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ノッティンガム(伯) ノッティンガム[はく]Nottingham, Charles Howard, 2nd Baron Howard of Effingham and 1st Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ノッティンガム(伯)
ノッティンガム[はく]
Nottingham, Charles Howard, 2nd Baron Howard of Effingham and 1st Earl of

[生]1536
[没]1624.12.13. サリー,クロイドン近郊
イギリスの貴族,海軍軍人。ハワード家の一員。2代ノーフォーク公の孫でエリザベス1世の従弟にあたる。 1573年父の跡を継ぎ男爵授爵,85~1619年海軍卿。 1586年メアリー・スチュアート裁判委員。 88年スペイン無敵艦隊撃滅の最高指揮官。 96年2代エセックス (伯) とともにカディスに遠征。翌年伯爵。 99年陸海軍最高指揮官。 1601年エセックス伯の反乱を鎮圧しその裁判にあたる。ジェームズ1世治世においてもスペイン駐在大使 (1605) その他の任にあたり,重臣として活躍した。

ノッティンガム(伯)
ノッティンガム[はく]
Nottingham, Daniel Finch, 2nd Earl of

[生]1647.7.2.
[没]1730.1.1. ケント
イギリスの政治家。大法官をつとめた初代伯ヘニッジ・フィンチの長男。トーリー党員で,1680年枢密顧問官,81年海軍卿。名誉革命は一応支持したが,オランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世 ) の王位承認には不賛成で摂政案を主張し,条件付きで妥協したのち,93年まで国務卿をつとめた。 1702年アン女王の登位とともに再び国務卿に就任したが,2年後ホイッグ党が優勢になって辞任。以後,高教会派 (国教会右翼) トーリー党員の指導者として,11年の便宜的国教徒禁止法の制定その他に活躍。 14年枢密院議長になったが,16年「十五年の反乱」に関与したジャコバイト貴族たちへの寛恕を唱えて解任され,晩年は郷里に引退した。

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