三木(市)(読み)みき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木(市)」の意味・わかりやすい解説

三木(市)
みき

兵庫県中南部にある内陸都市。1954年(昭和29)三木町と別所(べっしょ)、細川、口吉川(くちよかわ)の3村が合併して市制施行。同年志染(しじみ)村を編入。2005年(平成17)吉川町(よかわちょう)を編入。市域大部分が標高200メートル以下の平野、丘陵台地で、起伏の少ない地形である。ほぼ全域が加古(かこ)川の支流美嚢川(みのうがわ)流域で、樹枝状に小河谷が発達する。神戸からの神戸電鉄粟生(あお)線が東西に走り、沿線の宅地化が急速に進んでいる。三木鉄道が通じていたが、2008年3月に廃止された。南北へは国道175号が走り、427号、428号が通じている。また、山陽自動車道も通じ、三木ジャンクションで神戸淡路鳴門自動車道(こうべあわじなるとじどうしゃどう)と接続する。北部を通る中国自動車道は吉川ジャンクションで舞鶴若狭自動車道を分岐する。古くから中央との関係が深く、細川荘(しょう)は藤原家の荘園であった。中世末期には東播磨(はりま)一円を支配した別所氏が三木城を築いたが、1580年(天正8)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉に攻められ糧道を断たれて滅んだ(三木の干殺(ひごろ)し)。18世紀後半には野道具、大工道具を製造する金物業が発達し、金物の町として知られた。現在も伝統的工具のほか、園芸用具、日曜大工道具を生産して金物産業が製造業生産額の多くを占め、世界各国へ輸出している。鋸(のこ)・鉋(かんな)・鑿(のみ)・鏝(こて)・小刀は「播州三木打刃物」として伝統的工芸品に指定される。近年は各種企業の誘致に努め、工業団地「三木工場公園」が建設されている。農業は酒造米で知られた米作が中心であるが、キク、レタス、ブドウなどの栽培も盛ん。志染地区の修験道(しゅげんどう)の寺・伽耶院(がやいん)は7世紀の創建と伝えられ、江戸初期の本堂、多宝塔、三坂明神社本殿や藤原時代の木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像は国指定重要文化財。三木城跡は上の丸公園となり、金物資料館や市立堀光美術館がある。市内には金物問屋の町並みが残る。面積176.51平方キロメートル、人口7万5294(2020)。

大槻 守]

『『三木市史』(1970・三木市)』『永島福太郎編『三木金物問屋史料』(1978・思文閣出版)』『松村義臣編『ふるさとの想い出写真・明治大正昭和 三木』(1981・国書刊行会)』『『市政50年のあゆみ』(2004・三木市)』


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