水源を
古くは
建久三年(一一九二)八月二五日の前掲官宣旨案によると、奈良東大寺領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県南部にある市。加古川の下流に位置し、播磨灘(はりまなだ)に臨む。1950年(昭和25)加古川町と神野(かんの)、野口、平岡、尾上(おのえ)の4村が合併して市制施行。1951年に別府(べふ)町、1955年に八幡(やわた)、平荘(へいそう)、上荘(かみしょう)の3村、1956年に東神吉(かんき)、西神吉の2村と米田(よねだ)町の一部、1979年に志方(しかた)町を編入。2002年(平成14)特例市に移行(2015年施行時特例市に名称変更)。市域は沖積低地と加古川左岸の洪積台地印南野(いなみの)にまたがるが、河道の不安定であった右岸は洪水に悩まされてきた。JR山陽本線が東西に走り、JR加古川線を分岐する。加古川線厄神(やくじん)駅で三木鉄道と接続していたが、同鉄道は2008年3月に廃止された。海岸沿いには山陽電鉄が通る。国道2号と250号が東西に抜けるが、交通量が増え、加古川バイパスがある。また、北部を山陽自動車道が走り、加古川北インターチェンジがある。加古川左岸には早くに聖徳太子の命により鶴林寺(かくりんじ)が建立され、奈良時代にはその北に賀古(かこ)の駅家(うまや)が置かれて西国街道筋の重要な宿駅であった。近世の宿場町は加古川の渡河地点に発達し、河岸は高瀬舟の往来でにぎわった。明治以後は「毛織物と肥料の町」として知られたが、1960年代に入って大規模な埋立てが行われ、白砂青松は消え、神戸製鋼などの大企業が進出した。播磨工業地域に含まれる。住宅建設も増加し、神野団地の建設以後一段と市街化が進み、人口の激増地域となった。JR加古川駅、東加古川駅周辺は市街地再開発が進み、姫路、神戸の中間的商業圏として発達している。文化財も豊富で、鶴林寺には国宝の本堂、太子堂があり、銅造聖観音立像など国指定重要文化財も多い。尾上神社(おのえじんじゃ)は重要文化財の銅鐘と「尾上の松」で知られる。国指定史跡に西条古墳群がある。ブラジルのマリンガ市、ニュージーランドのオークランド市、中国の桂林(けいりん)市とは姉妹都市。面積138.48平方キロメートル、人口26万0878(2020)。
[大槻 守]
『『加古川市誌』全2巻(1953~1971・加古川市)』▽『加古川の文化を語る会編『加古川の昔と今』(1982・加古川文化連盟)』▽『『加古川市史』全9冊(1985~2000・加古川市)』
兵庫県南部を流れて瀬戸内海に注ぐ県下最大の一級河川。延長96キロメートル。支流は篠山(ささやま)川、杉原川、東条川、美嚢(みのう)川など大小130に及び、流域面積は1730平方キロメートル。朝来(あさご)市山東(さんとう)町地区と丹波(たんば)市青垣(あおがき)町地区の境界にある粟鹿山(あわがやま)(962メートル)に発し、氷上盆地を潤して播磨(はりま)に入り、加東(かとう)市の闘竜灘(とうりゅうなだ)でいったん河床が狭まるが、下流では加古川市、高砂(たかさご)市、播磨町に及ぶ広大な三角州を形成している。流路が変化し、水害に悩まされた川であるが、河床勾配(こうばい)が緩やかで、かつては河口の高砂から上流の丹波市本郷まで高瀬舟が盛んに往来した。近世の印南野(いなみの)の開拓には加古川の水が引かれ、現在は農業用水の東条湖、工業用水の平荘湖(へいそうこ)などが築かれ、利用価値はいっそう高まっている。
[大槻 守]
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兵庫県南部,加古川の形成する三角州上に発達した工業都市。1950年加古川町と神野,野口,平岡,尾上の4村が合体,市制。人口26万6937(2010)。歴史は古く,古代には山陽道の賀古駅が置かれていた。現在の市街地は加古川左岸の渡船場として栄えた鎌倉時代以降に発達したもので,江戸時代には本陣が設けられ,宿場町,河港として重要であった。明治に入ると肥料,毛織物の近代工場が立地したが,本格的な工業化は1964年の工業整備特別地域指定以降である。とくに臨海の埋立地(430万m2)には神戸製鋼加古川製鉄所とその関連企業が立地し,一躍県下有数の工業都市に変貌した。また山陽本線の電化や快速電車の延長により神戸の通勤圏に入り,内陸部では公営や民間の住宅団地が相次いで建設された。JR加古川線,山陽電鉄線が通じ,山陽自動車道のインターチェンジがある。市内には聖徳太子創建と伝え,西の法隆寺と呼ばれる鶴林寺のほか,尾上の松で著名な尾上神社があり,北部の丘陵は県立自然公園に指定されている。
執筆者:小森 星児
兵庫県南部,播磨平野東部を南流して瀬戸内海に注ぐ県下第一の川。幹川流路延長96km,全流域面積1730km2。京都府との境の遠阪峠付近から発する佐治川と,篠山(ささやま)盆地の水を集めて西流する篠山川が丹波市の旧山南町で合流して加古川となり,以後杉原川,東条川,美囊(みのう)川などの支流を合わせて播磨灘に注ぐ。中流の西脇市付近までは小盆地群を貫いて流れ,丘陵や段丘の発達した播磨平野に入ると川幅も広がり,下流では広大な三角州を形成する。こう配がゆるやかなため,江戸時代初期から高瀬舟による水運が盛んで,大正年間に山陽本線と福知山線を結んで川沿いに加古川線が開通するまでは,河口の高砂や中流の滝野は農産物の集散地として繁栄した。加古川の水は雨の少ないこの地方では,無数の溜池の水源として貴重であり,また先染の播州織の特産地である西脇市では,杉原川の水が染色に利用された。播磨臨海工業地帯の水源としても重要になっている。
執筆者:小森 星児
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 《旧事本紀》は律令制にもとづく播磨国の成立以前,明石国造,針間鴨国造,針間国造の3国造がいたとする。播磨東部,加古川流域,市川,揖保川流域をそれぞれ勢力範囲としたのであろう。大和朝廷は縮見(しじみ),牛鹿,飾磨,越部などの屯倉(みやけ)や,日下部,矢田部,私(きさい)部,湯坐(ゆえ)部,山部,海(あま)部などの部民を置いて,勢力の浸透をはかった。…
※「加古川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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