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ロシア人の舞踊家,振付師。モスクワに生まれ,1912年モスクワ帝室ボリショイ舞踊学校を卒業。ボリショイ・バレエ団に入るが,ディアギレフに認められ,14年ニジンスキーの後任としてバレエ・リュッスに加わる。チェケッティの教えを受けるが古典バレエ系の踊り手とはならず,演劇性の強い役柄のみを踊った。また芸術全般にわたるディアギレフの指導を受け,有能な振付師に成長した。のちバレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロを中心に活動し,喜劇風の軽い作品を多くつくり,バレエの大衆化,ことにアメリカ各地の公演を通じて,同国のバレエの普及に大いに力があった。最初に交響曲のバレエ化を手がけた振付師の一人でもある。代表作にロッシーニの音楽による《奇妙な店》(1919),ファリャ作曲の《三角帽子》(1919),ベルリオーズ作曲の《幻想交響曲》(1936),オッフェンバックの音楽による《パリの賑い(喜び)》(1938)などがあり,映画《赤い靴》(1948),《ホフマン物語》(1951),《ナポリの饗宴》(1954)の振付を行い,みずから出演している。自伝(1960)がある。
執筆者:薄井 憲二
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…また,史上初めてという10代前半,またはそれに準ずる踊り手,T.トゥマーノワ,バロノワ,リャブーシンスカの3人をベビー・バレリーナとして主役に抜擢し,人気を博したことにある。演目はディアギレフの遺産を踏襲したほか,マシンのシンフォニック・バレエ《前兆》《コレアルティウム》(ともに1933),《幻想交響楽》(1936),《赤と黒》(1939),オッフェンバックの音楽による喜劇的な《パリのにぎわい(よろこび)》(1938),前衛的な《子供の遊戯》(1932),《バッカナール》(1939),バランチンのアブストラクト・バレエ《ダンス・コンセルタント》(1944),フォーキンの《愛の試練》(1936),《パガニーニ》(1939),ニジンスカの《百の接吻》(1935),一座の育てたリシンDavid Lichine(1910‐72)の《卒業舞踏会》(1940)などバレエ史に残る作品を多く初演した。しかし運営面では問題が多く,発足後まもなく創立者の一人ブルムが去り,38年からはマシンが主宰者となる。…
※「マシン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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