ロンドン会議(読み)ロンドンかいぎ(英語表記)London Conference

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロンドン会議
ロンドンかいぎ
London Conference

ロンドンで開かれた国際会議。 (1) 1827~32年 ギリシアの独立をめぐるイギリスフランス,ロシア3ヵ国会議。 (2) 1830~31年 ベルギーの独立をめぐるイギリス,フランス,ロシア,オーストリアプロシア5ヵ国とオランダの会議。 (3) 1864年 シュレースウィヒ=ホルシュタイン問題をめぐるイギリス,フランス,ロシア,オーストリア,プロシア5ヵ国会議。 (4) 1867年 ルクセンブルクの中立保障に関するイギリス,フランス,プロシア,オランダ諸国会議。 (5) 1871年 黒海中立化 (1856年のパリ講和会議承認条項) をめぐる列国会議。 (6) 1912~13年 第1次バルカン戦争講和会議。 (7) 1921年 近東問題に関する列国会議。 (8) 1924年 ドイツ賠償問題をめぐる列国会議 (ドーズ案採択) 。 (9) 1930年 第1回ロンドン海軍軍縮会議。 (10) 1935~36年 第2回ロンドン海軍軍縮会議。 (11) 1936年 スペイン内乱への不介入を討議する列国会議。

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百科事典マイペディアの解説

ロンドン会議【ロンドンかいぎ】

(1)1930年ロンドンで開かれた海軍軍縮会議。日・米・英・仏・伊の5ヵ国が参加したが仏・伊は途中で脱退。主力艦数を英・米各15隻,日本9隻と限定し,補助艦艇の総トン数比を英・米各10,日本7とするロンドン条約を締結。この結果は日本軍部の不満を招き,いわゆる統帥権干犯問題をひき起こし,民間右翼と軍部の結合による超国家主義運動が表面化する契機となった。1935年条約満期に伴う第2次ロンドン会議は日本と英・米の対立で実現せず,軍拡・無条約時代が始まった。(2)1933年世界大恐慌対策の討議のためロンドンで開かれた国際経済会議。67ヵ国が参加したが,米国と西欧諸国との対立によってなんら得るところなく解散。このため経済的国際協調への道は閉ざされ,ブロック経済への道がとられるに至った。
→関連項目海軍加藤寛治関税休戦会議幣原外交ジュネーブ会議若槻礼次郎

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世界大百科事典内のロンドン会議の言及

【ギリシア解放戦争】より

…ロシアはさらにオスマン・トルコとの戦争準備をし,イギリス,フランスはロシアの影響の増大を恐れてそれを阻止しようとしたが,スルタンの好戦的態度によって露土戦争(1828‐29)が勃発,軍事的に大敗を喫したオスマン・トルコはロシアとアドリアノープル条約を締結して,初めてギリシアの自治を承認した。主権国家ギリシアの独立は翌年2月のロンドン会議でイギリス,フランス,ロシア3国によって正式に承認されたが,国境設定など未解決の問題を残した。【萩原 直】。…

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