ロマンス諸語(ロマンス語)の一つ。古代ローマ人によってもたらされたラテン語が,北フランス地方において固有の変化を遂げて形成された言語である。元来,数多くの方言を含んでいたが,そのうちの一つ,パリを中心とするイル・ド・フランス地方の方言(フランシアン方言francien)が13世紀以降,国王権力の伸長を背景に威信を高め,この方言を基盤にした書き言葉,次いで話し言葉がフランス全土の共通語,国語としての地位を獲得するにいたった。単にフランス語という場合,この共通語たるフランス語,すなわち共通フランス語を指すことが多い。一方,ラテン語にさかのぼる北フランス諸方言(フランス語諸方言)はオイル語方言とも呼ばれるが,それは中世期におけるこれらの方言の総称であるオイル語langue d'oïlの名に由来する。特に話し言葉としてのフランス語には,標準とされるパリのフランス語と多少とも発音・語法・語彙(ごい)の点で異なる,その土地固有の特徴(南フランスにおいて聞かれる巻舌のrの発音など)の混入した地域的変種が見られ,それらを地域フランス語と呼ぶことがある。
フランス語は今日,フランス共和国(海外県,海外領土を含む)および他の地域において約1億人の話し手を有すると推定される。フランス国内でフランス語は唯一の公用語であり,ほぼその全土に共通語として普及しているが,他言語のみを話す少数の住民のほか,他言語(またはオイル語方言)と共通フランス語とを併用する相当数の住民が存在する。一般的に都市部の方が周辺の農村部に比べ共通語への一元化が進んでいる。
オイル語圏では共通語の浸透が著しく見られ,パリを囲む広大な地域(東西約400km,南北約250km)では本来の方言は消滅し,ほぼ完全に共通フランス語に取って代わられている。その外側,すなわちオイル語圏周辺部(ことにその農村部)に残る方言群は,ワロニー方言(ベルギー南部。〈ワロン語〉ともいう),ピカルディー方言,ノルマンディー方言,西部方言(メーヌ,アンジュー地方),南西部方言(ポアトゥー,サントンジュ地方),中央部方言(トゥーレーヌ,ベリー地方),南東部方言(ブールボネ,ブルゴーニュ,フランシュ・コンテ地方),東部方言(ロレーヌ,シャンパーニュ地方)のように分類されるが,ワロニー方言をほぼ唯一の例外として,急速に共通語に吸収されつつある。
なお,フランス国内で話されているフランス語以外の言語について一瞥しておくと,次のようになる。最も大きな勢力を保っているのが,オイル語圏の南で行われているオック語(オクシタン(語)occitan)である(言語人口約800万~1000万。そのうち大多数はフランス語との2言語併用者であり,その点は以下のフランコ・プロバンス語ほかも同様である)。オック語圏の北限はおおよそ,ジロンド河口に始まり東進しながら北上し,リヨン市より南でローヌ川を横断してアルプス山脈に至る線によって示される。この線の東の部分の北側には,オイル語圏とオック語圏に挟まれるようなかっこうでフランコ・プロバンス語franco-provençal圏(スイスの西部諸州(いわゆるスイス・ロマンド地方),イタリアのバレ・ダオスタ州をも含む)が位置している。ここでもオイル語圏同様,共通フランス語の勢力が都市部を中心に強く及んでいる。また,スペインとの東部国境地域ではカタルニャ語(約17万人),コルシカ島ではコルシカ語(=イタリア語方言。約20万人)が話されている。以上の言語はいずれもラテン語を源とするロマンス諸語に属する。また,ロレーヌ地方の一部およびアルザス地方では住民の8割が,土地本来の言語,すなわちゲルマン系のアルザス語alsacien(約130万人),フランス語,ドイツ語の3言語併用者である。また,ベルギーとの国境地域では同じくゲルマン系のフラマン語(約20万人),ブルターニュ半島ではケルト系のブルトン語(約90万人),スペインとの西部国境地域では系統不明のバスク語(約10万人)がそれぞれ話されている。
次にフランス語が国外で話されている地域について述べれば,まずヨーロッパでは,ベルギー(本来のワロニー方言圏を中心に,フランス語人口約500万),スイス(本来のフランコ・プロバンス語圏を中心に約160万人),およびルクセンブルクでフランス語は公用語の一つとされ,モナコでは唯一の公用語である。アメリカ大陸では,フランス語を公用語の一つとするカナダに,特にケベック州を中心に多くの話し手(約650万人)がいる。アメリカ合衆国では,ニューイングランド地方その他のカナダ系移民のほか,ルイジアナ州の一部住民の間でフランス語が話されている。また,ハイチではフランス語が唯一の公用語であるが,住民の多くはフランス語と現地語の混交の結果生まれたクレオール語を用いている。なお,このフランス語系クレオール語は,フランスの海外県(グアドループ,マルティニク,ギアナ)を含むカリブ海地域で広く用いられている。最後にアフリカでは,その日常生活での使用は一部の住民に限られているにせよ,旧フランス領であった国を中心に,21ヵ国がフランス語を唯一の公用語,あるいは他の言語と並ぶ公用語の一つに採用している。フランス語はまた,国際連合の公用語の一つであるほか,教養語として世界中に多くの学習者をもっている。
次にフランス語の歴史を簡単に振り返っておこう。
今日のフランス,すなわち古代ローマ人がガリアと呼んでいたケルト人居住地の大半を占める地域は,カエサルによる征服(前58-前51年)の結果,完全にローマの支配下に入った。それに伴い,征服者の言語であるラテン語は土着のケルト系(ケルト語派)のガリア語にしだいに取って代わっていった。ラテン語はまず都市部を中心に浸透し,農村や山間部に残っていたガリア語も5世紀ころには消滅したらしい。なお,フランス語および他のすべてのロマンス語の直接の源となったラテン語は,民衆が日常の話し言葉として用いた,いわゆる〈俗ラテン語Vulgar Latin〉である。ガリア語は地名(Lyonリヨンなど多数)のほか,田園生活などに関するいくつかの語(chêne〈柏〉など)をフランス語に伝えているが,音声面においてガリア語がこの地の俗ラテン語に影響を及ぼしたとする説に対しては異論も多い。さて時代を経るに従って俗ラテン語と文語ラテン語との相違は増大していったが,5世紀ころまでは帝国各地で話されていた俗ラテン語はそれほど大きな地域的差違を含んでいなかったらしい。この頃までに俗ラテン語に起こった,あるいは起こり始めていたと考えられる変化--音質・長短の両者によって区別される母音体系から音質の区別にのみ基づく母音体系への移行,格変化の衰退,冠詞の発生,新たな動詞形態(未来,条件法,受身,完了)の発達など--は,細部における違いは別にして,フランス語を含むすべてのロマンス語に反映されている。ところが西ローマ帝国が崩壊し(476),おのおのの地域が別個の社会的・文化的状況に置かれるようになると,俗ラテン語はいくつもの方言に分化する傾向を強め,ここに個々のロマンス語に向かっての歩みが開始された。
5世紀以降何百年かにわたる期間に,北ガリアの言語は他のロマンス語地域と比べてはるかに〈進んだ〉変化を遂げるにいたる。一方,南ガリアの言語は出発点となった俗ラテン語にずっと忠実であった。このようにしてフランスの北部にはオイル語(フランス語),南部にはオック語,そして南北の境には言語的にも両者の中間的な性格を示すフランコ・プロバンス語が,この時期に形づくられた。なお,フランス語に独自な性格の形成に影響を及ぼしたとしばしば指摘されるのが,5世紀後半にまず北ガリアを手中に収め,のちその王国(フランク王国)を南部にまで広げたフランク人の言語習慣である。フランク人は,すでにローマ化していたガリア人(ガロ・ローマ人)に対して政治的には優位に立ったものの文化的には劣り,彼らガロ・ローマ人と混じり合う一方その言語を習得し,約4世紀にわたる2言語併用ののち,本来の言語たるゲルマン系のフランク語を忘れ去った。だが彼らは,俗ラテン語から完全に消滅していたhの音を北ガリアの地に再び導入し(現代フランス語に残る,いわゆる〈有声のh〉),軍事や社会生活全般に及ぶかなりの数のゲルマン起源の語(hache〈斧〉など)をフランス語にもたらした。さらに,フランク人の元来もっていた強・弱のアクセントの差を際だたせる発音上の傾向が,開音節強勢母音ẹ,ọの二重母音化など,北ガリアに特徴的な音声変化の原因ではなかったかと考える学者もいる。
現存するフランス語最古の文献は,《ストラスブールの宣誓Serments de Strasbourg》(842)と呼ばれる,軍事・外交上の記録である。フランス語史の上では普通,この頃から1350年ころまでを古フランス語,その後1600年ころまでを中期フランス語,以後現代までを近代フランス語と区別する。古フランス語は二重母音,三重母音あるいは破擦音などを有し,名詞,冠詞,形容詞に格変化(主格と被制格の2格)を残すなど,現代フランス語とは相当異なる特徴を備えていた。この時期のオイル語地域には数多くの方言が話されていたが,13世紀以降パリが政治・文化の中心地となるに及び,フランシアン方言に基づく文学語が台頭し,話し言葉の面でもパリを中心にして徐々に共通語が形成されていった。なお,1066年のノルマンディー公ウィリアムによる征服に伴い,フランス語はイギリスにももたらされ,英語の語彙に多大の影響を及ぼすことになった。
中期フランス語は,12世紀にその〈古典期〉に達した古フランス語の体系が崩れ(重母音の単音化,格変化の消失など),近代フランス語の種々の要素が形づくられていく,転換期のフランス語としてとらえることができる。百年戦争(1339-1453)の結果,国王による中央集権化が促進され,パリのフランス語は国語としての地位を確立する。フランス語はこれまでラテン語が用いられていた分野にも進出し,フランス語による理論書や宗教的著作が現れ,またビレル・コトレの王令(1539)によって,あらゆる訴訟手続きにおけるフランス語の使用が義務づけられた。ルネサンス期にはイタリア語から多くの語が導入され,また書物を通じてラテン語からの借用が盛んに行われたほか,派生語,合成語も多数作られた。その結果,16世紀のフランス語はきわめて豊富な語彙を有する言語となったが,反面,差違の分明でない類義語を数多くもつなど,未整理の部分をも内包していた。
17世紀に入ると,絶対王政治下の政治的・社会的条件を背景に,フランス語を純化し,その規範を確立しようとする動きが高まってくる。多数の文法家の活動やアカデミー・フランセーズの設立(1635)により,規範の設定が〈よき慣用〉,すなわち主として宮廷における言葉遣いをよりどころにしながら行われていった。16世紀の〈過剰な〉語彙は整理されて一語一語の意味が明確に限定される。一方,文意を明晰にするための正確な語法(冠詞や主語人称代名詞使用の強制,〈一致〉の規則)が規定され,発音や綴り字についても標準が定められた。17世紀に確立した規範は18世紀以降の国語にも引き継がれ,現代フランス語に至るまで強い力を及ぼしている。語彙の面における大きな変容(新たな社会生活に即した新語やことに英語からの借用語の増大)はあったにせよ,フランス語の構造は基本的には17世紀以来変わっていない。フランス革命は国内の方言,他言語を圧迫しつつ,それまでおもに限られた社会階層の共通語であったフランス語を民衆の間に広めようとした。その後も学校教育の普及や交通・通信手段の発達によって,フランス語はその流通範囲を著しく拡大していった。フランス語は特に18世紀以降,広く国外の上流階層の間に教養語として広まり,また,今日では英語にその地位を奪われているものの,18世紀初頭から第1次世界大戦後に至るまで外交用語としても優位を保った。
まず音韻の面では,16の母音(i,e,ɛ,a,ɑ,ɔ,o,u,y,φ,œ,ə,ɛ~,ɑ~,ɔ~,œ~)と20の子音(p,b,t,d,k,ɡ,f,v,s,z,ʃ,ʒ,l,r,m,n,ɲ,j,w,ч)が区別される。母音の種類が際だって多く(ただしɑがaに,œ~がɛ~に統合される傾向が見られる),またその中に鼻母音が含まれること,rがふつう口の奥で調音される摩擦音であることなどが注目される点である。アクセントは単語を個々に発音する場合には最終音節の母音に,文中では,意味上のまとまりをなす語群からなり,ひと続きに発音される〈リズム段落〉の最後の母音に置かれる。アクセントの有無にかかわらずすべての音節が常に明瞭に発音されること,単語のレベルでは発音されない語末子音が語群中では母音の前で復活し,その母音と1音節を形成する,いわゆる〈リエゾン〉の現象をもつこともフランス語の特徴である。
次に文法面においては,名詞に文法上の性(男性・女性),数(単数・複数)による区別があること,動詞の体系が複雑であること(不定詞,分詞のほか,主語の人称に応じて語形変化する〈時称形〉をいくつかずつ含む直説法,接続法,条件法,命令法を有する),前置詞の機能がラテン語よりはるかに大きくなっていることなど,ロマンス諸語全体に共通する特徴のほか,他のロマンス語には見られないフランス語の性格として,次のような点があげられる。動詞の〈時称形〉(命令法は除く)に関して,人称による語形変化が退化し,主語が名詞である場合以外は常に,主語人称代名詞が要求されること,名詞の単数・複数に関しても,名詞の音形そのものによってではなく(綴り字上は,単数形に〈発音されない〉sを付けて複数形を示すのが原則),それに先立つ冠詞の語形などによって識別される場合が多いことなどである。
最後にフランス語の語彙に関していえば,ラテン語に由来するものが大多数を占める。ただし俗ラテン語期から今日に至るまでとだえることなく使われ続け,現在も基本語彙の根幹をなす,いわゆる〈民衆語mot populaire〉と,古フランス語期以来,書き言葉としての中世ラテン語から,あるいは特にルネサンス以降は古典ラテン語から意識的に借用された,抽象語をはじめとする多量の〈学識語mot savant〉とを区別することができる。〈民衆語〉にはガリア語やゲルマン語起源の語が含まれ,また〈学識語〉にはギリシア語やアラビア語起源の語も含まれるが,フランス語の語彙にはこのほか,オイル語方言やオック語,イタリア語(特に15~18世紀),英語(特に17世紀以降)その他の言語からの借用語が見いだせる。他のロマンス語と比べ音韻変化の著しかったフランス語には,これを規則的に被った〈民衆語〉を中心に,1音節語等の短い語や同音異義語が数多く存在する点も注目される。
日本でフランス語が学習され始めたのは19世紀初頭,長崎の地においてである。開国を迫る外圧が高まるにつれ,オランダ語以外の西洋語を理解する必要を感じた徳川幕府は,1808年(文化5),本木(もとき)庄左衛門(正栄とも。1767-1822)ほか5名のオランダ通詞にフランス語学習を命じたのであった。開国後は蕃書調所(ばんしよしらべしよ)でフランス語の学習・教授が始められた(1860)ほか,フランス政府の協力のもとに,通訳やフランス語に通じた士官養成の機関として横浜仏蘭西語学伝習所が設立(1865)され,フランス人による教授が開始された。維新以後は新政府の欧米文化導入政策を背景に,外国語,ことに英語を中心とする洋学塾が明治初期に隆盛を見たが,日本フランス学の始祖といわれる村上英俊(ひでとし)(1811-90)の主宰する達理堂,フランス留学から帰った中江兆民の開いた〈仏学塾〉ではフランス語が講じられ,多くの門弟を集めた。官立の教育機関では幕末の開成所を引き継いだ大学南校,また東京外国語学校(1873設立)などでフランス語教育が行われたが,ことに法学や兵学の分野で重んじられたフランス語は,司法省明法寮(1871設立)や陸軍士官学校(1874設立)の教科にも採り入れられた。しかし明治憲法の制定をきっかけにドイツ系の学問が盛んになるに及び,当初より英語優勢の教育界においてフランス語の占める相対的勢力はさらに減少した。このような英語,ドイツ語,フランス語の外国語教育における勢力関係は,根本的には覆されることなく今日に及んでいるが,この間明治・大正・昭和を通じて,特にフランス文学の研究や翻訳・紹介が活発に行われ,日本の文学界に大きな影響を及ぼしてきた事実は見のがせない。なお,第2次世界大戦後の学制改革に伴い,フランス語はドイツ語と並んで多くの新制大学で第2外国語として採用されるにいたり,また,種々の語学機関や放送,レコード,テープを通じての教育・学習が盛んになったことにより,フランス語学習者の数は戦前に比べ飛躍的に増大した。
執筆者:長神 悟
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…ノルマン人は本来北欧人で,10世紀にフランス王はこれを懐柔するため彼らに土地を与え,その首領を封建諸侯に列せしめた。彼らは短期間にフランスの言語と文化を吸収したが,その言語はノルマンディー方言だったので,これをノルマン・フレンチNorman‐French(略称NF)と呼んでパリを中心とする中央のフランス語Central French(略称CF)と区別された。ノルマン・コンクエスト後イギリスの支配階級や高級聖職者はほとんどノルマン系に占められ,またノルマンディーはじめフランス内にいくつかの領地を保有し続け,英仏間の往来が続いたので,支配階級の間ではフランス語が日常語であり,ラテン語とともに公用語,公文書,文学の言語としても用いられた。…
… 言葉によってすべてが表現できるというフランス古典主義文学の基底的了解も,このような政治的・社会的コンテクストにおいて意味をもつ。リシュリュー以来の文化政策の根幹が国語としてのフランス語の統一と洗練にあったように,芸術表現においてもフランス語という分節言語こそがすべての言語態に立ちまさる統一的媒体となった。それが一部知的選良のサロンで純粋詩のようなものとなる代りに,単に宮廷だけではなく,宮廷をも巻き込んで,町民階級を中心とする無名の群集に呼びかける演劇とその劇場とをみずからの舞台としたことは,この言葉中心主義の文化の戦闘的でもあり解放者的でもある様相を雄弁に語っている。…
…しかし,統一された文語の成立にはいたらず,13世紀中ごろからの騎士階級の没落とともに,文学語の均一性は再び失われた。 この時代には,騎士文化の隆盛とともに,フランス語から,宮廷・騎士文化に関する多数の語が借用されたが,それらの語の多くは今日失われている。また,動詞を派生する‐ierenをはじめ,今日でも用いられる種々の接尾辞もフランス語から借用された。…
…(4)語彙のきわめて多くの部分を外来語が占めている。従来からアラビア語がきわめて多く(たとえばTürk Cumhuriyeti〈トルコ共和国〉のCumhuriyetはアラビア語,Türkと‐iはトルコ語),ペルシア語もかなりあり,近代になってはフランス語が多く入っている(例:sinema〈映画〉,istasyon〈駅〉)。 トルコ語の歴史は,10~11世紀に小アジアへ移住したセルジューク族とオグズ族の言語(チュルク諸語の一つ)に始まり,14世紀以後のオスマン帝国時代の言語を経て,1923年,共和国の誕生とともにトルコ共和国語が確立した。…
…改正点としてとくに注目されるのは,王権による言語の統一と戸籍制度の法制化であり,いずれも王権による支配の貫徹をはかったものである。言語については,全王国の国王裁判所において,判決その他訴訟文書はすべて〈母語なるフランス語langage maternel françois〉にて記さるべし,と定めた(第111条)。これはラテン語に対するフランス語の優位を宣明すると同時に,南フランスで広く用いられていたオック語や,ブルトン語,バスク語,その他諸方言の使用を禁じ,王権の基盤である北フランスのオイル語を国家語として強制するものであって,王権による中央集権の重要なてことなった。…
…正式名称=フランス共和国République française面積=54万7026km2人口(1996)=5831万人首都=パリParis(日本との時差=-8時間)主要言語=フランス語通貨=フランfrancヨーロッパ大陸の西部にある共和国。ヨーロッパに位置する本国のほかに,世界各地に海外県,海外領土をもっている。…
…正式名称=ベルギー王国Koninkrijk België∥Royaume de Belgique∥Kingdom of Belgium面積=3万0528km2人口(1996)=1018万人首都=ブリュッセルBruxelles(日本との時差=-8時間)主要言語=フラマン語(オランダ語),ワロン語(フランス語)通貨=ベルギー・フランBelgian francヨーロッパ北西部にある立憲君主国。北はオランダ,東はドイツ,南東はルクセンブルク,南はフランスと境を接し,西は北海に面して65.5kmの海岸線を形づくりイギリスに対する。…
…これこそ中世の普遍主義を体現するものであった。第2の層は,王権の基盤である北フランスのオイル語,とりわけパリ地域で用いられてきたフランシアン方言を基準とする標準フランス語であった。人文主義者の一人J.デュ・ベレーは《フランス語の擁護と顕揚》(1549)において,この美しい〈フランス語〉を擁護する。…
…ロマンス語は今日ヨーロッパおよびアメリカ大陸を中心に,全世界で5億人にのぼるとも推定される人々の日常語として広く使用されている。〈ロマンス語〉また〈ロマン語〉という名称に含まれる〈ロマンス〉〈ロマン〉(英語Romance,ドイツ語romanisch,フランス語roman)なる語は,字義どおりには〈ローマ風に〉を意味する中世ラテン語のromaniceにさかのぼるものであり,古代ローマ人の言語に発するその起源を端的に物語っている。
[分類・分布]
ロマンス語の分類に関してはさまざまな試みがなされているが,19世紀末に死滅したダルマティア語(かつてアドリア海東岸に分布)を今日使用されているロマンス語に加えたうえで,次のような分類が考えられる(配列順序はヨーロッパにおける分布をおおよそ西から東にたどったもの)。…
※「フランス語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
群馬県のマスコットキャラクター。人間だと7歳ぐらいのポニーとの設定。1994年の第3回全国知的障害者スポーツ大会(ゆうあいピック群馬大会)で「ゆうまちゃん」として誕生。2008年にぐんまちゃんに改名...
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