百科事典マイペディアの解説
→関連項目アルタン・ハーン|ウランバートル|活仏|紅帽派|黄帽派|チベット|チベット[人]|チベット問題|トゥバ|ハルハ|パンチェン・ラマ|飛来峰|仏教|ボン教|密教|モンゴル|モンゴル[人]
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「チベット仏教」のページをご覧ください。
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…村の従来のリーダーは世襲または選出のムルミmulmiまたはムキヤmukhiyaであるが,今日では選挙による行政村の長プラダン・パンチャpradhan pancaの力も増している。宗教面ではラマ教が主体であるが,シャマニズムなども見られ,ヒンドゥー的要素も入っている。【石井 溥】。…
… 一方,西部はモ,ウォンなどガンガダール水系の上流域からなるが,北西国境のすぐ外側をインドとチベットを結ぶ重要交通路が走っていることもあって,北から南下したチベット系住民を主とする。彼らはラマ教の紅帽派に属し,ブータン人口の約60%を占める。ブータン人とは一般に彼らを指し,男は丸坊主頭でひざまでの短い丹前に似た筒袖の着物に帯をしめ,また女はおかっぱ頭で裾の長い着物の上にブラウスをはおっている。…
… チベットには,7世紀にネパール,中国を経由して仏教が伝えられた。8世紀に至って,パドマサンババが密教を移入し,民族宗教であるボン教と習合してラマ教が形成された。9世紀の中ごろ,仏教は迫害を受け一時勢力を失ったが,11世紀ころから復興し,ラマ教が大いに発展した。…
…都城の建築は早くからあったらしいが,ウイグル時代より大きな都城建設がみられ,例えばウイグルのオルド・バリク,遼の上京臨潢府(じようけいりんこうふ),モンゴルのカラコルム等は大規模なものとして知られる。また16世紀以降モンゴリアにラマ教(チベット仏教)が浸透したことから,各地に多くの寺院が建設され,のちにはこれを中心に都市が発達する例も多くみられた。 モンゴリアの遊牧民の宗教は古くはシャマニズムであった。…
※「ラマ教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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