日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルー」の意味・わかりやすい解説
ルー(Wilhelm Roux)
るー
Wilhelm Roux
(1850―1924)
ドイツの動物発生学者。イエナで生まれる。イエナ、ベルリン、ストラスブールの各大学で動物学、医学、哲学を学んだ。イエナ大学ではE・H・ヘッケルに師事した。ブレスラウ大学講師をはじめとしてブレスラウ、インスブルック、ハレ各大学の解剖学教授を歴任した。解剖学、発生学を専門とし、それまでの記載的発生学の枠を超えた因果分析的な実験発生学の立場での研究を提唱し、自らも血管分岐に関する研究などを行った。ルーの名を高めた実験の一つはワイスマンの生殖質説を実験的に確かめるために行われたもので、カエルの2割球の一つを焼灼(しょうしゃく)し、正常胚(はい)を正中線で半分にしたような半胚を得たものである。このように実験によって胚発生の機構を明らかにしようとする学問を発生機構学とよび、1894年には発生機構学のための雑誌『生物発生機構学論文集』を創刊した。この雑誌は現在でもルーの名を冠し『ルー記念発生生物学論文集』の名で刊行されている。主著は『生物体の発生機構学のプログラムと研究法』(1897)、『発生機構学 生物学の新しい一分野』(1905)、『動物と植物の発生機構学の術語考』(1912)など。
[竹内重夫]
ルー(Pierre Paul Émile Roux)
るー
Pierre Paul Émile Roux
(1853―1933)
フランスの細菌学者。パリ大学に学び、1881年同大学で学位を取得。1884年パリのパスツール研究所の助手になったが、当時は、パスツールの狂犬病ワクチン研究が軌道に乗りかけたころであった。狂犬病ワクチンの人体への応用第一例(1885年7月6日注射開始)についての科学アカデミーへの報告の連名を、基礎実験不十分としてルーは拒否したと伝えられるが重要な協同研究者である。1888年エルサンと共同でジフテリア毒素を発見、抗毒素の研究へと発展した。1903年メチニコフと共同で梅毒病原スピロヘータのサル感染実験に成功し、梅毒スピロヘータの病原説が証明された。1904~1918年パスツール研究所長を務めた。
[藤野恒三郎]