コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

マーシャル マーシャル Marshall, Alfred

22件 の用語解説(マーシャルの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マーシャル
マーシャル
Marshall, Alfred

[生]1842.7.26. ロンドン
[没]1924.7.13. ケンブリッジ
イギリスの経済学者,ケンブリッジ学派の始祖。ケンブリッジのセントジョーンズカレッジで数学を専攻し,1865年第2位で卒業して同カレッジのフェローに選ばれた。 77~81年ブリストルのユニバーシティ・カレッジの学長兼経済学教授,83~85年オックスフォードのベリオル・カレッジのフェロー兼経済学講師を経て,85年ケンブリッジ大学教授。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, Benjamin

[生]1767
[没]1835
イギリスの画家。肖像画家 L.アボットに師事。肖像画,動物画も描いたが,特にスポーツ画家として名声を得た。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, George Catlett

[生]1880.12.31. ペンシルバニア,ユニオンタウン
[没]1959.10.16. ワシントンD.C.
アメリカの軍人,政治家。 1901年バージニア士官学校卒業後,職業軍人として,フィリピン,中国などを回った。 39~45年陸軍参謀総長となり,F.ルーズベルトの助言者として第2次世界大戦で活躍し,カサブランカテヘランヤルタポツダム諸会議に出席。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, James Wilson

[生]1810.10.8. ニュージャージー
[没]1885.8.10. カリフォルニア,コロマ近郊
アメリカ,カリフォルニアの開拓者。 1845年7月現在のサクラメントに達し,J.サッターと共同で製材工場の建設を開始。放水路改修の途中 48年1月 24日金塊を発見,これがゴールド・ラッシュの発端となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, John

[生]1755.9.24. ジャーマンタウン近郊
[没]1835.7.6. フィラデルフィア
アメリカの法律家,政治家。独立戦争時には軍隊で活躍,やがて政界で才能を示し,合衆国建国後は連邦の権限を広く認めようとする連邦派に属して活躍,国務長官をつとめた (1800~01) 。のち,連邦派の勢力温存の趣旨から同派所属の第2代大統領 J.アダムズによって第4代合衆国最高裁判所長官に任命された。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, Sir John Hubert

[生]1876.3.19. チェスター
[没]1958.4.17.
イギリスのインド考古学者。ケンブリッジに学ぶ。 1902~28年までインド考古調査局の長官。インダス文明モヘンジョ・ダロ遺跡の発掘 (1922~31) ,北西インドの古代都市タクシャシラー (タクシラ) の発掘 (13~34) で大きな成果をあげた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, Thomas Riley

[生]1854.3.14. インディアナノースマンチェスター
[没]1925.6.1. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,政治家。 1875~1909年インディアナ州で法律家として活躍。 08年民主党員として同州知事に当選。 12年 T.W.ウィルソン副大統領に選ばれ,16年再選され2期つとめた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall

アメリカ合衆国,テキサス州東端の都市。南北戦争中は,ミズーリ州の仮首府がおかれた。テキサスパシフィック鉄道の沿線にあり,農産物,石油,材木の交易,積出し,加工の中心地。ワイリー大学 (1873創立) ,その他の教育施設がある。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

マーシャル
マーシャル
Marshall, Barry J.

[生]1951.9.30. カルグーリー
オーストラリアの医学者。 1974年ウェスタンオーストラリア大学を卒業,ロイヤルパース病院 (1977~84) を経て 1986年アメリカのバージニア大学研究員兼教授,1996年同大学医学研究所教授,1997年母校の教授に就任。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

マーシャル(Alfred Marshall)

[1842~1924]英国の経済学者。古典学派を継承して限界分析の手法を導入、ケンブリッジ学派を創始。著「経済学原理」「産業貿易論」など。→マーシャルのk

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

マーシャル

英国の経済学者,新古典派の創始者。ケンブリッジ大学教授。国民分配分国民所得)を究明して,労働者の分配分である賃金の増加は労働能率を高め,したがって利潤をも増大させるから,長期的には労資の調和がもたらされるという〈有機的成長〉の経済理論を展開した。
→関連項目準地代消費者余剰スラッファ福田徳三

マーシャル

米国の軍人,政治家。第2次大戦中は参謀総長,連合国参謀会議の一員として活躍。1945年―1947年特使として中国におもむき内戦解決に当たったが不調。のち国務長官としてマーシャル・プラン封じ込め政策を立案。

マーシャル

英国のインド考古学者。1902年インド中央政府考古局長官に就任,1913年―1934年の長期にわたるタキシラの発掘,インダス文明を初めて紹介したモヘンジョ・ダロの発掘など,インドの遺跡,文化財の研究に大きく貢献。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

マーシャル Marshall, John

1833-1887 イギリスの港長。
1833年8月5日生まれ。オーストラリアで港長をつとめたのち,明治3年(1870)来日。翌年兵庫県にやとわれ,神戸港の初代港長となる。6年神戸築港を建議(39年着工)。また神戸の気象を観測,天気図を作成した。明治20年8月7日神戸で死去。54歳。

マーシャル Marshall, David Henry

1848-1932 イギリスの数学者。
明治6年(1873)日本政府の招きで来日し,工部省工学寮,のち工部大学校の数学教師となる。14年帰国し,イギリス各地の大学でおしえ,のちカナダにわたる。1932年3月14日死去。84歳。スコットランド出身。エジンバラ大卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

マーシャル

没年:明治20.8.7(1887)
生年:1833.8.5
明治期に来日したイギリス人港長。オーストラリアで港長を勤めたのち,明治3(1870)年9月ごろ横浜に来航,4年2月,兵庫(神戸)港の初代港長につく。6年10月,神戸築港に関する建議を県令に提出するが,大蔵省に却下された。東は旧生田川東堤から,西は湊川北堤に防波堤を造るこの築港案は39年に着工できた。7年2月,上記の範囲にわたる神戸港則案を作り,外務省から認められた。毎朝9時に気圧,気温,風位,風力,天候などを観測し,観測表を作製して,神戸港ばかりでなく神戸気象観測の基礎作りにも貢献した。神戸で没。港長の職は21年にマールマン(1838~1930)が引き継いだ。<参考文献>『神戸市史』『資料御雇外国人

(内海孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

マーシャル【Alfred Marshall】

1842‐1924
イギリスの経済学者。ロンドンに生まれケンブリッジ大学を卒業。1885年から1908年までケンブリッジ大学の経済学教授を務め,A.C.ピグー,J.M.ケインズをはじめとする一群の経済学者を育てて,ケンブリッジ学派を形成した。主著《経済学原理》(1890)はその後30年間にわたって8版を重ね,当時の支配的学説として世界中に影響を及ぼした。スミスリカードからイギリス経済学の正統を引くJ.S.ミルの《経済学原理》(1848)は,1871年にミル自身による最後の改訂版として出版されたが,そのころマルクスの《資本論》(1868),ジェボンズ《経済学の理論》(1871),メンガー《国民経済学原理》(1871)など新しい動向を象徴する著作が現れるようになっていた。

マーシャル【George Catlett Marshall】

1880‐1959
アメリカの軍人,政治家。第2次大戦時の戦争指導に卓越した手腕を発揮した陸軍参謀長(1939‐45)であり,また戦後国際的責任の拡大したアメリカの外交指導を担った国務長官(1947‐49)。第1次大戦時にはヨーロッパ派遣軍の参謀として対独反攻作戦に加わり,戦間期にはJ.J.パーシング陸軍参謀長の副官を務めた。1939年に陸軍参謀長に任ぜられ,陸軍の規模と編成を一新する改革を遂行して,地球的危機に対応する戦時体制を整えた。

マーシャル【John Marshall】

1755‐1835
アメリカの裁判官バージニア州出身。ジョン・アダムズ大統領のもとで国務長官(1800‐01)を務めたのち,アダムズにより第4代の合衆国最高裁判所首席裁判官に任命され,1801年から35年までその地位にあった。その説得力ある議論によって他の裁判官に大きな影響を与え,発足まもない最高裁判所の進路を決定した。マーシャルは連邦派(フェデラリスツ)の立場に立っており,それが憲法の解釈に色濃く反映する。すなわち,彼は,マーベリー対マディソン事件(1803)で,当時の諸説のうち最も広範囲かつ強力な形で違憲立法審査権を樹立した。

マーシャル【John Hubert Marshall】

1876‐1958
イギリスの考古学者。ギリシアクレタトルコなどで発掘調査に従事したのち,1901年にインド考古調査局長官に就任する。チャールサダの発掘(1903)を皮切りに,以後約30年間にわたり,サールナートサーンチータキシラモヘンジョ・ダロハラッパーなど数多くの遺跡の調査,発掘を行う。28年長官を辞すが,34年まで考古調査局内で活動。インダス文明の存在を明らかにしたのをはじめ,歴史時代の考古学,美術史,建築史の分野でも大きな業績をあげ,インド人考古学者の育成にも力をそそいだ。

マーシャル【Thomas Humphrey Marshall】

1893‐1981
現代イギリス社会学社会政策論の代表的研究者。ロンドン生れ。ケンブリッジのトリニティ・カレッジで歴史学を専攻し,ケンブリッジ大学のフェローとなる。1925年から56年まで,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに奉職して,その間,1944年から50年まで社会科学部長,その他多くの要職を歴任した。56年から60年までパリのユネスコの社会科学部長,1959年から62年まで国際社会学会会長と,その活動は広範多岐にわたっている。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

マーシャル【Marshall】

〔Alfred M.〕 (1842~1924) イギリスの経済学者。ケンブリッジ学派の創設者で、部分均衡分析の方法を確立。進化論に触発されて、有機的成長の概念によって経済成長をとらえようとした。著「経済学原理」など。
〔George Catlett M.〕 (1880~1959) アメリカの軍人・政治家。陸軍参謀総長として第二次大戦の戦略を指導。トルーマン政権の国務長官を務め、マーシャル-プランを提唱。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のマーシャルの言及

【外部経済・外部不経済】より

A.マーシャルは,産業の規模が拡大することによりその産業内の企業の生産効率が高まることを外部経済と呼び,企業の規模が拡大することによりその企業自身の生産効率が高まることを内部経済internal economiesと呼んだ。後者は企業の生産技術における規模に関する収穫逓増に対応する。…

【価格弾力性】より

…この財の価格の変化割合と,それによる数量の変化割合の関係を記述・測定するのが価格弾力性という概念である。A.クールノーやJ.S.ミルの著作の中にも同種の考えはみられるが,需要量の%変化(⊿q/q)を価格の%変化(⊿p/p)で除したものを〈弾力性elasticity〉と最初に名づけたのはA.マーシャルである。ある財の需要の価格弾力性は,その財に対するよい代替財が存在するとき大きくなるため,一般には一企業の直面する需要の価格弾力性は,産業全体のそれより大きい。…

【価値】より

…価値は価格にとって内面的inherentもしくは内在的intrinsicであるとされたのである。このいわゆる真実価値real valueの根拠を定めるのが,A.スミスからA.マーシャルにいたる古典派および新古典派の価値論における一つの重要な仕事であった。注意しなければならないのは,このような価値と価格との密接な連関のために,両者がしばしば混同されるということである。…

【経済学原理】より

ケンブリッジ学派の創始者A.マーシャルの主著。1890年刊,第8版1920年刊。…

【経済学説史】より

…彼は学派を形成せず孤立した存在であったといわれるが,その問題意識はある意味でF.Y.エッジワースの《数理心理学》(1881)にひきつがれ,現代の一般均衡理論につながっている。 古典派経済学以後のイギリスの経済学を支配したのは,《経済学原理》(1890)の著者A.マーシャルに始まるケンブリッジ学派であった。マーシャルは,古典派経済学を否定するのではなく一般化するかたちで,効用と費用,需要と供給ははさみの二つの刃のように重要であると論じた。…

【ケンブリッジ学派】より

A.マーシャルを創設者とするケンブリッジ大学中心の経済学の流れをケンブリッジ学派または(狭義の)新古典派経済学あるいは新古典学派,新古典派とよぶ。しかし普通,新古典派というときは,この学派のほかにローザンヌ学派オーストリア学派をも含めた限界分析を基礎とする均衡理論を総称することが多い。…

【市場均衡】より

…この一般均衡理論の創設者の貢献は,彼に先だって複占市場の均衡を分析したA.クールノーのそれとともに,均衡分析の歴史の中で不朽の光を放つものである。 一般均衡理論の簡略型ともいうべき部分均衡理論は,ケンブリッジ学派のA.マーシャルによって多くの問題に有効に援用された。彼は,たんに需要曲線と供給曲線を用いての今日標準的となった分析を有効に活用しただけでなく,安定条件についての独自の分析を行い,時間の長短によって均衡を区別するなど,後の発展のためにも多くの用具を提供した。…

【消費者余剰】より

…A.マーシャルにより,〈消費者がそれなしですますよりはむしろ支払おうとする金額と,彼が実際に支払う金額との差額〉と定義されている経済学上の概念。消費者余剰は,需要曲線の図を用いれば次のように表される。…

【新古典派経済学】より

…元来はA.スミス,D.リカード,J.S.ミルらのイギリス古典派経済学に対して,限界革命以降のA.マーシャルを中心とするA.C.ピグーD.H.ロバートソンらのケンブリッジ学派の経済学を指す。 古典派(古典学派ともいう)と新古典派(新古典学派ともいう)との基本的な相違は,前者が商品の交換価値(〈価値〉の項参照)はもっぱらその生産に投下された労働価値によって決まるとしたのに対して,後者は価値の由来を生産費とならんで需要側の限界効用に求める点にある。…

【比較静学】より

… このように与件の変化の前と後との二つの均衡点を比較することにより,与件の変化の経済的影響について分析するのが比較静学の方法である。部分均衡理論の枠組みの中で比較静学の方法を援用することにより多くの興味深い結論を導いた経済学者としては,ケンブリッジ学派のA.マーシャルの名が知られている。彼の手法は後にJ.R.ヒックスやP.A.サミュエルソンらにより一般均衡理論の枠組みにおいても援用可能な形に拡張されるに至った。…

【インダス文明】より

…インダス川流域を中心に前2300‐前2000年ごろ最盛期をむかえたインドの古代文明。1920年ハラッパーがサハニD.R.Sahaniにより,ついでモヘンジョ・ダロがバネルジーR.D.Banerjiにより発見され,22‐27年にマーシャルJ.Marshallが,27‐31年にマッケーE.J.H.Mackayがモヘンジョ・ダロを,また33‐34年にバッツM.S.Vatsがハラッパーを発掘した。
[王宮・王墓を欠く文明]
 遺跡分布の最大限は,東はデリー付近,西はアラビア海沿岸のイラン国境付近,南はボンベイの北200km,北はシムラ丘陵南端に及び,オクサス河岸にも1ヵ所ある。…

【インダス文明】より

…インダス川流域を中心に前2300‐前2000年ごろ最盛期をむかえたインドの古代文明。1920年ハラッパーがサハニD.R.Sahaniにより,ついでモヘンジョ・ダロがバネルジーR.D.Banerjiにより発見され,22‐27年にマーシャルJ.Marshallが,27‐31年にマッケーE.J.H.Mackayがモヘンジョ・ダロを,また33‐34年にバッツM.S.Vatsがハラッパーを発掘した。
[王宮・王墓を欠く文明]
 遺跡分布の最大限は,東はデリー付近,西はアラビア海沿岸のイラン国境付近,南はボンベイの北200km,北はシムラ丘陵南端に及び,オクサス河岸にも1ヵ所ある。…

【タキシラ】より

…古くはバドラシーラと呼ばれたが,アレクサンドロス大王遠征時代にはすでにタッカシーラないしタクシーラ(タッカ族の町)と言い,ギリシア語やラテン語でタクシラと写された。19世紀にA.カニンガムが調査し,1912‐34年にJ.マーシャルが大規模に発掘してその歴史や文化を明らかにした。当地は,北はカシミール,北西はガンダーラを経て中央アジアや西アジアに通じ,南東はガンジス流域,南はインダス川からアラビア海沿岸に通じる四通八達の地。…

【モヘンジョ・ダロ】より

…モエンジョ・ダーロとも呼ばれる。1922年にバネルジーR.D.Banerjiがハラッパーと同じ遺物を発見したことにより注目され,22‐27年にはJ.マーシャルが,27‐31年にはE.H.マッケイが大規模に発掘し,遺跡の性格を明らかにした。50,65年にも小規模な発掘があったが,地下水位が異常に高く,自然層はおろか,地表下5m以下の遺構状態は全く不明であり,この都市の歴史のごく一部しか判明していない。…

※「マーシャル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

マーシャルの関連キーワード自然淘汰スキー八雲愛人松柏砂山チェリーなんか花菱ぶうぶう

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

マーシャルの関連情報