ハエ(英語表記)Muscomorpha

改訂新版 世界大百科事典 「ハエ」の意味・わかりやすい解説

ハエ (蠅)
fly
Fliege[ドイツ]
mouche[フランス]

双翅目環縫(かんぽう)亜目に属する昆虫を指すが,それに類似した双翅類昆虫の総称としても使われ,必ずしも環縫亜目の昆虫だけをさすとはかぎらない。たとえば,キノコバエケバエチョウバエは長角亜目に,オドリバエアシナガバエ,マドバエは短角亜目に属する。いわゆるハエと呼ばれる昆虫は,日本には約40科数千種いるといわれているが,まだ十分に研究されていない科も多い。この亜目は,羽化の際に触角基部にあり膨張可能の器官である額囊(がくのう)を出さない無額囊群と額囊を出す有額囊群に分けられる。有額囊群には,鱗弁の小さな無弁類とよく発達している有弁類,鱗弁をもっているが蛹化(ようか)直前の老熟幼虫を産む蛹生群が含まれる。日本に生息するおもなハエは次のような科に属する。

 無額囊群には成虫が花上でよく見られ,アブに似ているのでハナアブと呼ばれているショクガバエ科ハナアブヒラタアブ),屋内の窓ガラス上を歩いているのが観察され,ほとんど飛ばないノミバエ科(ノミバエ),ハチに似るハエで,成虫は飛びながらハナバチやスズメバチ類の体に産卵し幼虫が宿主の体内で血液をとって育ち,蛹化するメバエ科がある。日本には約20種生息する。

 有額囊群には次の科が知られている。翅に特有の斑紋をもち,幼虫が植物に寄生するミバエ科(ミバエ)。熱帯の森林内に多いハエで,口吻(こうふん)が太く,翅に斑がありミバエに似て,成虫は腐った果物や動物糞上でよくみられるヒロクチバエ科。成虫が水辺または湿地に生息し,幼虫は水生または陸生で,淡水の巻貝,陸生の貝やナメクジなどを食べるヤチバエ科。これは谷地(湿地)に生息するハエの意。海岸に生息するハエで,幼虫は海岸に打ちあげられた海藻などを食べて育つハマベバエ科。ハマベバエFucomyia frigidaは全国に分布するが,北海道の海岸にとくに多い。広島や岡山で捨てられたカキ殻から発生する種もある。ベッコウバエ科はベッコウバエStenodryomyiza formosaが代表種。大型(10~18mm)で翅に斑紋がある美しいハエである。森林に生息し,樹液や動物糞に集まる。ツヤホソバエ科は小型(2~5mm)。体は細長く,一見アリのように見えるので英名でant flyと呼ばれる。幼虫は糞食性。成虫も動物糞上に見られる。日本には約30種生息する。牧場や畜舎の周辺に多い。シマバエ科は小型,翅に斑紋をもつ種が多い。森林内の下草の上などでよく見かける。幼虫は腐植性。クロツヤバエ科は小型で,成虫の体は光沢ある黒色,雌の産卵管は硬化して長く,朽木などに穿入して産卵する。幼虫は腐敗した植物を食べる。チーズバエ科は小型,体長は5mm以下,代表種チーズバエPiophila caseiは世界中に分布し,とくにヨーロッパでは,幼虫がチーズ,ベーコン,乾燥肉など高タンパク質の貯蔵食品に発生するので有名である。幼虫は体をまるめて,急にのばす反動でとび上がる性質があり,cheese skipperと呼ばれる。幼虫が潜葉性で種特有の食跡を残すハモグリバエ科ハモグリバエ)。幼虫が植物の茎に潜入するキモグリバエ科(キモグリバエ)。ミギワバエ科の成虫は,海岸,湖や沼の岸,川岸など水辺で生活する。幼虫は水生で,ふつう泥土中で生活するが,海岸の潮だまりで海藻を食べる種や植物の葉や茎に潜入する種もある。カマキリバエは,前脚がカマキリの前脚と同じく鎌状で,水辺で小昆虫を捕食する。遺伝学の実験で有名なショウジョウバエ科(ショウジョウバエ)。幼虫がカイガラムシに寄生し,成虫はしつこく目にまとわりつくカイガラヤドリバエ科クロメマトイ)。トゲハネバエ科は成虫の前縁脈に沿ってとげが生えているのが特徴。森林内に多く,幼虫は腐敗植物質を食べるが,菌類に寄生する種もある。センチトゲハネバエOrbellia tokyoensisは,秋から冬にかけて便所の窓など屋内で見られる。幼虫が動物糞を食べて成長するものや,植物寄生の種も見られるフンバエ科(フンバエ)。成虫が花上や葉上に多く,翅脈に特徴のあるハナバエ科(ハナバエ)。イエバエを代表とするイエバエ科イエバエ)。キンバエ類とクロバエ類で代表されるクロバエ科(クロバエキンバエ)。幼虫が動物質を好んで食べるニクバエ科(ニクバエ)。幼虫がおもに鱗翅目(チョウ,ガ)の幼虫に寄生するヤドリバエ科(ヤドリバエ)。幼虫がヒツジの鼻孔に寄生するヒツジバエ科(ヒツジバエ)。成虫の口器は退化し,幼虫はウマの消化管に寄生するウマバエ科(ウマバエ)など,蛹生群には,おもに鳥類,哺乳類に寄生し吸血するシラミバエ科(シラミバエ)。成虫がコウモリに寄生するコウモリバエ科(コウモリバエ)とクモバエ科(クモバエ)などが含まれる。このほか,アフリカには原虫性疾患のトリパノソーマ症を媒介するツェツェバエ科ツェツェバエ)が生息する。

一般に,ハエという場合には,家屋内に侵入するイエバエやヒメイエバエ,汚物に集まるクロバエ,キンバエ,ニクバエなどをさすことが多い。これらはハエの中でも高等で体制がよく発達している。脚の先端には,つめ,爪間板(そうかんばん)のほかに褥盤を生ずる。褥盤には粘液を分泌し,ガラスの表面や天井にも静止でき,これにより病原菌などを付着させて運搬するといわれるゆえんである。飛翔(ひしよう)力が強く,触角にある嗅覚(きゆうかく)器もよく発達し,食物を求めて家屋内に侵入するものもあり,ヒトや食物と接触する機会が多く,ウイルスや細菌性の感染症の病原体を体につけて運ぶといわれている。サシバエは吸血することで,ツェツェバエは睡眠病の病原体の媒介者として問題となる。このような衛生害虫のみでなく,農業害虫として問題となるハエも多い。ミバエ類の幼虫は果実や野菜などの実を食害する。ハモグリバエやキモグリバエ類の幼虫は植物の葉や茎に潜入して食害する。タマネギバエやダイコンバエのように,野菜の食用とする部分に寄生するハエもいる。これら,衛生害虫,農業害虫とされるハエは,ほんの一部であって,人の生活と密接な関係があるために目だつだけで,ほとんどのハエはわれわれの目につかないところで生活している。五月蠅と書いて〈うるさい〉と読ませる。ハエは昔からうるさいものの代表とされている。このハエは,おそらくイエバエのことである。清少納言の〈蠅こそにくきもののうちに入れつべけれ,愛敬なし……〉や一茶の〈やれ打つな,蠅が手をする脚をする〉もイエバエであろう。イエバエが,脚や頭をこするのは,掃浄作用で,櫛のように生えている脚の剛毛で体に付着したごみなどを取り除いているのである。
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英語でハエを表すflyという語は,本来,漠然と〈飛ぶムシ〉のことをさし,butterfly(チョウ),mayfly(カゲロウ),dragonfly(トンボ),firefly(ホタル)のように他の語についてそれぞれのムシの名を表す。このことから考えると,食物のみならず,顔や身体にたかってうるさいハエは,もっとも古く人類の注意をひいた,いわば基本的なムシであることがわかる。フランス語のmouche(ハエ)もまた,〈羽のあるムシ〉をさし,〈mouche à miel(みつをつくるムーシュ)〉といえばミツバチ,〈mouche d'Espagne(スペインのムーシュ)〉といえばスペインや南フランス産で,媚薬として用いられてきたミドリゲンセイLytta vesicatoriaのことをさす(この昆虫は英語ではSpanish flyである)。

 古代メソポタミアにおける病気と死の神ネルガルの象徴はハエである。ペリシテ人の都市エクロンの神ベエルゼブブBeelzebub,バアル・ゼブルBaal-Zebul,あるいはバアル・ゼブブBaal-Zebubは〈ハエの神(主)〉とよばれ,ハエを制御して人間をハエから守る神であるという。バアル・ゼブブというのは,イスラエル人がシリア・カナン地方の豊穣神バアルを軽蔑して呼んだ名で,バアルは,いけにえにした動物に群がるハエの大群から生じた神であるという。ベエルゼブブないしバアル・ゼブブは,新約聖書ではベルゼブルと記されて悪魔の呼称の一つとなっている。古代エジプトでは,ミツバチは雄牛のしかばねから生まれてくると信じられていた。ローマのウェルギリウスも《農耕詩》に,雄牛を殺してミツバチを生産する方法を神が授けることが歌われているが,牛の腐肉から発生したものはミツバチではなくて,それによく似たハナアブとハエであったであろう。

 ハエに関することわざは非常に多いが,たとえば日本で,〈くさい物にハエがたかる〉といい,英米で,〈みつのあるところ,必ずハエの大群あるべし〉というのは,いずれもハエの習性をたとえにして人間の行動を諷したものである。また俗信としてフランスでは〈聖金曜日にニシンをつるしておくとハエが家に入らぬ〉という。19世紀の詩人C.クロスの作品の中でもっとも人口に膾炙(かいしや)している《燻製ニシン》という詩の場合にも,その底ではおそらくこうした俗信とかすかにつながっているのであろう。ハエに関する文学としては中国に,宋の欧陽修の《憎蒼蠅賦》があり,イギリスのW.ブレークの《蠅》がある。ただしそれぞれの詩人のハエに対する態度は正反対で,前者がひたすらハエを憎み,かんしゃくを起こしているのに対し,後者は自分をハエにたとえ,親近感を寄せて歌っている。俳句には小林一茶のものをはじめとして数多くの句がある。L.ハーン(小泉八雲)が《新著聞集》の〈亡魂蠅となる〉を訳した〈蠅の話〉(《骨董》所収)では,玉という女中が死んでから,冬だというのに追っても追っても室内に入ってきて主人のまわりを飛びまわる大きなハエに印をつけ,家から遠く離れたところで放してまた戻るかどうかを調べることになっている。これこそまさに,現在さかんに行われているマーキングによる調査の古い記録であるというべきであろう。ちなみに冬にとびまわる大きなハエはおそらくオオクロバエという種類であると思われる。
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ハエは《古事記》上巻に見え,須佐之男(すさのお)命が青山を枯山のごとく泣き枯らし,河海をことごとく泣き乾(から)したので〈悪しき神の音(こえ)〉が〈狭蠅(さばえ)如(な)す皆満(み)ち〉,あらゆる妖(わざわい)が全部起こったという。《新撰字鏡》は波戸(はへ),《倭名鈔》は波閉(はへ),《大同類聚方》では波以(はい)と和訓をおいている。《日本書紀》ではスサノオが大蛇を斬った十握剣(とつかのつるぎ)の別名を〈天蠅斫之剣(あまのはへきりのつるぎ)〉とし,《源平盛衰記》はその由来を〈剣にとまった蠅はすべて斬れる〉ためと記す。《枕草子》に〈にくきもの〉のうちに入れているが,《大同類聚方》では,この憎むべきハエをトゲ抜きの奇方として記載している。処方はハエの頭とアカカゲロウの頭を黒焼きにし,糊で患部へ押しつけるようにしてはる。ウジムシの薬用例は漢方にもあるが,ハエの用例はない。なお,老犬の首に群がって血を吸うイヌバエを防ぐために,ワラシベにタバコのヤニを塗って首に巻いて避けるというのは《和漢三才図会》の説である。また《明月記》に,ハエが弱って飲食物に落ちたのを知らずに飲み,腹中に入ると非常に毒であると書かれており,ハエが病原菌を運ぶことを知らない昔の人も,ハエと疫病の関連に注目していたことが察せられる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハエ」の意味・わかりやすい解説

ハエ
Muscomorpha

双翅目短角亜目 (ハエ目ハエ亜目) のうちハエ群を形成する昆虫の総称。双翅類は一般にアブ,ハエと呼ばれているが,これらの呼び名は分類学上のグループとは必ずしも一致せず,ハエ群に属するものでもアブの名で呼ばれるものもあるし,カ群に属するものでハエの名で呼ばれるものもある。ハエ群に属する科は日本産だけでも 60科以上知られていて,ハナアブメバエミバエハモグリバエショウジョウバエイエバエハナバエクロバエニクバエヤドリバエシラミバエなどの諸科はその主要なものである。

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世界大百科事典(旧版)内のハエの言及

【双翅類】より

…双翅目Dipteraに属する昆虫の総称。名のとおり2枚の翅をもっている。dipteraもラテン語で2枚の翅の意で,アリストテレスの用法のラテン訳にもとづき,リンネが二名法を提唱して以来,この目の名称として用いられている。一般に,昆虫類は4枚の翅をもっているが,双翅類では前翅のみが発達し,後翅は萎縮して平均棍と呼ばれる突起となっている。双翅類をわかりやすくいうと,われわれの生活と密接な関係のあるカ,アブ,ハエの類のことである。…

【ハチ(蜂)】より

…大別して三つのグループにわけることができる。まず第1のグループは広腰(こうよう)類(英名saw fly)と呼ばれ,キバチ,クキバチ,ハバチなどの種類を含んでいる。そのほとんどは食植性で,草木の葉,茎,材などを摂食して成長する。…

【化粧】より

…イタリアで発達した紅,白粉,まゆ墨,アイラインを使う化粧法をフランスに伝えたのは,アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスであり,イギリスに伝えたのはエリザベス1世であった。16世紀にベネチアで始まったつけぼくろはパリに伝えられて流行し,フランスではムーシュmouche(蠅),イギリスではパッチpatch(つぎはぎ)とよばれた。白粉や紅は濃厚になり,男性も華美な服を着て化粧をするようになった。…

【蛆】より

…ハエやアブの幼虫の一般名。これ以外でも果実などにいる黄白色の幼虫もうじと呼ぶこともある。…

【毒虫】より

…毒液や毒汁を出すものに多くのドクガ類やイラガ類幼虫があり,甲虫のアオバアリガタハネカクシ類,カミキリモドキ・ツチハンミョウ類などもあり,かなり激しい皮膚の炎症を起こし,まれには失明することもある。また細菌類をまきちらす不潔なハエ類やゴキブリ類は不快害虫として一般には毒虫扱いをされる。そのほかつかまえると口吻(こうふん)で刺されるので痛い,サシガメやマツモムシなどのように反射的行動をとるものもときに恐れられ,また,病原菌を媒介するものもある。…

※「ハエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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