翻訳|cholera
コレラ菌の経口感染によっておこる急性下痢症。感染症予防・医療法(感染症法)で3類感染症に分類される。かつては世界保健機関(WHO)が指定した国際検疫感染症(検疫伝染病)の一つであったが、2005年に改正された世界保健規則に基づき対応が要請されなくなったことから、2006年(平成18)に検疫法が改正され、翌07年6月に検疫感染症から除外された。
1883年にコッホがエジプトで分離培養に成功したコレラ菌がコレラの原因菌で、ビブリオ属の基準種である。この菌はアジアコレラ菌または古典コレラ菌ともよばれ、もともとインドのガンジス川デルタ地帯の風土病として土着していたコレラの原因菌であるが、1817年以降、6回の世界的大流行を起こし、日本にも侵入した。このアジアコレラは大流行が終息すると流行地からまったく姿を消し、インドのベンガル地方にのみ小流行が残存することを繰り返していたが、1961年に始まったエルトールコレラによる7回目の流行期では、今日に至るまでアジア、アフリカ、南米地方で散発的な流行が続いて、コレラ菌はインド以外の地域にも定着し始めた。エルトールコレラ菌は1905年にシナイ半島の港町エルトールで分離培養されて命名された菌で、コレラの病原としては1937年にインドネシアのセレベス島(スラウェシ島)で流行をおこして知られたものである。
なお、アジアコレラ菌とエルトールコレラ菌の差異は、後者が(1)ヒツジの赤血球を溶血する溶血素を産生する、(2)ファージⅣに抵抗性がある、(3)ポリミキシンに抵抗性があるという点だけで、他の性状は同じである。また日本の細菌学者により、抗原構造から血清学的に3型に分類される点も同じである。すなわち、エルトールコレラ菌も抗アジアコレラ菌群血清(O‐1)で凝集するが、その成分A、B、Cの組合せから原型(AC、稲葉型)、異型(AB、小川型)、中間型(ABC、彦島型)の3型に分類される。
一般にエルトールコレラ菌によるコレラは、アジアコレラ菌によるものよりも症状が軽いことが多いが、両者ともにコレラとして国際検疫伝染病では同一に扱われる。
コレラは、インド、インドネシア、フィリピンのほか、アフリカのいくつかの国に常在し、毎年数万人の患者が発生しているが、1991年にはペルーを中心とした南米にも流行が広がった。
[柳下徳雄]
潜伏期は1~3日で、初発症状も主症状も嘔吐(おうと)と下痢、その結果生じる脱水による症状である。健康人の胃液中では数秒間で死滅するというコレラ菌が、経口摂取後に胃を通過して十二指腸へ達すると、ややアルカリ性を好むコレラ菌は猛烈に増殖し、1ミリリットル当り1000万から1億という菌数に達する。これらの菌が産生する菌体外毒素(コレラエンテロトキシン)が十二指腸以下の小腸粘膜に作用して水分と電解質の吸収を著しく妨げ、大量の水様下痢を誘発する。一般に発熱はなく、腹痛もあまりない。普通の下痢便で始まり、回数と量が増えるにつれて、便の色も、においもなくなり、米のとぎ汁様となる。下痢とともに嘔吐もみられるが、吐くときはいきなり噴出して苦痛を伴うことはない。1日20~30回、5~10リットルにも及ぶ水様便と嘔吐のために体液と電解質の喪失量がきわめて大きく、げっそりとやせた感じになる。すなわち、皮膚の弾力が低下し、つまむとそのままで元に戻らず、顔は目の周りや頬(ほお)がくぼみ、鼻や頬骨(きょうこつ)がとがる(コレラ顔貌(がんぼう))。皮膚は冷たくなり、手は湯水でふやけたようにしわだらけの外観を呈する。血圧が低下し、脈拍も頻数で微弱となり、手足はひどく冷たく感ずる。声もしわがれてくる。尿量が減少し、やがてなくなる。おもに下肢のけいれん(こむらがえり)がおこり、筋肉の痛みを訴える。こうした状態を呈していても意識は失われていないことが多い。一方では、こうしたコレラ特有の症状を伴わない軽症下痢(1日数回の軟便)患者や、まったく症状のみられない保菌状態だけのこともある。このような場合は、便の細菌検査なしには診断できない。
[柳下徳雄]
重篤な状態に陥っても適切な輸液で水分と電解質を補給すれば、速やかに回復する。しかし治療の開始が遅れると、状態が不可逆的となり、重症例では死亡する。したがって、輸液のできる病院(感染症指定医療機関)にできるだけ早く入院させることが必要である。失われた水分量の目安としては、体重減少が利用される。10%以上減少していれば重症で約5000ミリリットル、8%以上なら中等度で4000ミリリットル、5%以上なら軽症で2500ミリリットルをそれぞれ2時間以内に補給する。輸液中でも下痢が続いて水分が失われるので、排便量や血漿(けっしょう)比重を測定して追加輸液を続けるが、テトラサイクリン(アクロマイシン)やノルフロキサシン(バクシダール)などの抗生物質や抗菌剤は下痢と排菌の期間短縮に役だつが、脱水の改善には直接関与しない。電解質の補給には、成人と小児で水様便中の電解質濃度に差があるので、過不足のないよう補給量に注意する。とにかく輸液が治療の第一である。輸液療法が行われる以前は、致命率が50%に及ぶこともあったが、輸液療法が行われるようになってからは適切に治療が行われれば1%以下である。しかし、国によってまた流行によって差があり、世界の平均致命率は約10%である。
[柳下徳雄]
かつては予防接種が重視されたが、ワクチンの効果は絶対ではなく、有効期間も3、4か月と短いため、1973年5月に国際衛生規則が改正され、流行地への出入の際の予防接種は強制されないことになった。また、コレラの免疫は一時的で、罹患(りかん)した人も数か月たてば再感染の可能性がある。したがってコレラの予防は、感染経路を断つこと、すなわちコレラ菌の経口侵入の機会を防ぐよりほかないわけで、流行地では、なま物などの飲食を避け、水道水も煮沸して用いたほうが安全である。
[柳下徳雄]
『山本俊一著『日本コレラ史』(1982・東京大学出版会)』▽『見市雅俊著『コレラの世界史』(1994・晶文社)』▽『竹田美文監・武田純一郎編著『腸管感染』(1998・アイカム)』
コレラ菌によって起こる,きわめて伝染力の強い下痢疾患で,法定伝染病の一つであった。病原体であるコレラ菌Vibrio commaは欧文のコンマ(読点)状をしたグラム陰性の杆菌で,一端に1本の鞭毛(べんもう)をもち,幅0.5μm,長さ2μmくらいの大きさ。コレラ菌にはアジア型コレラ菌(または古典型コレラ菌)とエルトール型コレラ菌の2型があり,かつてのコレラは前者によるものが多かったが,近年のものは主としてエルトール型菌による。
コレラは,コレラ菌が産生するコレラ毒素(コレラエンテロトキシン)によって起こる下痢を主症状とする。経口的に摂取されたコレラ菌は,健康人の場合には通常胃液によって殺される。しかし胃を通過し小腸に達すると,盛んに増殖して毒素を産生し,腸粘膜上皮細胞膜の透過性を亢進させる。その結果,細胞内の水分および電解質は腸管腔へ多量に放出されて下痢の原因となる。発症までの潜伏期は24時間以内から5日で,通常1~2日である。重症の場合,腹部の不快感と不安感に続いて,突然の下痢と嘔吐で始まりショックに陥る。重篤な脱水症状を起こし,便は〈米のとぎ汁様〉で,白色ないし灰白色の水様便となり,多少の粘液が混じり,特有の甘くて生臭いにおいがある。下痢便の量は1日10lないし数十lに及ぶこともある。便回数も頻繁で,発症後24時間以内に最高に達する。通常,腹痛は訴えない。激しい脱水症状のために皮膚の弾力が失われ,血圧下降,脈拍微弱,チアノーゼを呈し,四肢は冷たくなる。指先の皮膚にはしわが寄り〈洗濯婦の手〉と呼ばれる外観を示すようになる。顔貌は目が落ち込み,ほおがくぼんで〈コレラ顔貌〉を呈する。四肢の筋肉がときおり痛みを伴う痙攣(けいれん)を起こす。意識は正常のことが多いが,ときには昏睡状態に陥ることがある。口のかわき,声がれを訴える。軽症の場合には,症状は2~5日で消失するが,下痢便は重症のときにみられるような典型的な水様便ではなく軟便であることが多い。下痢回数も1日数回程度である。
コレラを治療するには,まず大量に喪失した水分と電解質とを速やかに補給する必要がある。そのための輸液としては乳酸ソーダ加リンゲル液(ハルトマン液)が最もよい。また,それと併用して投与される抗生物質としてはテトラサイクリンが使われる。コレラ菌は糞便や吐物などとともに排出され,それに汚染された飲食物を摂取することによって感染する。したがって汚染地域では生水や生魚などを絶対に摂取しないことがたいせつであり,またコレラ菌は熱に弱い(60℃,30分で容易に死滅する)ので,すべて加熱処理した飲食物をとるべきである。なおワクチンもあるが,その効果は絶対的なものではないから,あまり期待してはいけない。
コレラは国際伝染病の花形であるが,ペストや天然痘や結核のように,歴史に長く記録された古顔でなく,19世紀に初めて国際舞台に登場してきた。コレラは元来インドのガンガー(ガンジス)川流域,とくに下ベンガル地域に盤踞していた風土病的性格の伝染病であった。ところが19世紀の近代文明の進歩,とりわけ交通の活発化とともに,国際交流の波に乗って文明諸国に流行していった。つまりコレラのパンデミー(世界的流行)は,いわば世界の〈近代化〉の一現象ともいえる。19世紀初頭から20世紀初頭にかけての約100年間,コレラはその故郷から数回にわたって飛び出し,近代化を急ぐ世界中の人々に手ひどい打撃をくりかえし与え,ペストの脅威をようやく忘れかけた文明人を再び伝染病の恐怖に震え上がらせた。とくにイギリスのインド経営および東南アジア進出が,コレラ・パンデミーの引金になったことは否定できない事実といえる。コレラ史の運命の年つまり1817年は,あたかもイギリスがインド支配に成功した第3次マラーター戦争の年でもあった。
コレラの第1次パンデミー(1817-23)はカルカッタに始まり,北上したあと西進してシリアに達し,一方,東進したコレラは東南アジアを経て中国に進入し,その余波は1822年(文政5)日本に及び,日本最初のコレラ流行となった。続いて第2次パンデミー(1826-37)では,北進したコレラはついにロシアに進入し,南下してヨーロッパを襲い,イギリスを経てアメリカにまで渡り,太平洋岸に達し,世界制覇を遂げた。その後もパンデミーをくりかえし,第3次パンデミー(1840-60)は日本に達し,1858年(安政5)の大惨害を起こした。コッホがコレラ菌を発見するのは第5次パンデミー(1881-96)の時である。第6次パンデミー(1899-1926)まで,その原因菌として主流をなしたのはアジア型コレラ菌であったが,1961年から始まりすでに20年以上続いている第7次パンデミーは,エルトール型コレラ菌によるものである。これは61年インドネシアのセレベスを中心として広がり,東南アジア,アフリカの各地に毎年流行がみられている。
1858年のコレラの大流行は〈安政コレラ〉ともいわれ,日本疫病史でも最大のものの一つに数えられる。オランダの医師ポンペが《日本滞在見聞記》に記録しているように,長崎に入港した米艦ミシシッピ号が持ち込んだ。病勢は激甚を極め,九州,四国から大坂,京都,江戸,さらに遠く箱館(函館)にまで及び,多数の死者を出したため,民衆は〈ころり〉と呼んで恐れた。江戸だけでも死者10万余あるいは26万余人を数えたという。幕末動乱の時だけに,コレラが朝野に与えた衝撃は深刻であった。ついで62年(文久2)の流行を経て明治維新を迎えるが,明治日本にとってコレラは国家社会の大問題となった。77年,79年,82年,86年,90年,91年,95年と絶えず大流行をくりかえし,明治44年間のコレラの総死者数は37万余,日清・日露の大戦の死者数をはるかに上回った。これに対し,明治政府は警察行政的に対処し,民衆の反感を買い,各地で〈コレラ一揆〉と呼ばれる騒擾事件が起こり,やがて条約改正による海港検疫権の確立とともに大流行は終息していった。〈コレラは衛生の母〉といわれるが,日本でもコレラは衛生行政の原点となった。
第2次大戦後,日本では1946年いわゆる〈復員コレラ〉として戦地から引き揚げてきた兵士たちが持ち込んだコレラが流行し,死者560人にも達した。その後,日本からコレラは姿を消していたが,77年有田市,78年東京上野の池之端文化センターを中心とする流行,また神奈川県の鶴見川のコレラ菌汚染など,コレラ汚染地域からの旅行者,輸入食品の汚染が問題となり,輸入伝染病としてコレラが注目されるようになった。
執筆者:橋本 博+立川 昭二
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…初期には象徴派詩人として《十字路の幻》(1914)などの詩集を出したが,バルカン戦争や第1次世界大戦を体験した後,しだいにリアリズムの立場へ移っていった。《マトフ大佐の銀婚式》(1933),戦争の悲惨さを描いた小説《コレラ》(1935)が有名である。社会主義政権成立後,作家同盟会長,科学アカデミー付属文学研究所長などを歴任した。…
…15~16世紀にイギリスだけを襲った奇病,イギリス発汗熱,また16世紀以降とくに戦争の折,および平時では監獄でしばしば流行した発疹チフス,それに1493年アメリカ発見の航海から帰ったコロンブスの一行によってもちこまれた梅毒も,たちまちヨーロッパをまきこんだ。インドのベンガル地域の地方病コレラが,19世紀には6回にわたって世界的な大流行をおこした。このような大流行に対して,治療医学はほとんどなすべき手段をもたなかった。…
…乾霍乱,熱霍乱,寒霍乱など種々の病名が記載されている。病状からみてコレラや細菌性食中毒などを含む急性消化器疾患と考えられる。現在の中国語では霍乱とはコレラのことである。…
…その清濁各社競合状況の中で,チェルシー水道会社が実用に耐える砂ろ過技術を開発し,揚水した河水を大量にまとめてろ過してから配る水道を完成したのは1829年であったが,これにならう会社は少なかった。 30年代からコレラが頻繁に流行した。50年ころから,コレラは汚染された飲水により感染すること,河水でもろ過水の供給を受けている地域では患者数と死亡率がともに低いことが経験的に知られ出した。…
※「コレラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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