山梨県北西部の市。2004年11月須玉(すたま),高根(たかね),長坂(ながさか),白州(はくしゆう)の4町と明野(あけの),大泉(おおいずみ),武川(むかわ)の3村が合体して成立,さらに06年2月小淵沢(こぶちさわ)町を編入した。人口4万6968(2010)。
北杜市南東部の旧村。旧北巨摩(きたこま)郡所属。人口4757(2000)。茅ヶ岳西麓を占める。山麓斜面は江戸中期の朝穂堰の完成とともに開田が進み,米作を主とする農業が展開されてきた。近年,トマト,レタスなどの蔬菜栽培が盛んとなり,果樹栽培,畜産にも力を入れている。特産物の浅尾ダイコンは広く市場に出荷されている。中央自動車道須玉インターチェンジに近く,近郊農業地帯への発展が期待される。村内各地には伝統的な民俗行事が残り,八代家住宅は江戸時代の民家として重要文化財に指定されている。北東部の浅尾原に東京大学宇宙線研究所の観測所がある。
北杜市北部の旧村。旧北巨摩郡所属。人口4016(2000)。八ヶ岳連峰の主峰赤岳南麓の高原を占める。村名は村内の大湧水にちなむ。中心地は谷戸で,第2次世界大戦後,井出原に約150戸の農家が入植し,開拓を進めた。村域の大部分を山林が占めるが,八ヶ岳に発する河川と数多くの湧水を利用して,稲作が行われてきた。また高冷地を生かしてレタス,トマトなどの蔬菜を栽培するほか,近年は洋ラン栽培が盛んになっている。八ヶ岳高原には牧場,草原が広がり,スズラン,ツツジの大群落や,美し森,川俣渓谷,天女山,谷戸城跡など景勝地が多く,1980年代以降,リゾート地として開発が進んでいる。JR小海線が通る。縄文晩期の金生遺跡があり,配石遺構で知られる。
北杜市北西部の旧町。旧北巨摩郡所属。人口5975(2005)。八ヶ岳の南麓,釜無川上流北岸の標高800~1000mの高冷地にあり,長野県に隣接する。古くから交通の要衝として栄え,現在も甲州街道(現,国道20号線),JR中央本線,小海線が通り,中央自動車道小淵沢インターチェンジがある。耕地は古くから水田と桑園に利用されてきたが,近年高原蔬菜,花卉の栽培が盛んになり,酪農も行われている。工業は精密機械を中心に製造品出荷額が伸びている。八ヶ岳高原の入口にあたり,八ヶ岳公園有料道路の開通により(2001年無料開放),観光開発が進む。観音平,大滝湧水,すずらん池などの景勝地がある。
北杜市北東部の旧町。旧北巨摩郡所属。1990年読みを〈すだま〉から〈すたま〉に変更。人口7151(2000)。関東山地西端に位置し,中央部を塩川,西縁を須玉川が南流する。総面積の大半を山林が占める山間地にあるが,須玉川沿いの低地は水田地帯をなし,米作,養蚕が行われる。近年は高冷地野菜,シイタケ,花卉の栽培も盛ん。工場誘致も進められている。塩川上流域の金峰(きんぷ)山,瑞牆(みずがき)山は原生林とシラカバ林が広がる景勝地で,秩父多摩国立公園に属する。増富にはラジウム含有量の多い増富温泉があり,根古屋神社の大ケヤキは天然記念物に指定されている。中央自動車道須玉インターチェンジがある。
北杜市北東部西寄りの旧町。旧北巨摩郡所属。1962年町制。人口9218(2000)。八ヶ岳連峰南東斜面を占め,北は長野県に接する。南部の釜無川に近い低地は主として水田に利用され,中部の念場原,井出原などではトマト,レタスなどの高冷地野菜や果樹の栽培が盛ん。北部の清里高原は集団酪農地に指定され,近代的な酪農経営が行われる。南部一帯には製材,電気器具製造,食品加工などの工場が点在する。JR小海線,国道141号線(佐久甲州街道)が通じ,高山植物の群生する美し森や清里駅(標高1274m)付近は避暑地,観光地として発展している。
北杜市中部の旧町。旧北巨摩郡所属。人口9252(2000)。八ヶ岳南麓にあって,戦国期は武田氏の武将長坂閑斎の領地で,長坂郷とよばれた。北部の高原地帯は第2次大戦後に開拓が進んだ集団酪農地帯で,乳牛の飼育が盛んである。高原野菜の栽培も行われる。南部は古くから米作や養蚕の盛んな地域であるが,近年は野菜やタバコの生産も増えている。道路網の整備により電子部品,カメラ,食品などの工場の進出が著しい。八ヶ岳高原では別荘や観光施設の建設が活発である。穂見神社に筒粥(つつがゆ)行事,若宮神社に稚児舞が伝わる。JR中央本線,小海線が通じ,中央自動車道長坂インターチェンジがある。
北杜市西部の旧町。旧北巨摩郡所属。人口4285(2000)。赤石山脈北部にあたる山地と釜無川上流南岸の低地からなり,西は長野県に接する。江戸時代は甲州道中(現,国道20号線)沿いの宿場町として栄えたが,中央本線(1903年開通)からそれたためさびれた。釜無川沿いの白砂の〈白須(しらす)の松原〉は宗良親王の歌(《李歌集》)で著名。山林が大部分を占め,耕地は少ない。米作,ブドウなどの果樹栽培,畜産が行われ,野菜やシイタケの栽培も増えている。寒天づくりも古くから行われている。西部は南アルプス国立公園に属し,駒ヶ岳がそびえ,中央部の日向(ひなた)山(1660m)一帯は南アルプス巨摩県立自然公園に指定。北端に塩沢温泉(単純泉,30℃)がある。
北杜市南西部の旧村。旧北巨摩郡所属。人口3428(2000)。釜無川南岸,鳳凰山北麓を占め,北を大武川,南を小武川が東流して釜無川に注ぐ。村域の大半が山林であるが,東部の釜無川沿いの低地には水田が開かれている。農業主体であるが,近年米作,養蚕から果樹や野菜の栽培,酪農へと転換が進んだ。南アルプス国立公園の登山口にあたり,大武川の渓流には藪ノ湯温泉(含土類食塩泉,21℃)がある。実相寺の山高神代桜,万休院の舞鶴松はともに天然記念物。釜無川沿いに国道20号線が通じる。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山梨県北西部にある市。2004年(平成16)北巨摩(きたこま)郡の須玉町(すたまちょう)、高根町(たかねちょう)、長坂町(ながさかちょう)、白州町(はくしゅうまち)、明野村(あけのむら)、大泉村(おおいずみむら)、武川村(むかわむら)が合併、市制施行して成立。2006年北巨摩郡小淵沢町(こぶちさわちょう)を編入。北西から北を長野県と接する。西部には赤石山脈北部の駒ヶ岳(2967メートル)、鳳凰三山(ほうおうさんざん)、北部には八ヶ岳、瑞牆(みずがき)山(2230メートル)、金峰(きんぷ)山(2599メートル)など標高2000~3000メートル級の山が聳える。中央を釜無(かまなし)川が東南に流れ、東部では須玉川が釜無川の支流塩川に合流する。JR中央本線、小海(こうみ)線、国道20号、141号が通じ、中央自動車道の須玉、長坂、小淵沢のインターチェンジがある。
八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡の宝庫といわれ、南麓の金生遺跡(きんせいいせき)(国指定史跡)では前期から晩期の住居跡、配石遺構、石棺状遺構、土壙墓(どこうぼ)などが発見されている。古代には朝廷の真衣野牧(まきののまき)、後院領の小笠原牧などがあった。古代末期に甲斐源氏の逸見清光(へみきよみつ)が拠ったと伝える谷戸城跡(やとじょうあと)(国指定史跡)がある。鎌倉時代は釜無川右岸に甲斐武田氏の武川衆が分拠した。守護家武田氏の国内統一後は信濃方面への侵入路となり、武田信虎(のぶとら)が須玉川下流の若神子(わかみこ)に度々布陣している。若神子は甲州道中、信玄の棒道、佐久(さく)往還などの分岐点にあたる。
江戸時代はおおむね幕府領。釜無川沿いに甲州道中が通り、信濃国境に近い教来石宿(きょうらいししゅく)、台ヶ原宿が賑わい、上教来石村の山口に信州口の関門として口留番所があった。佐久往還には若神子宿のほか長沢に伝馬宿、口留番所があった。北部の八ヶ岳山麓は、第二次世界大戦後に開かれた開拓集落が多かったが、近年は別荘や宿泊施設、スポーツ施設などが充実した有数の高原保養地となっている。
主産業は農業。武川米や尾白(おじろ)川流域で作る米は良質米として知られる。レタスなどの高原野菜、日照時間の長さを生かした浅尾ダイコン、リンゴやサクランボなどの果樹、花卉(かき)の栽培も行われている。酪農も盛んで、バルブ、電子部品などの工場も進出している。白州地区には広大な森林を擁するサントリー蒸留所があり、ミネラルウォーター、ウイスキーを生産する。
八ヶ岳山麓一帯は八ヶ岳中信高原国定公園、瑞牆山一帯は秩父多摩甲斐(ちちぶたまかい)国立公園、鳳凰三山一帯は南アルプス国立公園に含まれ、隣接して南アルプス巨摩県立自然公園域がある。景勝地や増富(ますとみ)国民保養温泉地などの温泉にも恵まれ、保養のほかハイキング、登山などに訪れる観光客が多い。面積602.48平方キロメートル、人口4万4053(2020)。
[編集部]
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