江戸時代の文学の一区分。地域的には京・大坂,時代的には元禄期(1688-1704)を中心とする江戸時代前期をさす。時代はさらに,慶長(1596-1615)ころから寛文・延宝(1661-81)ころまでの啓蒙期と,天和・貞享(1681-88)から元禄期を中心に享保(1716-36)までの発展期に分けられよう。17世紀初頭,印刷技術が輸入され出版文化が開花すると,読者層が町人階級にまで拡大した。しかし,近世文学の担い手たる町人階級はいまだ十分な成熟をみておらず,作者層となったのは前時代の文化を担っていた公卿,武家,僧侶たちであった。代表的作者に浅井了意がいる。それら作者たちによってなされた啓蒙期の小説は〈仮名草子〉と呼ばれ,教化啓蒙的,娯楽的,実用的など種々雑多な内容をもち,新しい時代のいぶきを感じさせるものがある。また,前時代からの和歌,連歌を第一級の文学ととらえ,それに至る段階として〈俳諧〉が松永貞徳らによって唱えられた。発展期に至ってようやく町人作家の誕生をみる。井原西鶴が1682年(天和2)に《好色一代男》を刊行して以降,約100年間上方を中心に行われた小説を〈浮世草子〉という。浮世草子は,仮名草子に色濃く見られた教訓・実用性を超克し,現実の世相をリアルにとらえ,人間性を深くえぐり出した小説である。また,貞徳を祖とする〈貞門俳諧〉の保守的・形式的な性格にあきたらなくなった町人階級は,その反動として現実を自由にいきいきと表現しうる西山宗因の〈談林俳諧〉を生み出した。そして談林の堕落の中,松尾芭蕉は中世的な幽幻余情の精神を旨とする〈蕉風俳諧〉を確立した。芭蕉によってはじめて俳諧も高い芸術性が与えられた。浄瑠璃では,近松門左衛門のそれに以前の古浄瑠璃には見られなかった〈血の通った人間〉が描かれるようになる。彼の人間,社会への認識の深さがそれを裏づけている。西鶴,芭蕉,近松によって黄金期を迎えたといってよい上方文学も,この3人以降は,模倣者は続出しても,本質を継承する者がなく,衰退を見,文学の中心は江戸に移り,明和・安永・天明(1764-89)を中心に新しい文学が生まれてくるのである。
→江戸文学
執筆者:松田 修
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…一般的には江戸時代の文学全般を指すが,狭義にはその地域的特性を考慮して,享保期(1716‐36)を境とし,前半を上方(かみがた)文学,後半を江戸文学と呼ぶ。文字どおり江戸という都市を中心に栄えた文学の意である。…
※「上方文学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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