ヒツジ(読み)ひつじ(英語表記)sheep

改訂新版 世界大百科事典 「ヒツジ」の意味・わかりやすい解説

ヒツジ (羊)
sheep

ヒツジ属Ovisに属する偶蹄目ウシ科の哺乳類の総称。またはそのうちの1種を指す。ヒツジ属はタールヤギバーバリーシープバーラルとともにウシ科のヤギ族Capriniに属する。ヤギ族はシャモア,ゴーラル,カモシカなどのシャモア族のものに似て,体ががんじょうで四肢と首が比較的短く,山地にすむのに適した体型をもつが,鼻先はタール以外のものでは毛でおおわれていて,露出した鼻鏡がなく,乳頭がふつう2個(タールは4個)しかなく,角の横断面が倒三角形,四辺形,またはひょうたん形で円形でないなどの点で異なっている。ヤギ族のなかでヒツジ属にもっとも似ているのはバーラルPseudoisであるが,これは眼下腺をもたず,角の基部断面が三角形でなく四辺形か円形である。バーバリーシープは,ヒツジの名はあるが実はヤギ属Capraに酷似し,しばしばヤギ属に含められる。

ヒツジ属

ヒツジ属はヤギ属と次の諸点で区別できる。すなわち雄にも下あごの下面にあごひげがなく,尾の下面に臭腺を欠き,多くは眼下腺があり,ひづめのすぐ上の指の間にある臭腺(蹄間腺)は前肢だけでなく後肢にもある(ヤギ属では雄にあごひげと尾の臭腺があり,眼下腺と後足の臭腺がない)。角は雌では小さいか,またはまったくないが,雄のは長大で基部が太く,顔の側方で渦巻きを形成し,その中心は目のあたりにある(ヤギ属では角は後上方に長くのび,やや渦巻状に曲がる場合でも,その中心は肩のあたりにある)。角の基部の横断面はほぼ倒三角形(ヤギ属では四辺形かひょうたん形)。

 ヒツジ属の野生種には,角の基部に近い部分の上面(三角形の底辺を含む面)と内面の境,すなわち内縁が鋭く顕著で,上面と外面の境,すなわち外縁が丸く不明りょうなユーラシア系の種と,反対に外縁が鋭く顕著で,内縁が丸く不明りょうなアメリカ系の種とがある。ユーラシア系の種には,家畜のヒツジの原種と見られるムフロンO.musimonサルデーニャとコルシカ)とアジアムフロンO.orientalis(小アジア,イランなど。ただしこれらを同一種とみなす学者もあり,その場合はムフロンの学名O.orientalisとなる)のほか,ウリアルO.vignei(イラン,カシミール)およびアルガリO.ammonアルタイヒマラヤ)があり,アメリカ系の種にはビッグホーンO.canadensisがある。ビッグホーンは,シベリアビッグホーンO.nivicola(シベリア北東部),ダルビッグホーンO.dalli(アラスカ,カナダ)およびアメリカビッグホーンO.canadensis(カナダ南西部からメキシコ北部まで)の3種に細分されることがある。
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家畜ヒツジO.ariesメンヨウ(緬羊)ともいう)は,今から約8000年ほど前に野生ヒツジから馴化(じゆんか)されており,現在では毛用,肉用,乳用,毛皮用と多目的に利用され,たくさんの品種が作出されている。野生の祖先種としてはイラン北部の草原に野生するウリアルが最初に家畜化され,その後ヨーロッパの丘陵性野生ヒツジのムフロンや中央アジアの山岳ヒツジのアルガリがそれぞれの地方で家畜化されてお互いに交配され,多数の品種が作り出された。最古の家畜ヒツジと思われる遺骨はカスピ海沿岸のベルト洞窟や,アナウの遺跡から出土しており,新石器時代の定住的農耕生活に入った人類により馴化されたと考えられるが,ヒツジやヤギが遊牧民の生活にもっとも適した性質をもつ点から考えると,その馴化はもっと早く放浪狩猟民の手によって行われた可能性も考えられる。

祖先種が多元的で飼養目的が多岐にわかれ分布も広いので,品種の数は1000種を超える。肉用種,毛用種,兼用種など,飼育の目的によって区分されたり,細毛種,粗毛種,長毛種,短毛種などと毛の品質によって区分されたりするが,これらを総合的に判断して次の9群にわけることができる。

(1)メリノー系種(メリノー種) スペインにローマ人がもちこんだヒツジが源となり成立したスパニッシュ・メリノー種Spanish Merinoは細美な羊毛を生産する毛用種として世界各地へ広められ,オーストラリアではオーストラリアン・メリノー種Australian Merino,フランスではランブイエ・メリノー種Rambouillet Merino,ドイツではサクソニー・メリノー種Saxony Merino,アメリカでデレーン・メリノー種Delaine Merinoなど一連のメリノー系種が成立した。いずれも乾燥した土地に適し,毛質は優れているが,産肉性は劣る。雄は有角,雌は無角である。オーストラリアン・メリノー種種が代表的な品種であるが,これはさらに羊毛の太さによりストロングタイプ(太番手),メディウムタイプ(中番手),ファインタイプ(細番手)の3型に分類される。

(2)イギリス・ダウン系種 イギリスのイングランドで成立した無角,短毛の肉用種で,おもな品種としてはサウスダウン種Southdown(サセックス原産。四肢短く肉質佳良で肉メンヨウの女王と称される),シュロップシャー種Shropshire(シュロップシャー原産。やや大型で雑種生産に利用されている),サフォーク種Suffolk(顔が黒い短毛でおおわれる。早熟で産肉性に優れる),ハンプシャー・ダウン種Hampshire Down(目と耳に黒斑),オックスフォード・ダウン種Oxford Down(ダウン系種としては大型)など。

(3)イギリス低地系種 イギリスの低地で作出された肉用種で,全身は光沢のある長毛でおおわれている。代表的な品種としてはリンカン種Lincoln(リンカン原産。イギリス種中最大),レスター種Leicester(レスター原産),ボーダー・レスター種Border Leicester(ノーサンバーランド原産),ロムニー・マーシュ種Romney Marsh(ケント原産。低湿地に強い)がある。

(4)イギリス山岳丘陵種 イギリス,スコットランドの山岳地帯で作られた粗い毛をもつ肉用品種。有角のものが多い。代表的な品種にブラックフェイス種Blackface(黒面で小型,寒さに強く肉質がよい),ロンク種Lonk(らせん形の角),チェビオット種Cheviot(白色で優美な体型)など。

(5)ヨーロッパ大陸系肉用種 オランダ原産のテキセル種Texel,フィンランド原産のフィン種Finnishなどがあり,後者は多産で有名。

(6)クロスブレッド系種 メリノー系の毛用種とイギリス産の肉用種(おもに低地系の長毛種)を交雑したものを基礎群として作出された毛肉兼用の品種。無角のものが多い。代表的な品種にコリデール種Corriedale(ニュージーランド南島原産。気候風土への適応性強く,日本でも多く飼われていた),ポールワース種Polwarth(オーストラリア原産。毛質も肉質もよい),コロンビア種Columbia(アメリカ原産。白面大型)などがある。

(7)乳用系種 羊乳の生産を目的に飼われる品種で,ドイツ原産のオストフリージャン種Ostfriesian(乳量400~500kg),フランス原産のラクーヌ種Lacauneが有名である。

(8)毛皮用系種 西アジア原産のカラクール種Karakulの生後まもない子ヒツジの毛皮はアストラカンの名で珍重される。

(9)脂肪尾羊系種 アルガリを祖先種とするアジアのヒツジには尾に脂肪を蓄積する肉用種の寒羊,ブラックヘッド・ペルシャン種Blackhead Persianなどがある。毛は粗く,カーペット用。

ヒツジは草食性で,とくに若い短い草を好んで食べる。群居性が強く,集団をつくって低地から高地へ,風下から風上へと草を食べながら進む。放牧したウシがまだらに食い散らした後の草地にヒツジの群れを放すと化粧刈りの労力が節約でき,肥効の高い糞尿で草地を肥やすので〈ヒツジは黄金のひづめをもつ〉ともいわれる。性質は温和で臆病である。ふつう年1回,秋に繁殖季節を迎え,この時期には雌は17日の周期で発情を繰り返す。妊娠期間は152日くらいで,春に1~2子を生む。フィン種のように多産のものでは3~4子もまれではない。子ヒツジは生まれたときから毛も生え,目も開いていて,まもなく立ち上がって乳を探し求め,親の後について行動する。生後1ヵ月で飼料を食べ始め,3~4ヵ月で離乳する。2歳で繁殖供用が可能となり,7~8歳まで繁殖に用いる。ふつう,その後は肉用とする場合が多いが,適切な管理で飼い続ければ20年生きた記録もある。ヒツジは年1回,春に毛を刈りとる(年に2回刈りを行っているところもある)。せん毛はヒツジをひざの間にすわらせた形で保定し,特殊なはさみか電気バリカンで腹側から順次刈りとっていく。羊毛は毛脂(ヨークyolk)で湿っているので1枚の毛皮のようにつながって刈りとられ,周辺の汚れた部分をとり除いて残りを巻き込んでまとめる。せん毛後2~3週間くらいの時期に,外部寄生虫の駆除と皮膚病の予防の目的で薬浴を行うとよい。ヒツジは後軀(こうく)の毛を糞尿で汚さぬように,生後7~14日に断尾を行う。断尾は断尾器を用いて,第3と第4の尾椎間で切断する。肉用のものでは雄の去勢も行われる。削蹄(さくてい)は3ヵ月に1回くらい行う。大きな群れで飼育されるヒツジは個体識別が困難であるから耳に耳標をつけるか,または生後1~6週の間に耳に入墨か耳切りをする。ヒツジのかかりやすい疾病としては寄生虫による腰麻痺やコクシジウム症,肝蛭(かんてつ)症などの消化器病が多い。また放牧中に有毒植物を食べて中毒を起こす例もあるので注意が必要である。

羊毛はその太さと長さで利用方法が異なってくる。メリノー系種のような毛用種の生産する細美な毛は梳毛(そもう)羊毛として,精紡機にかけて毛糸とし,サージ,ギャバジンなどのなめらかな布地になる。ダウン系種の短い毛は紡毛羊毛と呼ばれ,メルトン,フラノなどの柔らかい布に織られる。脂肪尾羊系種の粗い毛は下級羊毛としてじゅうたんの原料毛に利用される。羊肉は繊維が細くて柔らかく消化しやすいが,特有の臭気があるので日本での評価は低い。また脂肪の融解点が高く,硬いので冷食には向いていない。羊乳は脂肪率が高く,6~8%もあり,飲用乳のほかバター,チーズの原料乳としても利用されている。フランスのアオカビの生えたロックフォールチーズは羊乳チーズの中でもとくに名が高い。羊毛皮はアストラカンのような高級品のほかにもシベリアのロマノフスキー種Romanovや中国の蒙古羊などの毛皮が防寒用に使われている。ヒツジの皮は薄く柔らかいので,袋物や細工物に利用され,古くは羊皮紙として紙の代りに用いられた。

ヒツジはウシとともに分布が広く世界各国に飼育されている家畜であるが,気候条件から北半球では北緯40°と北回帰線の間の地域,南半球では南緯40°と南回帰線の間の地域にもっとも多く飼われている。また牧羊業の形態と土地利用の状態の間には一定の関係が認められる。土地が安く粗放な農業の営まれる地域では牧羊業の重要性が高く,主として羊毛生産を主目的に行われるのに対し,農業がより集約的に行われる地域では牧羊業はその性格をかえ,肉生産の比重が増してくる。そして土地利用が極度に集約化し地価が高い地域ではヒツジはきわめて少なくなるか,牧羊業が消滅する。オーストラリア,アルゼンチン,南ア,旧ソ連などは第1の地帯に属し,イギリス,フランス,アメリカは第2の地帯に入る。ニュージーランドは両者の中間にあるといってよい。第3の地帯に入る国としてはドイツ,ベネルクス3国,日本などがある。日本の牧羊業は明治以降,政府の勧業奨励政策によって開始されたが,気候風土が牧羊に適さないうえに,技術的な未熟さもあり失敗に終わった。しかし第1次世界大戦後,再び牧羊業の重要性が見直され,とくに軍の要請として羊毛の国内自給が叫ばれたため,飼養頭数もようやく増えて1946年には約20万頭に達した。戦後は軍需はなくなったものの,食料不足と衣料不足の社会情勢が,農家の飼育熱をあおり,57年には100万頭を超えるにいたった。これらのヒツジは農家の軒先の小舎に少頭数が飼われ,蚕沙蚕糞などの農業副産物を飼料として給与されていたもので,世界各国での大群を放牧中心で飼育する牧羊業とは著しく異なった特殊な形式のものであった。そしてその後,日本の経済が回復して,安定するとともに国外の安価な羊毛が輸入され,化学繊維の発展などもあって,ヒツジの頭数は急速に減少しており,現在では2万4900頭(1994)が北海道と東北地方を中心に飼われている。
執筆者:

羊は,ヤギとともに小家畜として,牛,馬,ラクダといった大家畜と区別されるのがふつうだが,その管理や利用の面でも,いくつかの点で異なった様態を示している。

 まず羊は,体軀が小さいため,運搬や土地の耕起など,大家畜の果たす労役に用いることはできない。まれに,チベットの牧畜民が,移動時に穀物袋を羊にかつがせたり,古代メソポタミアで粗く耕起した畑に羊の群れを追い込んで土くれを砕くのに用いたりする例はあっても,それは例外的利用でしかない。また小さいだけに1頭当りの乳産量も少なく,少数飼養の場合なら牛を飼うほうが得である。消費の目的を含めて家畜飼養する中近東の定着農耕民が,役畜利用度のある牛をむしろまず飼おうとするのは,こういう理由からだと考えられる。羊はおもに,群放牧をする牧畜民によって飼われている。ところで群放牧する限り,500頭の放牧管理をしようが,200頭の管理をしようが,群居性,追随性をもつ羊の群管理において,労力はほとんど変わらない。労働力の経済性という点からも,羊は大群放牧飼養されることとなり,とうぜんそこから,放牧に適した草原地が広く展開した地域において,羊牧畜は最適の立地を見いだし,そこで発達することになった。日本をはじめモンスーン・アジアや熱帯雨林の発達した南アジアで,家牛が導入され飼養されているのに,羊飼養がもっぱら砂漠の周縁部,サバンナ地帯やステップ草原,そして地中海地域やヨーロッパなど冬雨地帯の,草地の発達に適した地域に限られているのは,上記のような役畜としての利用度の低さ,そして群放牧されるという条件がかかわっている。

 家畜の放牧において,雌に対する,繁殖能力のある雄の頭数比を低く保つということは,管理上の必須の要件である。まず雄は乳を産しない。しかも多くの雄がいたのでは交尾期に興奮し,群れの安定が低下する。野生の状態では,おのおのの雄は雌を自己の支配下におき,ハレムをつくる習性をもち,群れはハレムの数だけに分裂する。群れの管理効率の観点から,徒食者であり安定を乱す雄は,種つけに最低限必要な頭数を確保したあと,他は不要である。雄を肥育して肉羊とするトルコ系の牧羊民が,雄を去勢し,適度の大きさにまで成長させたあと,適宜屠殺していくのに対し,地中海地域から中近東にかけての牧羊民は,生後2~3ヵ月の雄を大量に屠殺してしまう。この差がどこから生じているのかはともかくとして,繁殖能力のある雄の頭数を削減するのは以上のような理由による。ユダヤ・キリスト教世界で,過越(すぎこし)の祭ないし復活祭で当年生れの雄の子羊を食べる習慣は,この雄子羊の大量屠殺の習慣に根ざしていると考えられるが,労役用の家畜として雄の利用価値が見いだされる牛に大量屠殺がないのと対照的である。イスラム世界で重用される子羊の毛皮を用いたアストラカンの帽子も,本来的にはこのようにして間引かれた雄子羊の毛皮が用いられている。

 羊は大家畜に比べ,弱くかつ臆病である。オオカミなど野獣に襲われると四散する。牧夫の引導がないと,斜面を上へ上へと進み,風上に移動する習性をもち,ときに独力で幕営地に帰れないことがある。これらの点から,一般に羊は,牧夫による放牧管理の度が高く,人への依存度の高い家畜とみなされている。キリスト教世界で,〈牧夫shepherd(pasteur)〉という語が,過ちを犯す民を教導する〈牧師〉を指す語に転用されているのは象徴的である。ところで,この追随性の高い羊群の行動の統御は,牧夫に付き従い,群れを先導するものを群れにいれ,それをコントロールすることによってよく達成される。その方法として,(1)行動が敏しょうで牧夫の介入に敏感に反応するヤギを群れに数頭入れる,(2)雄なり雌なりの特定個体を幼子段階から穀物などで人付けし,牧夫の後につき従うものに仕立てる,(3)特定雄を去勢し,訓育を与え,牧夫の命令語を理解するものに仕立てるといった方法があり,それらは地域的に異なった分布を示している。

 労力源としての利用度は低くとも,他の生活資源としての用途,つまり乳,肉といった食物として,また毛皮の衣料材としての用途において,羊の重要性は軽視できない。羊Ovis ariesの属名ovisはラテン語で羊を指すが,元来はインド・ヨーロッパ語の基本型uvereに由来し,それは〈覆う〉〈着る〉を意味する。現在でも東欧の山間部の牧夫は羊皮をぬい合わせたマントを着て,露天で雨露をしのいで野宿しているが,防水性をもち柔らかい毛つきの羊皮は,早くからこの地域の重要な衣料材であったと考えてよい。もちろんその後フェルトやじゅうたんの技術が発達するとともに,羊毛の利用法は拡大し,商品化され,古くから奢侈品(しやしひん)交易とむすびつくことになった。中世末イタリア都市,また近世イギリス工業の繁栄も,羊毛織物工業の発達と,その交易による利益に負うところが大であった。他のどの家畜の毛にもまして,羊毛は織物原料にもっとも適し,乳や肉の獲得動機と同程度,ときにそれ以上の動機にもとづいて,羊が飼養された地域も少なくなかった。その証拠に,肉の味や乳産量は犠牲にして,もっぱら良質の毛という観点から育成された改良品種がある。ラテン語で財貨を意味するpecuniaという語は,pecus(羊群)という語からの派生語である。それはちょうど,資本capitalという語が家畜の頭,ひいては頭数を表すcaputという語に由来しているのと似ている。家畜が花嫁代償(婚資)や賠償財として用いられたのは,たんにアフリカなどだけでなく,ヨーロッパ世界でも同じであった。子を産み,乳をもたらし,毎年毛を提供してくれる羊は,まさに利殖を生む動産に匹敵し,インド・ヨーロッパ世界において,pecunia(財貨)の原初形態であったと考えてよいだろう。
牧畜文化
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中東・イスラム社会では,羊は古来から重要な意味をもつ家畜であった。アラビア語で羊,ヤギはまとめてガナムghanamと呼ばれ,雄,雌,子,親にそれぞれ固有の名称がある。毛,皮,肉,乳などの利用のため,牧草地で飼育されている代表的な家畜である。羊飼いの後に体の大きい雄羊または雄ヤギが羊,ヤギの群れを連れ,その後方に牧羊犬がついて移動する光景は中東ではよく見られる。ハディースに〈ガナムはガニーマ(有益)である〉といわれているとおり,ムスリムの生活の支えをなしてきた。前イスラム時代のハニーフ信仰にかかわりをもつコーラン37章107節の文句に〈我らは(アブラハムの)子どもをおおいなる犠牲で贖ってやった〉とあるのは,愛児イサクのために神が親雄羊を現して身代りに供えさせたものと解されており,雄羊は神への供物としては最善のものと信じられてきた。メッカ巡礼においてはもちろんのこと,祈願成就などの際には好んで雄羊がいけにえにされる。イスラム法上,最善の犠牲動物は雄羊であって,生後1年以上経ており,病気をもたないものとされている。犠牲祭(イード・アルアドハー)の礼拝の直後に犠牲にされる羊の肉は3等分され,家族,貧困親族,貧困家族に配分される。これは宗教的義務(ファルド)ではなく,預言者の慣行(スンナ)とみなされ,有能者が行う善行に数えられている。またムスリムはすべての預言者がガナム飼いであったと信じており,ムハンマドも40歳ころ啓示を受けるまではその例外ではなかった。これは〈イスラムには修道生活なし〉といわれるように,〈働いて食を得る〉ことをたてまえとする労働価値観に結びつくとともに,預言者らがもっとも一般的な職業にたずさわった者の中から現れたということで人心を引きつける効果をもってきたものと考えられている。羊肉は肉類の中でもっとも美味なものとみなされている。アラブはラクダの毛は帽子や外衣に,羊毛は衣類,敷物などに用いるのに対し,ヤギの毛はテントに使う。それはヤギの毛がよく雨水をはじくためのようである。

 生活面や宗教信条において高い有用性や価値が認められている反面,社会通念上,羊,ヤギの地位はかなり低いものとなっている。(1)親雄羊kabshは頭髪をふり乱した男,ないしは他人の犠牲者に,(2)雄小羊kharūfは理解力に欠け,妻を守ることに無関心の男に,(3)雌羊na`jaと雌ヤギma`zaは弱者で何事もあきらめた人間に,(4)雄ヤギtaysはがんこで,何かとたてをつき不快な男,または妻の不貞に沈黙しているような男に,それぞれたとえられている。
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羊はラスコー壁画以来多数あらわされてきた。とくに古代イランにおいては,その角が三日月形になっていることからこれを月の動物と考え,聖樹の周囲に対置させる意匠が好んで用いられた。例えば南西イランのスーサ出土の円筒印章にこの例があり,ササン朝美術ではエルミタージュ美術館蔵の〈羊木文銀杯〉や葡萄樹と野羊を配したストゥッコ製の浮彫飾板などがある。羊と樹木を結合したこの意匠は唐朝を通じて日本にももたらされ,正倉院の《羊木﨟纈(ひつじきろうけち)屛風》には樹木の下を堂々と闊歩(かつぽ)する野生の羊があらわされている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒツジ」の意味・わかりやすい解説

ヒツジ
ひつじ / 羊
sheep

哺乳(ほにゅう)綱偶蹄(ぐうてい)目ウシ科ヒツジ属に含まれる動物の総称。この属Ovisは、家畜のヒツジ(メンヨウともいう)O. ariesと、ムフロンO. musimon、レッドシープO. orientalis、アルガリヒツジO. ammon、ビッグホーンO. canadensis、ドールシープO. dalliなど野生のヒツジを含む。なお、英名はシープsheepであるが、雄ヒツジはラムram、雌ヒツジはユーeweとよばれる。

[正田陽一]

特徴

ヒツジ属の仲間はヤギ属Capraに似ていて、両者の間にはタール属Hemitragusやバーラル属Pseudoisなど、半羊とよばれる中間型の動物種もあり区別がむずかしい。しかし、ヒツジの角(つの)は断面が三稜(さんりょう)形、前縁がまっすぐで、多くは後下方に螺旋(らせん)状に曲がる。角は雄にだけあるものや、両性ともにあるもの、ないものなどさまざまであるが、普通、雄のほうがよく発達している。ヤギ属の雄は尾の基部下面に1対の腺(せん)があるが、ヒツジ属にはなく、かわりに眼下腺、鼠径(そけい)腺、蹄間(ていかん)腺があり、この分泌物のにおいが、群れで行動する場合に役だっている。吻(ふん)は狭くて有毛、唇は可動性である。ヤギのようなあごひげはない。尾は野生種では短いものが多いが、家畜種では長いものが多く、なかには寒羊のように脂肪をためた太くて長い尾をもつ品種もある。

 体毛は、野生のヒツジでは粗く短い上毛が全身を覆い、冬季には柔らかい下毛が生えてくるが、メンヨウでは上毛も毛髄を欠いた緬毛(めんもう)に変化し、下毛も春になっても抜け落ちず、一年中伸び続ける。緬毛の表面には細かい鱗片(りんぺん)が屋根瓦(やねがわら)状に並んでいて、圧縮すると互いに絡み合ってフェルトになる。1本の緬毛の太さは、細い毛のメリノーでは直径16マイクロメートルぐらい(90番手(ばんて))、太い毛のリンカーンで54マイクロメートルぐらい(36番手)である。なお、この「番手」は、1ポンド(約450グラム)の毛から560ヤード(1ヤードは約91センチメートル)の糸を巻いたときの、巻き束の数を示す。緬毛は皮脂腺から分泌される羊毛脂(ヨーク)でべとついているから、剪毛(せんもう)すると1枚の毛皮状に刈り取られる。

 頭骨では涙孔が眼窩(がんか)縁の内方に開いている点がヤギ類と異なっている。ヒツジは反芻(はんすう)亜目に属するので、胃は4室に分かれていて、餌(えさ)を反芻する。また、曲がりくねったさまを意味する「羊腸」の語を生んだように、腸管は発達して長く、体長の20倍にも達する。

[正田陽一]

生態

草食性であるが、ヤギがむしろ樹葉を好食するのに対し、地表の若い草をとくに好んで食べる。ウシやウマは長い草を舌で巻き取って食べるが、ヒツジは可動性の上唇を動かしながら下顎(かがく)の門歯と上顎の歯茎でかみ切って、短く刈っていく。このためウシと混牧したり、放牧跡地を利用すると、牧野の有効な利用ができる。群れをつくる習性がきわめて強いので、集団をつくってリーダーに従って行動する。傾斜地では低い所から高いほうへ、風のあるときには風下から風上へと草をはみつつ進む。性質はきわめて温順で、臆病(おくびょう)である。普通、年1回秋に繁殖季節を迎え、雌はこの季節中17日の周期で発情を繰り返す。妊娠期間は147~161日で、春に1~2子を産む。子は生まれたときから毛も生え、目も開いていて、まもなく立ち上がって乳を探し求める。3~4か月で離乳し、2~10歳ぐらいの間、繁殖する。

[正田陽一]

野生のヒツジ


(1)ムフロン 地中海のコルシカ島、サルデーニャ島に野生するヒツジで、ヨーロッパ南部にも分布を広げている。雄には大きな螺旋形の角があり、成熟した雄には背中に白い鞍状斑(あんじょうはん)がある。雌は無角か、あっても小さい。体高70センチメートルぐらいである。

(2)レッドシープ ロシア南部から西アジアに分布する灰褐色のヒツジで、アジアムフロンともよばれ、前者よりやや大形。

(3)アルガリヒツジ 中央アジアから東部モンゴルへかけての山岳地帯に野生する大形のヒツジで、体高120センチメートルにも達する。巨大な螺旋角をもち、パミール高原の亜種はマルコポーロシープの名で有名である。

(4)ビッグホーン 北アメリカ大陸の高山地帯に分布する角の大きなヒツジ。シベリア東部にも1亜種がいる。

(5)ドールシープ カナダのロッキー山脈にすむ白色の野生ヒツジであるが、体型はビッグホーンに似ている。

[正田陽一]

家畜ヒツジの品種

家畜のメンヨウは、前述の野生ヒツジのうち、ムフロン、レッドシープの1亜種ウリアル、アルガリヒツジの3種を馴化(じゅんか)したもので、紀元前8000~前6000年ごろ西アジアで家畜化された。飼養の目的が毛、肉、乳、毛皮と多岐にわたっているので、品種の数も多く1000種を超え、大きさもソーイの約20キログラムからリンカーンの約130キログラムまで幅がある。これらの品種は用途別に大別されるほか、毛の質によって、細毛種、中毛種、粗毛種、長毛種、短毛種と区分される。代表的品種は次のとおりである。

(1)メリノーMerino スペイン原産のスパニッシュメリノーが各国へ輸出され、フランスでランブイエメリノー、ドイツでネグレッティ、エレクトラール、南アフリカ共和国でケープメリノー、オーストラリアでオーストラリアンメリノー、アメリカでアメリカンメリノーを成立させた。メリノー系種はいずれも細毛の毛用種で、雄は有角、雌は無角である。オーストラリアンメリノーはそのなかの代表的な品種で、羊毛の太さによってストロングタイプ(太番手)、メディウムタイプ(中番手)、ファインタイプ(細番手)の3型に分かれている。

(2)サウスダウンSouthdown イギリスのサセックス原産の短毛の肉用種。雌雄とも無角で、四肢は短く、胴体は長方形で充実している。肉質は佳良で、「肉用メンヨウの女王」とよばれ、シュロップシャー、ハンプシャーダウン、オックスフォードダウン、ドーセットダウンなどダウン系種作出の基礎となった品種である。

(3)サフォークSuffolk イギリスのサフォーク県原産の短毛の肉用種で、ダウン系種に属する。顔面と四肢の下部は黒い粗毛に覆われる。体質強健で、早熟、早肥である。

(4)リンカーンLincoln イギリスのリンカーンシャー県原産の肉用種。体は大形で、全身が30センチメートルほどの絹糸状の光沢ある長毛で覆われている。体質は強健であるが、晩熟。

(5)レスターLeicester イギリスのレスターシャー県原産の長毛の肉用種。顔と四肢には白色の粗毛が生えている。ボーダーレスター作出の基礎となった品種である。

(6)ロムニーマーシュRomney Marsh イギリスのケント県原産の肉用種。体質強健で、適応性に富んでいる。とくに湿潤な土地にも耐えることができる。肉質もよい。

(7)ブラックフェイスBlackface イギリスのスコットランドの山岳地帯が原産地。全身粗毛に覆われ、雌雄とも有角。体格は小形であるが優美で、顔面は黒色。体質は強健で、耐寒性も強く、粗飼に耐える。

(8)コリデールCorriedale ニュージーランド原産の毛肉兼用種。毛用のメリノーに、肉用のリンカーン、ロムニーマーシュ、レスターを交配して作出された。体格は中形で、雌雄とも無角。気候風土に対する適応性が強く、第二次世界大戦前の日本のメンヨウはほとんど本種であった。

(9)オストフリージアンOstfriesian ドイツ北東部原産の乳用種。無角の大形品種で、四肢も長い。年700キログラムの乳を出す。

(10)カラクールKarakul 中央アジア原産の毛皮用種。雄のみ有角。生まれたばかりの子ヒツジの毛は黒色で、強く縮れていて美しく、その毛皮はアストラカンの名で珍重される。

(11)寒羊 中央アジア原産の多目的の品種。全身に粗毛と緬毛が混生している。尾は長大で、脂肪が蓄積しており、この脂肪も生産物として利用される。

[正田陽一]

飼養管理

メンヨウは年1回、春に毛を刈り取る。年に2回刈る方法もあり、アメリカ合衆国、アルゼンチン、南アフリカ共和国などの一部で行われているが、産毛量は増えるが毛長が短くなるので有利ではない。剪毛はメンヨウを膝(ひざ)の間に座らせた姿勢で保定し、剪毛鋏(ばさみ)か電気バリカンで腹側から順序よく刈っていく。刈り取った毛皮状の毛をテーブルに広げて、汚れた不良部分を取り除き(スカーティング)、残りを巻き込んでまとめる。剪毛の前日から絶食をさせておくと腸捻転(ねんてん)などの事故が防止できる。ひづめが伸びすぎると腐蹄症に感染しやすくなるので、年に数回削蹄をする。また腐蹄症予防のためには硫酸銅液で脚浴させることも有効である。メンヨウは生後1~2週齢のときに断尾をする。これは後躯(こうく)の羊毛を糞尿(ふんにょう)で汚さぬためと、肛門(こうもん)周辺への外部寄生虫を防ぐためである。肉用の雄は生後10日齢ぐらいで去勢する。去勢すると性質が温和になり、肉質も向上するが、発育の面からはやや不利となる。

[正田陽一]

利用

羊毛はその太さ、長さによって利用方法は異なってくる。もっとも細くて長い毛は梳毛(そもう)用羊毛combing woolとして精紡機にかけて細い毛糸にし、サージ、ギャバジンなどの滑らかな薄手の布地になる。世界でいちばん細美な羊毛を生産するのは、オーストラリア、タスマニア島のメリノーであるとされている。短い毛は紡毛用羊毛clothing woolといい、メルトン、フラノなどの柔らかい布に織られる。サウスダウンなどのダウン系種の毛がこれである。ブラックフェイスなどのイギリス山岳種や、寒羊など中央アジアの粗毛種の生産する粗い毛は、下級羊毛carpet woolとしてじゅうたんの原料毛に用いられる。

 羊肉は繊維が細くて柔らかく消化しやすいが、特有の香気があり、日本ではまだ親しまれていない。また脂肪の融点が42℃と高いため冷食には適さず、烤羊肉(カオヤンロウ=ジンギスカン料理)のような焼肉料理に向いている。羊乳は脂肪率が6~8%と高く、飲用乳のほかバター、チーズの原料乳としても利用される。有名なフランスの青カビチーズのロックフォールチーズは羊乳チーズの代表的なものである。

 羊毛皮はアストラカンのような高級品のほかにも、シベリアのロマノフスキー、中国の蒙古(もうこ)羊などの毛皮が防寒用に使われている。また肉用種の毛皮もムートンの名で敷物に広く利用される。

[正田陽一]

世界の牧羊

牧羊業の形態と土地の価格の間には一定の関係があり、ウクライナ、スペイン、中央アジア、オーストラリア、アルゼンチン、南アフリカ共和国など地価の低い地域では粗放農業が行われ、羊毛生産を目的とした牧羊業が盛んとなるが、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などのように地価が高くなると農業は集約的となり、牧羊業は羊肉生産を中心とするようになる。そして、ドイツ、ベネルックス三国など土地利用が極端に集約化した地域では、牧羊業は存続しえない。世界でもっとも羊毛生産が盛んなのはオーストラリアで、年産5億4600万トン、ついで中国、ニュージーランド、南アメリカ諸国などである(2003)。イギリスも単位面積当りの飼養頭数で比較すると上位にランクされるが、飼育されている品種は肉用種が多い。

 日本の牧羊業は、1875年(明治8)に政府が千葉県三里塚に牧場を開いてメンヨウ飼育の奨励策をとったのが始まりであるが、気候風土が牧羊に適さなかったことと、技術的未熟さとから失敗した。第一次世界大戦後、ふたたび牧羊の重要性が着目され、とくに軍の要請から羊毛の国内自給が強く叫ばれたため、飼養頭数は漸増して1946年(昭和21)には約20万頭に達した。第二次世界大戦後は羊毛の軍需はなくなったものの、食料不足、衣料不足の社会情勢が、草や農業副産物を飼料として肉と毛を自給できるメンヨウ飼育熱をあおり、1957年には飼養頭数は100万頭を超えるに至った。しかしその後、日本の経済が回復し安定するとともに、国外の安価な羊毛が輸入され、頭数は急激に減少し、2004年(平成16)現在は約9600頭が北海道、東北地方を中心に飼われているにすぎない。

[正田陽一]

羊肉

ヒツジの食用の歴史は、人類の歴史からみるとたいへん古い。とくにアジア、ヨーロッパでは家畜としてもっとも古い動物で、重要な食肉であった。『旧約聖書』のなかでも、食用としてよい動物の一つになっている。イスラム教徒は豚肉を忌み、羊肉を主として食べている。中国においても、古代の殷(いん)の時代から羊肉を食べている。また、イスラム教徒の影響もあって、羊肉の料理が好まれている。日本では、明治になってから羊肉が一部で販売された。近年、ニュージーランドやオーストラリアから輸入されているが、一般食肉用よりも畜肉加工品の材料にされるほうが多い。

 羊肉は年齢によって、生後1年未満の子ヒツジの肉をラムlamb、成長したヒツジの肉をマトンmuttonとよんで区別している。ラムはさらに離乳までのミルクラムmilk lambと、離乳後のホゲットhoggetに区分されることがある。マトンとラムでは肉質にかなりの差があり、マトンに比べ、ラムは柔らかく、においも少ない。栄養面は両者に差がなく、ほかの肉と同様、タンパク質のよい給源である。肉質の色は、ラムは淡い赤色で、マトンは濃い赤色である。羊肉の脂肪は含量が豚肉とかわらず、融点は牛脂と同様高い。つまり、加熱して熱い料理として食べるには問題ないが、料理が冷めるとすぐに固まり、口の中でも溶けない。このため羊肉はかならず熱い間に食べなくてはならない。羊脂には特有のにおい成分が含まれているので、脂肪を除くように調理する。たとえば、ジンギスカン料理では、溝のある鉄板を使用し脂肪を除くくふうがされている。羊肉の水炊きも脂肪分が湯に溶け出るので食べやすくなる。羊肉料理のもう一つのポイントはスパイスの使い方である。羊肉特有のくせのあるにおいを消すには、矯臭効果の強いニンニク、ネギ、ショウガ、コショウなどのスパイス、酒やワイン、みそといったものを使うとよい。羊肉の代表的な料理は、中国の烤羊肉(焼肉)、インドネシアのサテ(串(くし)焼き)、トルコなどのシシケバブ(串焼き)などがある。料理法としては、そのほかにステーキ、ソテー、ロースト、みそ煮などがある。

[河野友美・山口米子]

ヒツジと人間

ヒツジはヤギとともに最古の家畜動物であり、新石器時代初頭(前9000年ごろ)のイラクの遺跡ザビ・ケミ・シャニダールではすでに家畜化された遺骸(いがい)が発見されている。この時期は最初の農耕が西南アジアで発生する直前であり、人々は定住に近い生活を始め、従来の狩猟活動に加えて種子植物もかなり利用するようになっていた。このようにヒツジの家畜化は農耕の発生過程とほぼ時期を同じくしており、その後の古代オリエント文明成立の経済的背景をなす一要因ともなっている。当初ヒツジは狩猟動物にかわる食糧源の一つとして肉が利用されたが、しだいに乳の利用のほうが重要になる。古代メソポタミアやエジプトでは紀元前3000年ごろには乳製品がつくられていた。しかし羊毛の本格的な利用は、ずっとあとに発達した。

 今日ヒツジの飼育と利用は、大まかにいえば三つの型に分けられる。オーストラリアやアルゼンチンなどにみられる近代的牧畜、地中海沿岸部などを中心とする農村型牧畜、中央アジア草原地帯、あるいはアラビアやサハラの砂漠周縁部における遊牧である。農村型牧畜の場合にはさらに、季節によって高地と平地のそれぞれかなり離れた放牧地を移動する移牧(トランスヒューマンス)と、村の付近の牧草地を利用する日帰り放牧の2型に細分される。そしてヒツジと人間生活のかかわりが密接なのは、遊牧と移牧の2形態であり、おそらく古来からの伝統的なヒツジの飼育と利用もこのどちらかであったと思われる。

 遊牧の場合、ヒツジのほかにウシ、ラクダ、ウマ、その他の動物もいっしょに飼育される。一般的には動物が食用にされることは少ないが、肉を食べるときにはヒツジが多い。常食はむしろ乳からつくるチーズや発酵乳などの乳製品である。遊牧民の家畜への依存度は高く、毛、皮、骨から排泄(はいせつ)物に至るまで徹底的に利用している。移牧の場合は農村社会との関係が密接で、飼育に携わる牧夫も農民のなかの特定の社会集団とみなすことができ、いわば農村内の分業の形をとっているのである。一般にほかの家畜をいっしょに飼育することはなく、ヒツジだけの集中管理が行われる。

 ヒツジは群れの中に多数の種雄がいると発情期に闘争的となり、群れが混乱するので、しばしば雄は子ヒツジのうちに間引きされる。また種雄を少なくしておけば人間の手で交尾を十分に管理することができる。搾乳の最適時期は子ヒツジの離乳直後なので、雌の出産時期を調節することにより乳製品をつくるための安定した搾乳量も確保される。しばしば子ヒツジの皮が利用されたり、キリスト教の復活祭やユダヤ教の過越祭(すぎこしのまつり)において子ヒツジを食べる習慣は、この雄の間引きと関連している。とくにヒツジはヨーロッパ社会の精神世界において特定の意味をもっている。聖書のなかでキリストは「よき羊飼い」とされているが、これは群生のヒツジが絶えず誘導されて動くことによる。一方、ヒツジには贖罪獣(しょくざいじゅう)のイメージも強い。儀礼や祭礼の犠牲として捧(ささ)げられることが多く、とくに罪悪や災厄を清め運び去る役割を果たすと信じられてきた。キリストも一方ではヒツジに例えられることもあり、殉教者をヒツジで象徴することもあった。

[加藤泰建]

『森彰著『図説 羊の品種』(1970・養賢堂)』『大垣さなゑ著『ひつじ――羊の民俗・文化・歴史』(1990・まろうど社)』『大内輝雄著『羊蹄記――人間と羊毛の歴史』(1991・平凡社)』『未来開拓者共働会議編『まるごと楽しむひつじ百科』(1992・農山漁村文化協会)』『百瀬正香著『羊の博物誌』(2000・日本ヴォーグ社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒツジ」の意味・わかりやすい解説

ヒツジ
Ovis aries; sheep

偶蹄目ウシ科。メンヨウとも呼ばれる。前 6000年頃にはすでに家畜化されていたと考えられている。毛用種,肉用種,毛皮用種,乳用種など用途により品種改良が進み,200以上の品種がつくりだされている。ムフロンが原種といわれている。

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栄養・生化学辞典 「ヒツジ」の解説

ヒツジ

 [Ovis aries]メンヨウをいう.肉を食用にする.

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世界大百科事典(旧版)内のヒツジの言及

【毛皮】より

…中世末期には毛皮のファッション化も進み,貴族や市民上層では絹やビロードの布地に,毛皮の飾りを襟,裾,袖口などにつけることが流行した。これに対し民衆は,ロシアなどの外国産毛皮(テン,カワウソなど)が衣服規制令の対象となっていたこともあって,もっぱら防寒用に国内産の子ヤギ,ヒツジ,ときにはアナグマ,キツネなどの毛皮で裏打ちされた外衣を常用していた。16世紀以来,上流社会で外国産毛皮の需要がますます高まり,新興のロシア帝国使節がヨーロッパの宮廷にみやげとして持参したクロテンなどの毛皮は,40万枚にも達したという。…

【畜産】より

…農業生産は植物生産と動物生産の二つに大別されるが,養蚕を除く動物生産にかかわる農業が畜産である。畜産は家畜飼養を中心にした農業だということになるのであるが,人間生活にとけこんでいる家畜家禽(かきん)のなかには犬,猫,小鳥といった愛玩用の動物も含まれており,畜産という場合はこれらの愛玩用家畜・家禽は含めない。役用に供する,肉にする牛・・鶏・七面鳥,卵をとる,乳を搾る乳牛,毛をとるなど,生産目的に飼養する家畜が畜産の対象家畜である。…

【乳】より

…それぞれの量は,子の成長が早い種類ほど多い。子の体重が生まれたときの倍になるまでの平均日数は,アザラシが5日,アナウサギが6日,イヌが8日,ネコが9日,ヒツジが10日,ブタが18日,ウマが60日であるが,乳汁1l中のタンパク質の量(g)は,アザラシ119,アナウサギ104,イヌ97,ネコ95,ヒツジ70,ブタ37,ウマ20である。乳汁は,子の食物として重要なだけでなく,母親がもつ種々の病原体に対する抗体を子に伝え,乳児が伝染病にかかるのを防ぐ働きがある。…

【動物】より

…動物とは,他の生物を食べて独立生活をする生物の総称で,分類学上,植物界に対して動物界Animaliaを構成する。
【動物と植物】
 動物も植物もその体は,水,無機塩,炭水化物,脂肪,タンパク質からなるが,消耗した成分を補い,新しい組織をつくるなど,生活に必要なエネルギーを得るためには栄養分が必要である。緑色植物は栄養分としての炭水化物を,光のエネルギーを用いた炭酸同化(光合成)によって大気中の二酸化炭素と水からつくり出す能力をもっている(独立栄養)。…

【善き羊飼い】より

…イエス・キリストの象徴的な呼称および図像。〈善き牧者〉ともいう。旧約聖書では,ヤハウェや王が〈牧者〉に,ユダヤの民が〈羊の群れ〉にたとえられる(《エレミヤ書》《エゼキエル書》《詩篇》など)。新約聖書では,キリストは〈私は善き羊飼いである〉(《ヨハネによる福音書》10:1~18)と語った。ここから,キリスト教会では信徒が〈神の羊の群れ〉に,聖職者が〈牧者〉に,またキリストが〈大牧者〉(《ペテロの第1の手紙》5:3~4)にたとえられる。…

※「ヒツジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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