フランスの化学者、微生物学者。父ジャン・ジョセフJean-Joseph Pasteur(1791―1865)はナポレオン軍の下士官も務めた小さな皮革業者で、その長男として12月27日、ドール市に生まれた。幼時の天才児らしい話は残っていない。パリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業後、化学者バラールの助手となり、結晶の偏光面と旋光性の相関関係に興味をもち研究を行った。1848年ストラスブール大学教授。同年酒石酸の異性体、光学不活性ブドウ酸のナトリウム・アンモニウム塩の結晶のなかに左型と右型が存在し、左型の溶液は左旋性を、右型のそれは右旋性を示すことを証明した。分子不斉・分子三次元構造論はここから始まる。またアオカビはブドウ酸塩溶液中の右旋性酒石酸だけを代謝することを証明した。1854年リール大学教授。1857年乳酸菌による乳酸発酵を、1860年酵母によるアルコール発酵を証明、1861年空中の微生物を調べたうえで、「ハクチョウの首型フラスコ」を考案して自然発生説の完全否定に成功した。1862年パリ科学学士院会員。1865年ブドウ酒腐敗原因菌を研究、約60℃の低温殺菌法(パスツリゼーション)を提案。同年カイコの病気研究を依頼され、その病気を2種に区別し、1870年に感染した病虫からの卵による伝播(でんぱ)の予防法などを研究発表した。これ以前、1867年ソルボンヌ大学(パリ大学)教授。翌1868年脳出血のため半身不随となるが、1873年医学学士院準会員となる。1877年炭疽(たんそ)病の研究を始め、続いて壊疽(えそ)・敗血症・産褥(さんじょく)熱を研究、その間に嫌気性細菌の存在を報告、「微生物説とその医学および外科学への応用」(1878)を発表した。これらの研究の影響は、たとえばイギリスの外科医リスターの石炭酸防腐法などにみられる。
1879年、すでに自ら発見したニワトリコレラ菌弱毒変異株による免疫を発見。1880年狂犬病の研究を開始、1881年には弱毒性変異炭疽菌株によるヒツジの免疫実験成功を発表、続いてプュイ・ル・フォルにおいて炭疽免疫公開実験を行って完全に成功した。同年ニワトリコレラと炭疽のすべての成績をロンドンの国際医学会で発表、同時にこの種の予防製剤を、天然痘予防のための牛痘種痘法vaccinationを発明したジェンナーの栄誉をたたえてvaccinとよび、その接種をvaccinationとよぶことを提案して承認された。「ワクチン」はその日本語表記である。1882年フランス学士院会員。1885年7月6日狂犬にかまれた少年ジョセフに初めて狂犬病ワクチンを接種、少年はワクチン接種で助かった第1号で、長じてパスツール研究所守衛となる。同年ジュピーユ少年に狂犬病ワクチンを接種、成功した。ジュピーユが狂犬と戦う姿はパスツール研究所の庭にブロンズ像として残る。1888年全世界からの醵金(きょきん)によりパスツール研究所が落成、パスツールは「この建物のすべての石に世界の人々の善意がこもる」と感謝した。1895年9月28日死去。遺体は研究所地下の華麗なモザイク装飾の施された廟(びょう)に眠る。生誕100年記念に日本政府は七宝(しっぽう)焼大花瓶一対を贈呈、これも廟にある。
[藤野恒三郎]
『R・デュボス著、竹田美文・竹田多恵訳『ルイ・パストゥール』(1967・納谷書店)』▽『長野敬編『パストゥール』(1980・朝日出版社)』▽『川喜田愛郎著『パストゥール』(岩波新書)』
フランスの化学者,微生物学者で,近代的微生物学,生化学,免疫学の開拓者。革なめし業者の子として生まれ,パリのエコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)を卒業。A.J.バラールやJ.B.A.デュマに学び,酒石酸の対掌体を結晶の小面の差で分離できることを発見して,旋光性の問題を解決し(1848),物理化学者J.B.ビオにも認められた。光学的不斉性から,微生物の代謝に関心を深め,乳酸発酵(1857)をはじめアルコール発酵,酢酸発酵を研究。ドイツのJ.F.vonリービヒと対立して,発酵は生きた〈発酵素〉によってのみ行われるとした。また,アカデミー・デ・シアンスの懸賞課題にこたえて,自然発生の主張をうち破ったが(1862),この証明に用いた〈白鳥の頸〉フラスコはとくに有名。微生物が必ず親微生物に由来するとの指摘は,パスツール滅菌法(1866)や外科の無菌処理の基礎を築いた。恩師デュマの依頼によるカイコの微粒子病の研究などを経て,伝染病に研究を進め,ニワトリコレラや炭疽(たんそ)病を弱毒化病原で防いで,ワクチン法の基礎を築くとともに,狂犬にかまれた少年にワクチン治療を初めて試みた(1885)。ワクチン免疫法の成功の社会的反響はとりわけ大きく,パスツール研究所の設立の動機となったが,一連の成果は,1868年に脳卒中で倒れ,再起ののちにあげられたものである。応用面での業績と並んで,初期のテーマへの関心も終生失わなかった。親友の生理学者C.ベルナールが,パスツールのブドウ酒発酵の説に批判的であったことが遺稿から判明すると,ブドウ園の果実から無菌的に得たブドウ液は放置しても発酵しないなどの鮮やかな実験で,それに応じた。
若くしてリール大学の理学部長(1854-57)となって以来,ソルボンヌ大学教授(1867-74),パスツール研究所長(1888-95)などを歴任。科学の研究と教育制度にも関心が深く,政府機関への報告,建議的なものも含めて,多くの論稿を発表している。彼の活動範囲は広く,20世紀の生物科学の全分野に影響を与え,あるいはその創設者と位置づけられる。実験が巧みで,討論にたけ,批判者への反駁(はんばく)は徹底的であった。酵母の発酵が,酸素供給の十分なとき低下することから,発酵と呼吸の干渉をすでに指摘して,20世紀にパスツール効果として改めて生化学的に解明されたことなども,観察の鋭さを物語る。ただし,発酵が生きた細胞でなければ行われないとの主張は,彼の死後すぐに,酵母の無細胞抽出液でアルコール発酵を確認したE.ブフナーによって否定された。
執筆者:長野 敬
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…彼はさらにベーリングとともに,これを動物に少量ずつ注射して,かなりの量にも耐えられるようになったところで,その動物の血清がジフテリアにかかった動物を回復させる能力のあることを発見(1893),同様な方法で,2人は破傷風についても治療血清をつくりだした。フランスのL.パスツールは,細菌学の知識を利用して醸造業の能率向上,畜産獣医学方面での防疫法をつぎつぎと開発,人間においても狂犬病ワクチンの開発に成功した(1885)。このような治療血清やワクチンは,細菌学の技法を用いているとはいえ,基本的にはE.ジェンナーの牛痘接種による痘瘡(とうそう)予防と同じく,生体自身がもっている免疫能力を利用したものである。…
…21年イギリスの天文学者F.W.ハーシェルは一方の半面像をもつ石英結晶は偏光面をある一方に,もう一方の半面像をもつ結晶は逆方向に回転させることを発見した。48年L.パスツールは光学不活性ブドウ酸は(+)‐酒石酸と(-)‐酒石酸の等量混合物であることを示し,光学異性の原因が結晶の不斉に限らず分子の不斉にあることを示した。74年オランダのファント・ホフとフランスのル・ベルは独立に,光学活性の原因を炭素の四面体説により,次のように説明した。…
…抗カビ,抗ウイルスまた新しい薬理作用をもった抗生物質,微生物生産物の開発も現在なお続けられ,抗生物質は人類の健康に貢献することきわめて大なるものがある。
【抗生物質の発見史】
2種の微生物を同時に培養した場合に,一方の微生物の発育が阻止されることを拮抗現象antagonismと呼ぶが,拮抗現象の研究はJ.ティンダル(1876),パスツール(1877)に始まるといわれている。1900年に入って,何人もが拮抗現象を有する物質を抽出し,ミコフェノール酸などが報告されたが,医薬品としての利用は考えられていなかった。…
…微生物学の研究は,最初,酵母による発酵や動物の伝染病についてなされた。L.パスツールは1854年以来,乳酸発酵やブドウ酒の腐敗などを研究し,有機物の分解はそれぞれに特異的な微生物の働きによることを示した。またカイコの微粒子病や,ウシ,ヒツジなどの致死性伝染病である炭疽の研究を行った。…
… 19世紀に入ると自然発生の問題は,現在の地球上における微生物発生の問題と,進化論と関連した生命の起源の問題とに分かれて議論された。微生物発生の問題については,ニーダムとスパランツァーニの論争が,L.パスツールによって実験的に解決されたが,これらの実験は発酵の生物関与説および病原細菌論の展開と結びついたものであった。しかしこの問題が最終的決着をみるためには,ほかに寄生虫の生活環の発見や,減数分裂による細胞分裂機構の発見がさらに必要であった。…
…38年フランスの物理学者J.B.ビオは,酒石酸が右旋性,ブドウ酸が光学不活性であることを指摘した。48年L.パスツールは,酒石酸ナトリウムアンモニウム塩の微小結晶の半面像には右まわりのものと左まわりのものとがあるのに気づき,これを拡大鏡で観察しながらピンセットで選別するという骨の折れる作業によって両者を分割した。パスツールは,一方の結晶は右旋性(すなわち従来の酒石酸),他方は左旋性であり,両者の等量混合物は光学不活性であることを示し,ここに酒石酸とブドウ酸との関係を確立した。…
…しかし,微生物と発酵や腐敗との因果関係はその後も長いことわからなかった。1857年L.パスツールは北フランスのリールで,その地の重要産業の一つであるテンサイ糖からのアルコール製造における酸敗に注目して,乳酸発酵について研究し,これが細菌の作用によるものであると考えた。彼はさらに78年アルボアのブドウ畑で行った実験で,ブドウ果汁のアルコール発酵は,ブドウに付着している酵母によって起こることを実証した。…
… 歴史的には,18世紀末にA.L.ラボアジエが,糖のアルコール発酵現象において,糖からアルコールと炭酸ガスが生成することを示したことに生化学の始まりがある。発酵が生命現象であることを示したのは,L.パスツールである。さらに1897年に,E.ブフナーは,酵母の抽出液,すなわち無生物系でも発酵現象が見られることを示した。…
…しかし生命の起源に関しては明確な記述はしなかった。L.パスツールは1860年代の初年,微生物の自然発生を否定する実験をし,生命の起源の問題に一時期を画した。ただし,かれは進化論には関心をもたなかった。…
…例えば,ブサンゴーJ.B.J.D.Boussingault(1802‐87)は植物の光合成の研究を行ったが,同時に,リービヒと同様,テーアの〈腐植質説〉を否定し,マメ科植物の窒素固定に関する研究も行った。生物の〈自然発生説〉を否定したL.パスツール(1822‐95)は,家蚕の病気研究で優れた業績を上げ,さらに《昆虫記》の著者J.H.ファーブル(1823‐1915)は生きた自然をそのまま把握,研究することの重要性を説いた。 ヨーロッパの国々を通して,農学上,見落とせない一つの流れがある。…
…肺炎双球菌の感染鎖はヒトからヒトに結びついており(飛沫感染),閉鎖集団に感染が多発しやすい。肺炎双球菌は,1881年にL.パスツールによってヒトの唾液から発見され,ヒトの肺炎との関係は,86年にフレンケルAlbert Fränkelの広範な研究によって確定された。また1928年にはF.グリフィスによって,形質転換が最初にこの菌で発見され,O.T.エーブリーによって,この形質転換がDNAによることが44年に見いだされ,遺伝学の以後の発展の契機となった菌としても有名である。…
… 1800年代には,さまざまな病原細菌が発見され,伝染病が微生物によって媒介されることが明らかにされるようになった。ジェンナーの種痘の実績は,L.パスツールによって,炭疽やニワトリコレラなどさまざまな伝染病に応用されるようになった。ワクチンも,生きた微生物を含んでいる生菌ワクチンから,加熱その他の方法で殺した菌で行う死菌ワクチン,さらに細菌のつくり出すタンパク質や多糖類などでも有効な場合があることがわかり,現代においては有効部分を人工合成した合成ワクチンも登場するようになっている。…
…17世紀後半にはコルベールによる養蚕業の保護,奨励も行われた。 ヨーロッパでは19世紀初頭以降,養蚕業が本格的な農業の一部門として確固たる地位をかちえ,L.パスツールの蚕病研究を契機にして,科学的農業の性格さえ帯びるにいたった。フランスでのその全盛期は1820‐53年であり,53年における繭生産高は2600万kg,桑樹数は2400万本以上,養蚕業を営む村落2300以上,その従事者数30万~35万人と,史上最高を記録した。…
※「パスツール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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