨーロッパにとどまらずアメリカから日本まで風靡したが,それが一名ユーゲントシュティール(青春様式)とよばれたのもこの間の消息を伝えるものである。ともあれゴーギャンはタヒチ島に渡り,ゴッホは片田舎のアルルで制作した。…

【ゼツェッシオン】より

… 最初のものは1892年に設立されたミュンヘン・ゼツェッシオンで,その中心となったのは象徴主義の画家F.vonシュトゥックおよび自然主義の画家トリューブナーWilhelm Trübner(1851‐1917)であった。次いで97年にウィーン・ゼツェッシオンがG.クリムトを中心として創設されたが,これはJ.M.オルブリヒJ.ホフマンら建築家,工芸家をも多く含み,オーストリアにおけるユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)の中心となった。ベルリン・ゼツェッシオンは99年に,ドイツ印象派の代表者M.リーバーマンを中心として設立され,ドイツ最大の美術組織へと育っていった。…

【デザイン】より

…印刷物ではモリスによるケルムスコット・プレス(1891設立)のタイポグラフィーが大きな影響力をもったが,それが機械生産と結びついて20世紀ドイツで新しい美学的(機能的)水準をひらく。またポスターは石版の発達と結びついて1860‐70年代に新しい都市の〈絵画〉を形成しはじめ,世紀末のアール・ヌーボーはポスターの黄金期をつくりだした。これらのグラフィック・デザインが近代デザインの中でもつ意義は,単に視覚表現の固有の領域の開拓という点だけではなかった。…

【ナンシー派】より

…19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で展開したアール・ヌーボーの一流派。フランス東部の町ナンシーを中心に活動し,日本美術に強い影響を受けた草花鳥虫,とりわけ植物文様をモティーフに使った自然主義的な表現に特色があった。…

【バルセロナ】より

…ピカソ美術館,ミロ美術館もある。【五十嵐 ミドリ】
[世紀末のモデルニスモ]
 モデルニスモModernismoは,アール・ヌーボー,ユーゲントシュティールと同様に,世紀末様式を指すスペイン語であるが,同時期(1890‐1910)のスペインで最も前衛的であったバルセロナでは,反中央的な民族意識の高揚を目ざす〈カタルニャ・ルネサンス〉運動と一致し,あらゆる分野においてカタルニャ人のアイデンティティを求める運動を意味した。なかでも最大の成果を収めたのが芸術分野,とくにブルジョアたちに支持され,市域の拡大期とも一致した建築で,孤高の天才ガウディのみならず,ドメネック・イ・モンタネール,エンリケ・サグニエール,プッチ・イ・カダファルクらが活躍し,ゴシックの町バルセロナを一新した。…

【ベルギー】より

…同じく創立会員のアンソールは,独特の幻想世界を創造,強烈な色彩と大胆な筆致により,表現主義の先駆ともなった。 世紀のかわり目に主として工芸・建築に新風を吹き込んだアール・ヌーボーの運動においても,オルタとバン・デ・ベルデという傑出した建築家を生んだベルギーの役割は大きい。さらに後者は1901‐14年にドイツで活動して機能主義の美学を標榜するバウハウス運動を準備し,帰国後は装飾を排した近代建築の推進者となった。…

【ポスター】より

…それらのポスターのうちで,際だったスタイルをもっていたのは,ロートレックミュシャである。二人はシェレの表現をさらに進めて,より平面的に画面を分割し太い輪郭線を使って,アール・ヌーボー様式のポスターをつくり,ポスターの黄金時代を築いた。アール・ヌーボーのポスター作家としては,他にボナール,ベルトンP.Berthon,ド・フールG.de Feure,グラッセE.Grasset,バロットン,オラジM.Oraziなどがいる。…

【マッキントッシュ】より

…同美術学校の仲間(一人はのちに結婚したマーガレット)と〈四人組〉を結成。93年ころから活発に活動し,ポスター,家具,工芸品などのデザインに,古代ケルト人のモティーフ,植物や人体に基づく曲線,さらに浮世絵に学んだ斬新な表現法等により,ヨーロッパ大陸のアール・ヌーボーに呼応する動きとして注目を浴びる。彼自身もウィーン・ゼツェッシオン展(1900),トリノの国際装飾展(1902)に出品し,高い評価を得た。…

【リバティ商会】より

…日本,中国,インドの陶器や絹など東洋の物産を扱うことから始め,しだいにアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントの中から生まれた工芸作家と提携して,染織,家具その他のオリジナル商品を販売するようになる。それらが当時の東洋趣味や唯美主義的風潮の下にもてはやされ,リバティ風はアール・ヌーボーと同義とみなされ,イタリアで〈スティーレ・リバティStile Liberty〉の呼称を生んだ。現在も創作品,高級品を中心に扱っており,創立以来の東洋部門,毎年発表されるリバティ・プリントとともに,百貨店として特異な地位を保っている。…

※「アール・ヌーボー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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