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スタイン スタイン Stein, Gertrude

11件 の用語解説(スタインの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スタイン
スタイン
Stein, Gertrude

[生]1874.2.3. ペンシルバニア,アリゲニー
[没]1946.7.27. パリ
アメリカの女流詩人,小説家。ラドクリフ大学で W.ジェームズについて心理学を学び,卒業後ジョンズ・ホプキンズ大学医学部に入った。 1903年ロンドンに渡り,のちパリに移って,「国籍離脱者」として生涯の大半をフランスで過した。

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スタイン
スタイン
Stein, Sir Mark Aurel

[生]1862.11.26. ブダペスト
[没]1943.10.26. カブール
ハンガリー生れのイギリスの考古学者,東洋学者,探検家。3回にわたって中央アジア探検を行なった。第1次は 1900~01年でホータン付近で調査,第2次は 06~08年でさらに東に進み中国の新疆省各地を探検,トンホワン (敦煌) などにも足跡を印し,千仏洞を発見した。

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スタイン
スタイン
Stein, William Howard

[生]1911.6.25. ニューヨーク
[没]1980.2.2. ニューヨーク
アメリカの生化学者。 1938年コロンビア医科大学で学位取得後,ロックフェラー医学研究所 (現在ロックフェラー大学) に入所。蛋白質の分子構造の研究に従事し,蛋白質から得られるアミノ酸類,ペプチド類の構造分析法を発展させるとともに,その方法を用いてリボ核酸の分解酵素であるリボヌクレアーゼの構造決定に多大の成果を収めた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

スタイン(Gertrude Stein)

[1874~1946]米国の女流小説家・詩人。1903年以降フランスに定住。「ロストジェネレーション失われた世代)」の命名者。前衛的な作品を発表した。小説「三人の女」、詩集「やわらかいボタン」など。

スタイン(Mark Aurel Stein)

[1862~1943]英国の考古学者・探検家。ブダペストの生まれ。中央アジアを探検し、敦煌(とんこう)で多数の仏画・仏典・古文書を発見。古代東西交渉史の究明に貢献。

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百科事典マイペディアの解説

スタイン

米国の女性作家。ドイツユダヤ人の家庭に生まれる。1903年にパリに行きサロンを開いて,ピカソマティスらの画家や米国からのがれてきた作家のパトロン役を務めた。
→関連項目トムソン

スタイン

英国の東洋学者,探検家。ブダペスト生れ。ドイツ,英国で東洋学を修めたのち,インドに渡る。1900年―1901年,1906年―1908年,1913年―1916年中央アジアに入り,敦煌(とんこう)をはじめホータンカラ・ホトタリム盆地を調査。
→関連項目カラシャールカローシュティー文字玉門関シャバンヌショルチュク橘瑞超中央アジア敦煌莫高窟ニヤミーラーンル・コック楼蘭

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世界大百科事典 第2版の解説

スタイン【Gertrude Stein】

1874‐1946
アメリカのユダヤ系詩人,小説家。彼女は東部の大学を出て,1902年パリに渡り,しばらくあとで同居するようになった女友達兼秘書のアリス・B.トクラスとともに,おもにパリ,第2次大戦後は南仏で一生を過ごし,講演旅行のほかはアメリカに帰ることがなかった。兄リオとともに,当時まだ有名ではなかったセザンヌを収集したのを手はじめに,以後親交のあったピカソに傾倒,彼を中心とするキュビスム(立体派)の諸家やH.マティスの作品などを,当時の誰よりも早く認めて収集した。

スタイン【Mark Aurel Stein】

1862‐1943
イギリスの探検家,考古学者。ハンガリーに生まれ,ドイツ,イギリスで学んだ。1904年イギリスに帰化。ローリンソンの推輓で,インド(現在のパキスタン)のラホールの東洋語学校の校長に着任した。中国領中央アジアを,インド政庁の援助の下に1900‐01年,06‐08年,13‐16年の3次にわたって調査した。その旅行記ならびに調査報告は重要で,特にアスターナ敦煌の調査は有名。その間ガンダーラの仏教寺院のほか,32‐36年のイラン,38‐39年にはシリアヨルダンよりイラクに至るローマ長城の調査を行う。

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大辞林 第三版の解説

スタイン【Stein】

〔Gertrude S.〕 (1874~1946) アメリカの女流詩人・小説家。パリに住んでサロンを開く。実験的作品により新しい文学形式を模索。「失われた世代」の命名者。短編集「三人の女」など。
〔Mark Aurel S.〕 (1862~1943) イギリスの探検家・考古学者。インド・イラン・東トルキスタンの諸遺跡を調査・発掘し、インダス文明や、ヘレニズム・仏教文化の東漸の実態を解明。敦煌とんこう千仏洞で多数の古経典・仏画を発見した。

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20世紀西洋人名事典の解説

スタイン


シュタインをも見よ。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
(C) 1995 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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世界大百科事典内のスタインの言及

【カラシャール】より

…中国の西域経営において漢代に僮僕校尉,西域都護府下にあり,北魏では焉耆鎮,唐では安西都護府下の安西四鎮の一つであった。1906年にグリュンウェーデル,08年にスタイン,09年にオルデンブルグ,28年に黄文弼が考古学調査を行い,とくにスタインは焉耆県南西13kmの都城址バグダードシャフリを唐代焉耆都城に比定した。その西の山寄りに仏教寺院址が群集し,その北東山腹に小規模な石窟寺院が残る。…

【漢簡】より

…これを象形した文字が册(策)で,結びひもを編と呼ぶ。 漢簡を最初に発掘したのはイギリスのオーレル・スタインで,1907年(光緒33)に彼の第2次中央アジア探検において,甘粛省敦煌の北方に残る漢代の遺跡から700余点を得た。現大英図書館に存する敦煌漢簡で,フランスのÉ.シャバンヌにより釈読され,中国の羅振玉王国維にも《流沙墜簡》の研究がある。…

【高昌】より

…現況の各城壁や建築地が上の歴史に照らし,どの時期のものか比定は困難であるが,内城中央で北涼の沮渠(そきよ)安周造寺功徳碑やマニ教壁画,ウイグル文仏典が出土している。都城外側にある墓地は,北東方のカラホージョ村以東,北西のアスターナ村以北,南東方の3区に墳丘を伴って営造され,数基ないし数十基を垣で囲む同姓の墓園から成り,その一部は1915年にスタインによって発掘され,1959‐75年には晋代から唐代に至る400基が発掘された。墓誌,紙本・絹本の絵画,俑(よう),錦綾,鞋靴(あいか),衣物疏,地券,功徳録,契約文書,紙棺,枕衾(ちんきん),冠帯などが出土し,またビザンティン帝国やササン朝ペルシアの金・銀貨が,遺体の口に含ませたり,両眼を覆う含銭・覆眼といった独特の風習に使われて出土した。…

【トユク石窟】より

…北方を境する火焰山の一峡谷中にあり,カラ・ホージョ東方に位置する。1898年D.A.クレメンツ,1907年A.グリューンウェーデル,16年M.A.スタインが調査し,A.vonル・コックや大谷探検隊も調査したが,一部が知られるにすぎない。石窟ばかりでなく,断崖の空地を利用して,泥煉瓦による寺院も構築された。…

【敦煌】より

… 敦煌の名がとくに有名になったのは,県城の南東17kmにある鳴沙山東麓に仏教の大石窟群,敦煌莫高窟があり,今世紀の初頭に,その第17窟,蔵経洞とよばれる仏洞から大量の経巻や古文書,書画の類が発見され,世界の東洋学および仏教美術の研究に寄与したためであった。1907年(光緒33)以来,イギリスの探検家M.A.スタインとフランスの東洋学者P.ペリオ,日本の大谷探検隊などがもたらした古文献や書画が,南北朝・隋・唐時代の中国の社会経済史や古文書学,仏教あるいは美術や俗文学(変文)といった研究に刺激を与え,活発ならしめた貢献は,確かに特筆に値する。それとともに,スタインが,1906年から08年にいたる第2次中央アジア探検において,敦煌付近の長城の遺跡から辺境守備隊関係の漢代木簡点を発見し,13年から15年にいたる第3次探検において同じく敦煌付近で166点の漢代木簡を発見したことの学術史上の功績を看過してはならない。…

【敦煌学】より

…1900年(光緒26),道士王円籙が第17窟に封蔵されていたおびただしい古写本,古文書,絵画類を発見した。当初はほとんど関心を呼ばなかったが,07年にイギリス探検隊のスタイン,08年にフランスのペリオが,それぞれ大量に買い取って本国へ持ち帰ったことから,世界の学界の注目を集めるようになった。10年に清国政府は残余の漢文文献を北京に運ばせたが,その後に訪れた大谷探検隊,ロシアのオルデンブルグ,第3次探検のスタインは,さらに若干点を取得した。…

【ニヤ】より

…2~3世紀の精絶国に比定される。1901年M.A.スタインにより発見され,その後を含めて3度調査された。さらに59年,新疆ウイグル自治区博物館により再調査された。…

【ミーラーン】より

…一方,5~6世紀の断絶を経て吐蕃が進出,そのタリム盆地経営の基地として重要な役割を果たした。遺跡は1907年,14年の2回にわたるM.A.スタインの調査で明らかになった。ミーラーンは吐蕃期の基地として重要な意味をもつほか,とくにタリム盆地における初期の仏教活動を証拠だてるミーラーンII,III,Vなどの寺院跡が注目される。…

【木簡】より

…また簡面をカバーし,その表面に宛名を書くものを検,同じものを二分して別に保持し,必要なときにつき合わせて証拠に使うものを符,品物につける鉄道荷札のようなものを楬(けつ),旅行者の身分証明書を棨(けい)というなど,使用目的による名称もある。中国木簡の出土は1901年にA.スタインがタクラマカン砂漠中のニヤ遺跡で晋簡を発掘したのに始まるが,彼はそれ以前にカローシュティー木簡を発見している(カローシュティー文書)。20世紀前半には西欧人の中央アジア探検によって中国西辺のフィールドにおいて発掘され,スタインの敦煌漢簡,楼蘭晋簡,S.A.ヘディンの楼蘭晋簡,居延漢簡などが有名で,なかでも内モンゴルのエチナ発見の居延漢簡は1万点をこえ,木簡研究の中心課題である。…

【楼蘭】より

… 4世紀末にこの一帯を通過した法顕の記録するところによれば,当時クロライナには小乗仏教を奉ずる国王と4000人の仏僧がいたことが知られ,この僧の数からしても,かなりの都市に成長していたことが推定される。また20世紀の初頭,A.スタイン,S.ヘディンらがこの鄯善王国領内の砂に埋もれた諸遺跡(ニヤ,エンデレ,クロライナ)から発見した782点にのぼる〈カローシュティー文書〉によって,3~4世紀の鄯善王国では,公用語として,西北インドの俗語であるプラークリット語が使用され,クロライナに居住した〈大王,王中の王,……〉を中心にかなり強力な中央集権的な政治体制がとられていたことが知られる。プラークリット語の使用は,当時この地域に,かなり多数のインド系の住民が居住していたことを示唆するものである。…

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