改訂新版 世界大百科事典 「ゴッツィ」の意味・わかりやすい解説
ゴッツィ
Carlo Gozzi
生没年:1720-1806
イタリア,ベネチアの劇作家。没落貴族の出身。20歳でベネチア軍の将校としてダルマティアに駐屯。1744年ベネチアに戻り,知識人のサークルであるグラネレスキ学会の会員となる。折しもゴルドーニが,コメディア・デラルテ風の猥雑な即興演劇を排斥し,ブルジョア喜劇,教訓的意味あいをもった風俗喜劇によるイタリア演劇の改良を提唱し,大当りをとっていた。伝統主義者で,かつ貴族的精神の持主であったゴッツィは,このブルジョア的写実主義に反発し,コメディア・デラルテの擁護にまわり,荒唐無稽なお伽話の筋立てに,コメディア・デラルテの登場人物を配した《三つのオレンジの恋》《緑の奇麗な小鳥》《トゥランドット》などの作品を書いて大成功を収めた。これらの幻想豊かな作品は,後にプロコフィエフ,メーテルリンク,プッチーニなどによって採り上げられている。回想録《あだなる想い出》(1780)も知られている。
執筆者:西本 晃二
ゴッツィ
Gasparo Gozzi
生没年:1713-86
イタリアの文学者。カルロ・ゴッツィの兄。ベネチアで活動した。特に注目すべきは,イギリスの《スペクテーター》や,フランスの《スペクタテール・フランセ》など,18世紀ヨーロッパの流行であった教養主義的良識派の新聞をベネチアで《ガゼッタ・ベネタ》《オッセルバトーレ・ベネト》の題で刊行したことである。その散文は古典の教養に支えられ,しかも衒学的に流れず,人情の機微をとらえて,18世紀イタリア散文の代表的なものといわれる。啓蒙主義思想の論客ベッティネリとの論争では,ダンテを擁護し,理性優位の風潮に対して,詩の権利を主張した。ただし,その詩はロマン派流の感情中心のものではなく,古典の規範と修練によるものであった。詩作品としては《セルモーニ(説教)》がある。
執筆者:西本 晃二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報