三木(読み)ミキ

デジタル大辞泉 「三木」の意味・読み・例文・類語

みき【三木】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「三木」姓の人物
三木清みききよし
三木卓みきたく
三木武夫みきたけお
三木竹二みきたけじ
三木武吉みきぶきち
三木露風みきろふう

さん‐ぼく【三木】

古今伝授の中の3種の木。ふつう「おがたまの木」「めどにけずりばな」「かわなぐさ」をいうが、諸説あって一定しない。→三鳥
罪人の手・足・首にはめる木製の刑具。
生け花で、草物くさものは除き、木だけを3種使うこと。

みき【三木】[地名]

兵庫県南部の市。室町時代には別所氏城下町江戸時代から金物業が発達し、大工道具園芸用具などの製造が盛ん。平成17年(2005)10月吉川町を編入。人口8.1万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「三木」の意味・読み・例文・類語

さん‐ぼく【三木】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 鳥居を構成する三本の横木。
    1. [初出の実例]「鳥居には二柱三木之有〈略〉三木とは、笠木、貫木、嶋木とて三木有。此即戒定恵の三木と云なり」(出典:神道集(1358頃)一)
  3. 古今伝授(こきんでんじゅ)の中の三種の木。普通、「をがたまの木」「めどにけづり花」「かはな草」をいうが、諸説があって一定しない。「をがたまの木」「さがりごけ」「かはな草」とも、「相生(あいおい)の松」「めどにけづり花」「をがたまの木」とも、また、「をがたまの木」「とし木」「めど木」ともいう。
    1. [初出の実例]「御賀玉の樹のこと。古今集には榊のことには有らず、別の木を云ふか。三木の一也」(出典:詠太神宮二所神祇百首和歌(1468頃))
  4. 華道で、いっしょに生けることをきらう松・杉・椿の三種の木。また、草物(くさもの)は除き、木だけを三種用いること。立花では、松・伊吹・檜をいう。〔仙伝抄(1445)〕
  5. 罪人の首と手と足とにはめる木製のかせ。〔漢書‐司馬遷伝〕

三木の語誌

( について ) 「古今和歌集」中の三つの木花草として「三鳥」とともに特定され、「三木三鳥」とも称されて、室町時代の秘伝教説の代表とされていた。何を三木とするかについては、流派ごとに異同がある。


みき【三木】

  1. [ 一 ] 兵庫県南中部の地名。播磨平野の東部、加古川の支流美嚢(みのう)川の流域にある。江戸時代から、のこぎり・のみ・かんななどの大工道具を主とする金物の家内工業で知られる。昭和二九年(一九五四)市制。
  2. [ 二 ] 香川県の東部にあった郡。古くは御木・美貴とも書いた。明治三二年(一八九九)山田郡と合併して木田郡となる。〔二十巻本和名抄(934頃)〕

さん‐ぎ【三木】

  1. 〘 名詞 〙 新潟県、岩手県などで、死者を埋葬した土の上に木、竹を三本くくり合わせて下をひろげて立てたものをいう。かまやくわ、小石などをその中心につり下げる。

みき【三木】

  1. 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「三木」の意味・わかりやすい解説

三木[市] (みき)

兵庫県南部,神戸市北部に隣接する市。2005年10月旧三木市が吉川(よかわ)町を編入して成立した。人口8万1009(2010)。

三木市南西部の旧市。1954年市制。人口7万6682(2000)。市域の大半は丘陵,台地と,加古川の支流美囊(みのう)川がこれらを浸食した樹枝状の河谷からなる。中世末期に別所氏が城を築いて以後城下町として栄えたが,1580年(天正8)豊臣秀吉による包囲ののち落城した。江戸時代に大工道具を中心とする金物業が発達,〈三木金物〉の名で全国に知られた。現在ものこぎり,かんな,のみなどの日本有数の産地であるが,零細業者が多く生産は頭打ちである。しかし神戸に近いため住宅都市化が進み,市域の南半分は神戸市のベッドタウンとなっている。神戸電鉄(1931開通)で神戸市内と結ばれているが,道路は明石市に向かう国道175号線が多く利用されている。近年は,山陽自動車道,本四連絡道(山陽自動車道木見支線)など高速道路が市内を縦横に貫き,交通上の要衝となった。名門ゴルフ場として知られる広野ゴルフ場や大規模保養地〈グリーンピア三木〉などがある。
執筆者:

美囊郡は古く〈みなぎのこおり〉と訓じ,中世には三木と書いて〈みなぎ〉と読ませたが,近世に〈みき〉と転じた。戦国時代末期には別所長治三木城によって東播8郡に覇を唱えた。織田信長に反抗した長治は1578年羽柴(豊臣)秀吉の包囲攻撃に対し20ヵ月間籠城したが糧食が尽きて長治は自刃,士卒の助命を乞うて開城した。秀吉は地子免許を発令して住民を還住させ町場の振興をはかった。太閤検地には町を称し地子免許も確認された。1678年(延宝6)の検地には町惣代2名が江戸に下って直訴,秀吉制札を示して地子免許の特典を持続することができた。その後,地子免許の三木町に木挽や大工職人が定住するようになり,1738年(元文3)三木町で前引鋸(大鋸(おおが))の販売が始まったといわれるが,すでにのこぎりやかんななどの大工道具鍛冶屋が出現したらしい。83年(天明3)には金物仲買問屋が成立,1803年(享和3)には江戸積問屋3軒が選ばれ江戸市場に直結した。鍛冶職は中国地方の製鉄を得て播磨各地で発達したが,大工道具鍛冶は三木町に集結,仲買問屋が発展して特産〈三木金物〉の名があがった。
執筆者:

三木市北東部の旧町。旧美囊郡所属。人口9435(2000)。南は神戸市に接する。加古川の支流美囊川が南西流し,第三紀の丘陵が周囲を囲む。《播磨国風土記》に美囊郡四里の一つとして吉川里の名が出ている。農業が主産業で,特に灘五郷の酒造米山田錦〉の産地として知られ,ピーマントマトなどの野菜の生産も盛んである。1974年に中国自動車道の吉川インターチェンジが開設され,ゴルフ場などのレジャー施設が増加した。また舞鶴若狭自動車道の分岐点にもなっている。いずれも室町期の建築である天津神社本殿,東光寺本堂,歓喜院聖天堂が国の重要文化財に指定されている。
執筆者:


三木[町] (みき)

香川県中部,木田郡の町。人口2万8464(2010)。西は高松市に,南は讃岐山脈を境に徳島県に接する。北半部は讃岐平野東部を占め,新川が北流する。高松琴平電鉄長尾線と県道(長尾街道)沿いに古くからの地方中心であった池戸,平木の市街地が形成されている。近年,高松市近郊の町としてベッドタウン化が進み,香川大学農学部,香川医科大学(現,香川大学医学部)とその付属病院もある。米作を中心にタバコ,野菜,果樹の栽培が盛んであるが,兼業化が進んでいる。木製品,手袋などの製造も行われる。高松自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木」の意味・わかりやすい解説

三木(市)
みき

兵庫県中南部にある内陸都市。1954年(昭和29)三木町と別所(べっしょ)、細川、口吉川(くちよかわ)の3村が合併して市制施行。同年志染(しじみ)村を編入。2005年(平成17)吉川町(よかわちょう)を編入。市域の大部分が標高200メートル以下の平野、丘陵、台地で、起伏の少ない地形である。ほぼ全域が加古(かこ)川の支流美嚢川(みのうがわ)流域で、樹枝状に小河谷が発達する。神戸からの神戸電鉄粟生(あお)線が東西に走り、沿線の宅地化が急速に進んでいる。三木鉄道が通じていたが、2008年3月に廃止された。南北へは国道175号が走り、427号、428号が通じている。また、山陽自動車道も通じ、三木ジャンクションで神戸淡路鳴門自動車道(こうべあわじなるとじどうしゃどう)と接続する。北部を通る中国自動車道は吉川ジャンクションで舞鶴若狭自動車道を分岐する。古くから中央との関係が深く、細川荘(しょう)は藤原家の荘園であった。中世末期には東播磨(はりま)一円を支配した別所氏が三木城を築いたが、1580年(天正8)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉に攻められ糧道を断たれて滅んだ(三木の干殺(ひごろ)し)。18世紀後半には野道具、大工道具を製造する金物業が発達し、金物の町として知られた。現在も伝統的工具のほか、園芸用具、日曜大工道具を生産して金物産業が製造業生産額の多くを占め、世界各国へ輸出している。鋸(のこ)・鉋(かんな)・鑿(のみ)・鏝(こて)・小刀は「播州三木打刃物」として伝統的工芸品に指定される。近年は各種企業の誘致に努め、工業団地「三木工場公園」が建設されている。農業は酒造米で知られた米作が中心であるが、キク、レタス、ブドウなどの栽培も盛ん。志染地区の修験道(しゅげんどう)の寺・伽耶院(がやいん)は7世紀の創建と伝えられ、江戸初期の本堂、多宝塔、三坂明神社本殿や藤原時代の木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像は国指定重要文化財。三木城跡は上の丸公園となり、金物資料館や市立堀光美術館がある。市内には金物問屋の町並みが残る。面積176.51平方キロメートル、人口7万5294(2020)。

[大槻 守]

『『三木市史』(1970・三木市)』『永島福太郎編『三木金物問屋史料』(1978・思文閣出版)』『松村義臣編『ふるさとの想い出写真・明治大正昭和 三木』(1981・国書刊行会)』『『市政50年のあゆみ』(2004・三木市)』



三木(町)
みき

香川県中部、木田(きた)郡の町。1954年(昭和29)平井町と神山(かみやま)、田中、氷上(ひかみ)、下高岡の4村が合併して成立。1956年に井戸村を編入。町名は旧郡名にちなむ。高松琴平(ことひら)電気鉄道長尾線、国道193号、377号が通じる。高松自動車道(高松東道路)の、さぬき三木インターチェンジがある。新(しん)川の上流部の農業の町であるが、近年高松市郊外の住宅地としての発展が著しい。水稲、タバコ、ブドウなどの栽培や、ウシ、ニワトリの飼養が盛ん。とくに養鶏部門の協業化を図る農事組合法人・東山産業は有名である。香川大学農学部・医学部(旧、香川医科大学)、県畜産試験場などが立地し、農業と文教の町を目ざした地域づくりが進められている。1996年(平成8)には県立三木高校が開校した。讃岐(さぬき)百景の一つである嶽山(だけやま)と山大寺(やまだいじ)池、讃岐七富士の一つ白山(しらやま)など景勝地が多い。町の南西部にある虹の滝(こうのたき)は県の自然記念物に指定され、その周辺は夏はキャンプ場としてにぎわう。面積は75.78平方キロメートル、人口2万6878(2020)。

[新見 治]

『『三木町史』(1988・三木町)』


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百科事典マイペディア 「三木」の意味・わかりやすい解説

三木[市]【みき】

兵庫県南部の市。1954年市制。加古川の支流美嚢(みのう)川に沿う中心市街は天正年間まで別所氏の三木城の城下町として発達。神戸電鉄粟生(あお)線,中国自動車道,山陽自動車道,舞鶴若狭自動車道が通じる。江戸期以来の伝統をもつ三木金物で有名な金物工業都市で,大工道具,家庭用金物,園芸用器具を多産,輸出する。周辺は酒造米(山田錦)産地で,花卉(かき)・野菜栽培,乳牛飼育も盛ん。南東部の丘陵地は宅地化が著しく,神戸市のベッドタウンになっている。大規模な保養地グリーンピア三木がある。2005年10月美嚢郡吉川町を編入。176.51km2。8万1009人(2010)。
→関連項目久留美荘

三木[町]【みき】

香川県中部,木田郡の町。南部は讃岐(さぬき)山脈北斜面,中部は低地,北部は丘陵地。米,麦,イチゴを産し,乳牛飼育が盛ん。近年は高松市のベッドタウンとして,宅地化,商業地化が進んでいる。高松琴平電鉄長尾線が通じる。75.78km2。2万8464人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の三木の言及

【参議】より

…令外官の一つ。三木とも書き,宰相,相公,八座(はちざ),やくらのつかさともいう。参議の呼称は〈朝政に参議する〉に由来する。…

※「三木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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