日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレアム」の意味・わかりやすい解説
グレアム(Dan Graham)
ぐれあむ
Dan Graham
(1942―2022)
アメリカの彫刻家、メディア・アーティスト。イリノイ州ウルバーナ生まれ。1960年代初めにニューヨークに出て、当初はジョン・ダニエルズ・ギャラリーのスタッフとして現代美術の現場にかかわり、ポップ・アート、ミニマル・アート、アースワーク系の美術家と親しく交流。ドナルド・ジャッド、ロバート・スミッソン、ソル・ルウィット、ダン・フレービンらのグループ展を組織し、彼らの活動をサポートする。かたわら1960年代なかばごろより、自らも作品制作を開始した。
最初期の作品は、当時流行していたフォト・ノベル(写真で構成された物語)の形式を使い、女性誌の誌面を一種のパロディーによって再構成したもので、ファッションや住宅などを題材にメディアの情報操作に対する皮肉を表現した。1969年、ブルース・ナウマンと知り合ったのを機にムービーカメラを作品制作に導入、2人の人物が相手を撮影したフィルムを同時に上映する『ボディ・プレス』(1970~1972)や、ある家庭のテレビの画像とその家の前に設置された大型スクリーンの画像とを連動させた『ビデオプロジェクション・アウトサイド・ホーム』(1978)などの映像インスタレーションを制作した。また1976年のベネチア・ビエンナーレに出品された『パブリックスペース/トゥー・オーディエンス』など、ツー・ウェイ・ミラー(ハーフ・ミラー)を用いた作品や、1980年代以降世界各地で鏡を活用した「パビリオン」のプロジェクトを展開し、錯視効果によって認識のずれを強調するなど、コミュニケーションの問題を追求した。
グレアムは、同時代にありながらまったく異質なポップ・アートとミニマル・アートの手法を融合した作風を確立したが、それはポップ・アーティストとして出発し、後にアースワークへと移行したスミッソンの影響が大きい。加えて1970年代以後は、両者の問題提起を取り入れた独自の作品を新しいメディアによって制作、当時盛期を迎えていたコンセプチュアル・アートの文脈で発表するという新しい展開も示した。またロック音楽のプロデュースを手がけたり、『ロック・マイ・レリジョン』Rock My Religion(共著。1993)というエッセイ集を出版して建築や都市計画についての独自の意見を発表するなど、知的好奇心は美術だけにとどまらず広い分野に及んだ。
[暮沢剛巳]
『Dan Graham, Brian WallisRock My Religion; Writings and Art Projects, 1965-1990 (1994, The MIT Press, Cambridge)』▽『「ダン・グレアム」(カタログ。1990・山口県立美術館)』
グレアム(Thomas Graham)
ぐれあむ
Thomas Graham
(1805―1869)
コロイド化学の創立者とされるイギリスの物理学者、化学者。12月21日、スコットランド、グラスゴーの富裕な製造業者の家に生まれる。1819年に14歳でグラスゴー大学に入学し、ただちに化学に魅せられた。父は反対したが、母の激励を受けてこの道を進み、やがて1830年グラスゴーのアンダーソン大学の化学の教授、1837年ロンドン大学の化学の教授職についた。1841年にはロンドン化学会の創立に参画、初代会長となった。1854年に教授職を退き、造幣局長官となった。1869年9月16日死去。
王立協会メダル(二度)、パリ科学アカデミー賞などによって報いられた彼の多くの科学研究のうち重要なものの一つは、1829年から1833年ごろにかけて行われた気体の拡散に関する実験的研究である。細孔を通って気体が流出する速度は同一条件のもとではその密度(したがって分子量)の平方根に逆比例するという法則は今日「グレアムの法則」といわれる。彼はまた、拡散速度の相違を利用する異種気体混合物の分離の可能性を指摘したが、これは第二次世界大戦中ウラン235と同238を六フッ化ウランにして分離する際に応用された。
彼の科学上の貢献のうち、さらに特筆すべきものは「コロイド化学」の創設である。彼は、1860年代前半期に発表したいくつかの論文で、物質の状態を二つに分類した。すなわち、第一は、ショ糖や食塩のように水中で拡散しやすく、また結晶化しやすい状態にあるもの、第二は、拡散性が小さく、結晶になりにくいケイ酸、デンプン、ゼラチンなどである。彼は、前者をクリスタロイド、後者をコロイド(ギリシア語の膠(にかわ)に由来)と命名した。この認識は非常に重要で、やがてフロイントリヒやC・W・W・オストワルトによりコロイド化学として大成されることになる。
[中川鶴太郎]
グレアム(Frank Dunstone Graham)
ぐれあむ
Frank Dunstone Graham
(1890―1949)
アメリカの経済学者。カナダ南東部のノバ・スコシア州ハリファックスに生まれ、ダルハウジー大学、ハーバード大学に学んだ。ラトガース大学講師、ダートマス大学助教授を経て、1921年にプリンストン大学助教授、1925年に準教授、1930年に教授に就任し、1949年までその職にあった。主として国際貿易理論を研究し、国際価値論については、J・S・ミルやA・マーシャルの相互需要説に対して批判的な立場をとり、交易条件は生産費によって決定されるとする生産費説を展開した。彼はまた、生産が収穫逓増(ていぞう)のもとで行われる場合には保護貿易が正当化されることを主張した。おもな著作は『国際価値論』The Theory of International Values(1948)。
[志田 明 2018年7月20日]
グレアム(Kenneth Grahame)
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Kenneth Grahame
(1859―1932)
イギリスの児童文学作家、エッセイスト。スコットランドのエジンバラに弁護士の子として生まれる。幼いときに母親を亡くし、祖母に引き取られて、テムズ川の川辺で2年間を過ごす。大学には進めず、銀行員として働くかたわら、5人の孤児の日常生活を描いた『黄金時代』(1895)などを発表、好評で迎えられる。ひとり息子のアラステアに話して聞かせた物語をまとめたものが『たのしい川べ』(1908)で、川辺にすむ小動物たちを愛情こめてユーモラスに描いたこの作品は、子供から大人まで広く愛され、20世紀の古典となっている。のちA・A・ミルンによって劇化され、いっそう子供に親しまれるものとなった。
[八木田宜子]
『石井桃子訳『たのしい川べ――ヒキガエルの冒険』(1963・岩波書店)』
グレアム(Martha Graham)
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Martha Graham
(1894―1991)
アメリカの女性舞踊家。ピッツバーグ生まれ。1920~23年デニショーン舞踊団に在籍、26年に独立。身体の中心を使う独特なスタイルはグレアム・テクニックとして知られ、コントラクション(収縮)とリリース(解放)、スパイラル(螺旋(らせん)状に身体を動かす)は、その代表的な用語である。ギリシア悲劇を題材とした創作が多く、『夜の旅』『心の洞窟(どうくつ)』などがある。モダン・ダンスの開拓者的存在として、世界各国の舞踊家に与えた影響は大きい。なおグレアム舞踊団に在籍した日本人ダンサーには、アキコ・カンダ、浅川高子、木村百合子(ゆりこ)らがいる。
[市川 雅]