マクミラン(読み)まくみらん(その他表記)David MacMillan

デジタル大辞泉 「マクミラン」の意味・読み・例文・類語

マクミラン(Edwin Mattison McMillan)

[1907~1991]米国の物理学者。サイクロトロンの開発に従事。超ウラン元素ネプツニウムを発見。シンクロトロンの原理も発見し、製作した。1951年、シーボーグとともにノーベル化学賞受賞。

マクミラン(Maurice Harold Macmillan)

[1894~1986]英国の政治家。1957年、保守党内閣の首相となり、英国の威信回復と東西冷戦の緩和に努めた。1963年辞任。政界引退後は出版社マクミランの会長。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「マクミラン」の意味・読み・例文・類語

マクミラン

  1. ( Maurice Harold Macmillan モーリス=ハロルド━ ) イギリスの政治家。一九五七年、保守党内閣の首相となり、イギリスの威信回復と東西冷戦の緩和に努めた。六三年辞任。(一八九四‐一九八六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクミラン」の意味・わかりやすい解説

マクミラン(David MacMillan)
まくみらん
David MacMillan
(1968― )

アメリカの有機化学者。イギリスのスコットランド・ベルズヒル生まれ。アメリカとイギリスの国籍をもつ。1991年グラスゴー大学化学科卒業後、渡米し、1996年カリフォルニア大学アーバイン校で博士号取得。同年からハーバード大学で博士研究員として務めた後、1998年カリフォルニア大学バークレー校で研究者として独立した。2000年にカリフォルニア工科大学に移り、2004年同大学教授、2006年からプリストン大学教授。2010年から2015年まで同大学化学部部長を務めた。

 医薬品、化学製品などを合成する際に欠かせないのが、自らは構造を変えず、化学合成を促進する触媒である。化学物質のうち、右手と左手のように、鏡に映すと同じように見えても、面対称となり実像は重ならないような化合物は「鏡像異性体」とよばれ、どちらか一方は有益だが、他方は生体に有害になることが少なくない。たとえば1957年に開発された睡眠薬の「サリドマイド」は、右手型は催眠性があるが、左手型は胎児の催奇形性があり、障害をもった子供が多く生まれ「サリドマイド禍」として知られる。

 この鏡像異性体のどちらか一方を選択的に合成することを「不斉合成」とよび、それに用いる触媒(不斉触媒)の研究は世界的に進められていた。こうした状況のなか、画期的な不斉触媒を開発したのがマクミランで、その成果を2000年1月に発表した。

 もともと有機金属触媒の研究を進めていたマクミランは、カリフォルニア大学バークレー校に移ると、金属が含まれない有機不斉触媒の研究を本格化させた。1999年まで、不斉触媒は、生体内で作用する酵素と、金属錯体を用いた触媒(金属触媒)しかなかった。何百ものアミノ酸が連なる酵素は、生体内の化学合成にかかわり、生体分子をつくりだすが、人工的につくるのがむずかしかった。一方、金属触媒は人工的に製造しやすいが、湿気や酸素に弱く、産業化する際には大量の重金属を使うため、廃棄の段階で、重金属による環境汚染を起こすなど産業化の足かせになっていた。

 マクミランは、金属触媒の金属部位が、電子を供給して反応を促進させることに着目。金属元素のかわりに、有機物の「イミニウムイオン」にその働きを担わせ、触媒の中の窒素が電子を供給して反応を促すよう設計した。この触媒を、炭素を環状につなげる「ディールス・アルダー反応」で試してみると、不斉合成を行うことができることを確認した。そして、この不斉触媒を「有機分子触媒organocatalysis」と命名。同様に触媒の中の窒素が電子を供給するような、他の有機分子を使った触媒でも、同様に不斉合成を少ない工程で行うことに成功した。

 ほぼ同時期に、ドイツのマックス・プランク石炭研究所のベンジャミン・リストも金属原子を含まない不斉有機触媒を開発し、2000年2月に発表した。

 二人の研究成果の発表以降、不斉有機触媒の研究は広がり、産業界でも化学製品、医薬品、農薬などの製造に幅広く使われるようになった。たとえば、抗インフルエンザ治療薬「タミフル」や、エイズ治療薬、抗うつ剤などの合成で、従来より格段に効率よく、少ない工程で製造されている。

 2004年イギリス王立化学協会が贈るコーデイ・モーガン賞、2007年(平成19)有機合成化学分野で、新しい方法論を開拓した研究者を顕彰する向山(むかいやま)賞、アーサー・C・コープ・スカラー賞、2017年野依(のより)賞、2018年名古屋ゴールドメダル、2019年センテナリー賞(イギリス王立化学協会)を受賞。2021年、新たな有機化学合成に道を開き、「不斉有機触媒の開発」に貢献したとして、ベンジャミン・リストとともにノーベル化学賞を受賞した。

[玉村 治 2022年2月18日]


マクミラン(出版社)
まくみらん
Macmillan Publishers Ltd.

イギリスの総合出版社。1843年に書店から始まった。設立者はスコットランドのアラン島出身のダニエルとアレクサンダーのマクミラン兄弟。教科書、専門書の出版が主体であるが、T・ハーディ、J・R・キップリング、ルイス・キャロル、C・ディケンズといった作家たちの作品も出版し、一般書、児童書の分野でも活躍している。1869年に創刊された自然・科学雑誌『NATURE(ネイチャー)』が現在でも発行されているほか、グローブSir George Grove(1820―1900)の編集による世界的にも有名な『グローブ音楽辞典』(Grove Dictionary of Music and Musicians、全4巻、1878~90)は、その後もほぼ20年ごとに改訂版が出され、2001年以降はオンライン提供が開始されている。また、1899年に出版された『パルグレーブ政治経済辞典』(Palgrave's Dictionary of Political Economy)の改訂版が2001年現在も出版されている。

 マクミラン社は歴史のある国際的な出版グループとして、日本を含めた世界70か国以上で活動を行う。1957年から63年までイギリスの首相を務めた、同社の経営者一家の出であるH・マクミランは、政界引退後マクミラン社会長を務め、同社を大きく発展させた。1990年代に入り、欧米各国で出版社の国際的な合併が進むなかで、マクミラン社は1995年にドイツのホルツブリンク・グループVerlagsgruppe George von Holtzbrinck GmbHに買収され、同グループの傘下企業となった。ホルツブリンク・グループは出版だけでなく、雑誌、新聞、放送を含めた総合マス・メディアのコングロマリット企業である。同系列の出版社には、アメリカのヘンリー・ホルトHenry Holt、セント・マーティンズ・プレスSt. Martin's Pressなどがある。ホルツブリンク・グループの一般書籍・教育出版部門の売上高は21億8000万マルク(1999年、グループ全体の売上げの約53%)。

[青木日出夫]


マクミラン(Edwin Mattison McMillan)
まくみらん
Edwin Mattison McMillan
(1907―1991)

アメリカの物理学者。カリフォルニア州生まれ。カリフォルニア工科大学、プリンストン大学に学び、1932年学位を取得。1934年カリフォルニア大学放射線研究所員となり、1946年同大学物理学教授、1958年には放射線研究所部長。早くからE・O・ローレンスに協力してサイクロトロン開発に従事、1936年人工放射性のC‐14、ついで1940年エーベルソンとともに原子番号93番の超ウラン元素ネプツニウムを発見した。第二次世界大戦中は軍事研究に携わったが、1945年シンクロトロンの原理を発見してその製作にあたった。また人工中間子の創製にも成功した。超ウラン元素の発見により、1951年シーボーグとともにノーベル化学賞を受賞した。

[藤村 淳]


マクミラン(Harold Macmillan)
まくみらん
Harold Macmillan
(1894―1986)

イギリスの政治家。マクミラン出版社の経営者の家に生まれる。オックスフォード大学を卒業後、第一次世界大戦に従軍。1924年保守党下院議員になった。1930年代には、保守党の若手進歩派の代表的人物として経済計画の必要性を唱え、ドイツやイタリアに対する宥和(ゆうわ)政策に批判的態度をとった。第二次世界大戦中は、供給省政務次官や航空相を務めた。1951年チャーチル内閣の住宅相に就任、住宅建設に功績をあげ、ついで国防相、イーデン内閣の外相、財務相を歴任した。スエズ戦争直後、首相の座につき(1957年1月)、スエズ戦争によって低下したイギリスの威信を回復するべく、対米関係の改善を図りながら東西間の緊張緩和外交を展開した。一方、経済の拡大にも努めたが十分に成功せず、1961年ヨーロッパ経済共同体(EEC)への加入を申請した。しかし1963年それが拒絶され、政府の力は著しく低下、同年10月に首相を辞任した。

[木畑洋一]


マクミラン(Sir Kenneth MacMillan)
まくみらん
Sir Kenneth MacMillan
(1929―1992)

イギリスのバレエ振付者。スコットランドのダンファームリンに生まれる。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を卒業してダンサーとして活躍、やがて振付者に転じた。1965年ロイヤル・バレエ団の座付振付師、66年旧西ドイツのベルリン・オペラ・バレエ団の芸術監督となった。70~77年ロイヤル・バレエ団のディレクターを務め、その後首席振付師の地位にあった。代表作に『大地の歌』『マノン』『うたかたの恋』『影の谷』『妖精(ようせい)の接吻(せっぷん)』など。重厚な長編バレエが多い。

[市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクミラン」の意味・わかりやすい解説

マクミラン
MacMillan, David W.C.

[生]1968. ベルズヒル
デービッド・W.C.マクミラン。スコットランド出身のアメリカ合衆国の化学者。フルネーム David William Cross MacMillan。有機化合物触媒として用いて光学異性体エナンチオマー)の生成を誘発する,不斉有機触媒を開発した。この有機触媒の開発は,金属酵素のみが化学反応の触媒として働くとの概念を払拭し,新しい薬剤や材料の迅速な合成を可能にした。さらに,有機触媒は従来の触媒に比べて生分解性や安全性が高いため,環境負荷の小さい研究や開発を行なえるようになった。マクミランはこの画期的な功績により,2021年ノーベル化学賞(→ノーベル賞)をドイツの科学者ベンヤミン・リストと共同で受賞した。
グラスゴー大学で化学を専攻し,学士号を取得。1990年にアメリカ合衆国へ渡り,カリフォルニア大学アーバイン校で博士研究を行なった。博士号取得後の 1996年,ハーバード大学の博士研究員となり,光学異性体の一方を合成する方法の一つ,エナンチオ選択的な不斉合成について研究した。1998年,カリフォルニア大学バークリー校の教授に着任。
バークリー校での研究では,新規反応の開発とエナンチオ選択的合成に主眼を置き,2000年,有機触媒によるエナンチオ選択的なディールス=アルダー反応を発見した。この反応では,金属ではなく有機低分子を用いて特定の光学異性体が生成された。当時,この反応を記述するための新しい用語が必要になったことから,マクミランは「有機触媒反応」 organocatalysisという用語を考案した。同年の初め,リストも独自に,プロリンが不斉触媒反応を促進できることを報告していた。その後もマクミランとリストは,各種の化学反応に利用できる安価で安定な有機触媒を開発した。
2000年,自身の研究室をカリフォルニア工科大学に移し,同大学の教授に就任した。2006年には,プリンストン大学の教授職を引き受け,有機触媒反応の応用が広がっていた化合物,特に医薬品の全合成のための新たな手法について研究を続けた。
2015年エルンスト・シェーリング賞,2017年度野依賞などを受賞。2012年にロイヤル・ソサエティのフェロー,2012年にアメリカ芸術科学アカデミー会員,2018年にアメリカ科学アカデミー会員に選出された。

マクミラン
Macmillan, Harold

[生]1894.2.10. ロンドン
[没]1986.12.29. サセックス
イギリスの政治家。フルネーム Maurice Harold Macmillan, 1st Earl of Stockton。オックスフォード大学ベーリオール・カレッジ卒業。第1次世界大戦に従軍したのち,1919~20年カナダ総督付副官。1924~29,1931~64年保守党下院議員。その間,ネビル・チェンバレン首相の宥和外交を非難するなど保守党内の批判勢力として活躍。1940~42年ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル戦時内閣で供給省政務次官,1942年植民地省政務次官,1945年空軍大臣,1951~54年住宅・地方行政大臣として 30万戸の公営住宅建設を達成。1954~55年国防大臣,1955年外務大臣,1955~57年大蔵大臣。1957年1月,ロバート・アンソニー・イーデンの跡を継ぎ首相となり,英米関係の強化,東西対立の緩和,ポンド危機の解消などに努力した。1962年スカイボルト・ミサイル開発を断念したナッソー協定をアメリカ合衆国のジョン・F.ケネディ大統領と締結。ヨーロッパ経済共同体 EEC加盟交渉の失敗,プロフューモ事件などのあと,1963年10月病気を理由に首相辞任。1964年祖父が設立したマクミラン出版社の会長に就任。1984年伯爵位が贈られた。

マクミラン
McMillan, Edwin Mattison

[生]1907.9.18. カリフォルニア,レドンドビーチ
[没]1991.9.7. カリフォルニア,エルセリト
アメリカの物理学者。カリフォルニア工科大学を卒業,プリンストン大学で学位を取ったのち,カリフォルニア大学に勤務 (1932) ,同大学教授 (1946) 。ローレンス放射線研究所所長 (1958) 。第2次世界大戦中はレーダやソナーの研究,原爆開発にも協力。 1936年炭素 14 ( 14C ) 核,1940年最初の超ウラン元素ネプツニウムを P.エーベルソンと共同で発見。 1945年シンクロトロンの原理を発見,高エネルギー粒子加速への道を開いた。 1951年 G.T.シーボーグとともにノーベル化学賞受賞。

マクミラン
MacMillan, Sir Kenneth

[生]1929.12.11. ダンファームリン
[没]1992.10.29. ロンドン
イギリスの舞踊家,振付師。 1948年サドラーズ・ウェルズ・バレエ団に入り,ダンサーとして活躍。 53年頃から振付を始め,『夢遊病』 (1953) ,『招待』 (60) ,『春の祭典』 (62) ,『ロミオとジュリエット』 (65) ,『マノン』 (74) ,『イサドラ』 (81) などをおもにロイヤル・バレエ団のために振付けた。歴史や宗教音楽を扱った悲劇的な作品が多い。アメリカン・バレエ・シアター,デンマーク王立バレエ団に作品を提供し,ベルリン・オペラ座の専任振付師を経て,70年からロイヤル・バレエ団の芸術監督。 84年からアメリカン・バレエ・シアターでも活動したが,92年ロイヤル・バレエの公演中に心臓発作のため急逝した。

マクミラン
McMillan, Margaret

[生]1860.7.20.
[没]1931.3.29. ハーロー
イギリスの女流教育家。保育学校運動に献身し幼児教育の発達に貢献した。インバネス・ハイスクールを卒業後社会改良の仕事に従事。 1894年にブラッドフォードの教育委員に選ばれてから学童に関心を向け,99年イギリスで初めての学童健康診断を実現させた。 1902年ロンドンで姉のレーチェルと学童クリニックを開き,10年からはデプトフォードでクリニックを運営して成功を収めた。また少年少女のキャンプスクール,五歳児以下の児童のための保育学校も創設した。さらに保育学校の教師養成のためレーチェル・マクミラン・カレッジを設けた。

マクミラン
MacMillan, Donald Baxter

[生]1874.11.10. マサチューセッツ,プロビンスタウン
[没]1970.9.7. マサチューセッツ,プロビンスタウン
アメリカの北極探検家。何回かの北極探検に参加したあと,1913年初めてみずから探検隊を組織。 18年ボードウィン大学人類学教授。その後 28年まで毎年のように北極地方を探検,26年の探検では R.バードが飛行機で北極に達した。 44年には飛行機で北極各地の測量を指揮した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「マクミラン」の意味・わかりやすい解説

マクミラン

英国の舞踊家,振付家。スコットランドのダンファームリン出身。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を経てダンサーとして活躍後,S.ケントンのジャズによる処女作《夢遊病者》(1953年)を発表。初の全幕物《ロミオ(ロメオ)とジュリエット》(1965年)はフォンテインヌレーエフの主演で映画にもなり,その名が世界に広まる。アシュトンの後任として1970年−1977年ローヤル・バレエ団の芸術監督を務める。史実にもとづく《アナスタシア》(1967年,改訂1971年)や《うたかたの恋(マイヤーリンク)》(1978年),A.F.プレボーの小説による《マノン》(1974年)などの大作で,確固とした造型美の中に人間の心理を深くえぐり,物語バレエの表現を大きく拡大した。→春の祭典

マクミラン

米国の物理学者。カリフォルニア工科大学,プリンストン大学で学び,1946年カリフォルニア大学教授。E.O.ロレンスに協力してサイクロトロンの発展に寄与。1936年14C,1940年ネプツニウム,次いでシーボーグと協同でプルトニウムを発見。1945年シンクロトロンの原理を発表,これを具体化した。1951年シーボーグとともにノーベル化学賞。
→関連項目シンクロトロン

マクミラン

英国の政治家。家業のマクミラン出版社取締役を経て1924年保守党下院議員となり,蔵相,国防相等を歴任,1957年首相。経済的繁栄の回復に成功。対米協力体制を強化しつつ冷戦の緩和に努めたが,EEC(ヨーロッパ経済共同体)加盟交渉に失敗し,プロヒューモ事件が起き,1963年辞職。

マクミラン[会社]【マクミラン】

英国の出版社。1843年D.マクミランが創立。教科書のほか文学,科学,法律等の専門書を刊行。《ステーツマンズ・イヤー・ブック》もその出版物の一つ。1964年自然科学系の雑誌を出版する傍系会社を設立した。米国の同名出版社は1896年その支社が独立したもの。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

化学辞典 第2版 「マクミラン」の解説

マクミラン
マクミラン
McMillan, Edwin Mattison

アメリカの核物理学者.カリフォルニア工科大学を経て,プリンストン大学で学位を取得.1935年カリフォルニア大学バークレー校に就職,同校の放射線研究所にも在籍し,のちに所長となった.ウランより重い元素の有無が注目されるなか,かれは中性子をウランに照射し,β放射体を二つ確認した.P. Abelsonの協力を得て,二つのうち,一方がウランの同位体で,他方がその娘元素,両者が似た化学的性質を有することを見いだした.後者がウランより重い93番元素であり,ネプツニウムと命名された(1940年).この元素もβ崩壊することから,94番元素探求がはじまり,G.T. Seaborg(シーボーグ)らとのプルトニウム共同発見へつながった.この業績に対し,1951年Seaborgとともにノーベル化学賞を受賞.1942~1945年の間,ロス・アラモス研究所で,原爆製造に参加し,戦後はシンクロサイクロトロンの原理を発見している.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「マクミラン」の意味・わかりやすい解説

マクミラン
Kenneth MacMillan
生没年:1929-92

イギリスの舞踊家,振付師。サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を経て,ダンサーとして活躍するが,1953年《夢遊病者》で振付師に転じ,以後数多くの作品をつくった。70-71年のシーズン開幕にアシュトンの後任としてローヤル・バレエ団の芸術監督に就任。71年《アナスタシア》で劇的なものを導入,さらに74年に3幕の《マノン》をつくり,A.F.プレボーの小説のバレエ化に成功した。77年芸術監督を辞し,以後ローヤル・バレエ団の首席振付師の地位にある。最近作に《イサドラ》(1981),《オルフェ》(1982)がある。
執筆者:


マクミラン
Maurice Harold Macmillan
生没年:1894-1986

イギリスの保守党政治家。父のマクミラン出版会社の経営から転進,1924年下院に入り,チャーチル,イーデン両内閣のもとに51年住宅・地方行政相,54年国防相,55年外相,同年蔵相を歴任。57年首相となる。対米関係の強化,東西の緊張緩和,ポンド危機の解消に努め,59年の総選挙に大勝したが,EEC加盟交渉に行き詰まり,63年辞職。著書に《中道》(1938),《回顧録》(1966-73)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「マクミラン」の解説

マクミラン
Harold Macmillan

1894~1986

イギリスの政治家。オクスフォード大学卒。1924年以来保守党議員。イーデン内閣の蔵相をへて,57年保守党党首,首相(在任1957~63)となる。63年ヨーロッパ経済共同体(EEC)への加盟申請をド・ゴールによって拒否され,プロヒューモ事件ののちの総選挙を目前に,病気退陣。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「マクミラン」の解説

マクミラン
Harold Macmillan

1894〜1986
イギリスの政治家
著名な出版業者の家に生まれ,オクスフォード大学を出て1924年下院議員に当選。以来,保守党議員として活躍し,1955年には外相・蔵相,57年首相となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマクミランの言及

【出版】より

… ことに,集中が世界的規模で現れている典型的な例は,出版多国籍企業の活躍である。マグローヒル(中核はMcGraw‐Hill,Inc.,アメリカ,1925年創業),ワイリー(中核はJohn Wiley & Sons,Inc.,アメリカ,1807年創業),シュプリンガー(中核はSpringer‐Verlag,ドイツ,1842年創業),エルゼビア(中核はElsevier,オランダ,1880年創業),マクミラン(中核はMacmilan,Inc.,アメリカ,1920年創業),オックスフォード大学出版局(中核はOxford University Press,イギリス,1478年設立)など,全世界的に支店網を張りめぐらす積極的な活躍は,とくに学術情報や教育出版の面で著しいが,世界の新情報秩序を求める声(新世界情報コミュニケーション秩序)がしだいに高まっている今日,これら多国籍出版企業の動向は,後に述べる発展途上国の出版開発ともからんで注目される。
[物流,返品]
 1960年以来の高度経済成長,高等教育の爆発的拡大によって,年間約50億冊の書籍・雑誌を扱うことになった日本の出版流通にとって,物流が大問題となった。…

【マクミラン】より

…イギリスの保守党政治家。父のマクミラン出版会社の経営から転進,1924年下院に入り,チャーチル,イーデン両内閣のもとに51年住宅・地方行政相,54年国防相,55年外相,同年蔵相を歴任。57年首相となる。…

【自転車】より

…この自転車はほとんどの部分は木製で,単純な足けり式であったが,人間よりも速いことを立証したので,イギリスにも渡って流行した。ペダル式の最初の自転車は,39年にスコットランドのマクミランKirkpatrick Macmillanによって発明されたが,これはロッドとクランクによる後輪駆動であった。61年ころフランスのミショーPierre Michauxらはペダル式でクランクが前輪に直接固定されている自転車を発明した。…

※「マクミラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android