原郷(読み)くずはらごう

日本歴史地名大系 「原郷」の解説

原郷
くずはらごう

現宇佐市葛原を遺称地とし、駅館やつかん川西岸低地一帯、明治二二年(一八八九)に成立した四日市村の大部分、および豊川とよかわ村・駅館村の約半分、糸口いとぐち村・八幡やはた村の一部を含む範囲と推定される。宇佐宮領。古代宇佐郡葛原郷(和名抄)を継承する。「宇佐大鏡」によると、当郷は宇佐宮比売神に給与された封戸の庄園化したもので、田数は四一町一反三〇代、うち佃五反・用作七町五反で、内封四郷の一つである辛島からしま郷に包含されていた。仁治二年(一二四一)の散田帳には辛島郷内に含まれ、一三五名であった(「宇佐宮神領地次第案」到津文書)。保延三年(一一三七)七月日の豊前国漆島並清解(樋田文書)に「葛原郷」とある。建暦三年(一二一三)散位漆島宿禰並頼は郷内所在の元里もとさとにあった先祖相伝の私領田畠などを嫡子並弘に譲与(同年八月二四日「漆島並頼処分状」北艮蔵文書)


原郷
くずわらごう

和名抄」宇佐郡一〇郷の一。諸本とも訓を欠く。「太宰管内志」には「久受波良とよむべし」とみえ、「豊前志」は郷域を「葛原村より駅館川までを懸けて、芝原、上田村など惣べて」とみている。現宇佐市葛原は遺称地とみられ、郷域は当郷を継承する中世葛原郷に関する諸史料にみえる地名から、現宇佐市樋田ひだ別符びゆうごう中原なかはる四日市よつかいち・葛原・石田いしだおよび城井じよういの一部と推定される。保延三年(一一三七)七月日の豊前国漆島並清解(樋田文書)に郷名がみえ、保元元年(一一五六)一〇月二七日の大神貞安解状(小山田文書)によると郷内「松延預御用作」などは御装束所検校大神貞安に加給された地であった。


原郷
はらごう

「和名抄」に記載される匝瑳そうさ郡原郷の郷名を継承すると考えられる。中世は千田ちだ庄に属し、現在の多古染井そめい付近に比定される。在地領主としては千葉氏系の原氏が知られる。神代本千葉系図は千葉介常長の子息に原四郎常宗を載せ、同十郎常継・平次常朝・次郎朝秀と継いでいる。その分族には飯篠・大原・佐野・鞍持・岩部・牛尾などの諸氏があり、千田庄内の各地に分布している。元徳三年(一三三一)九月四日の千葉胤貞譲状(中山法華経寺文書)に「千田庄原郷阿弥陀堂職田地七段・在家壱宇」とみえ、千葉胤貞が後生菩提のために中山堂免として養子である大阿闍梨日祐に譲与した相伝所領の筆頭に当郷内の堂職田地があげられている。


原郷
ならはらごう

「和名抄」所載の郷。大和国葛上郡の同名郷の訓注「奈良波良」に従う。所在地については遺存地名もなく、明らかでない。「日本地理志料」がひく「美濃志」は楢は糟の誤りとし、糟原かすはらは現笠原かさはら町に通じるとする。さらに郷域を多治見妻木つまぎ大平おおだいら下石おろし柿野かきの細野ほその曾木そぎ駄知だち(現土岐市)の地域にあてられるとしている。


原郷
はらごう

中世の多田ただ庄を構成する郷村。郷名は近世の上原かんばら村・下原しもばら村に継承される。貞和四年(一三四八)一一月一九日の左衛門尉為政寄進状(多田神社文書)多田院(現川西市)塔御仏修理料所として「原郷地頭給」五段とあり、康正二年(一四五六)に将軍足利義政、同じく永正七年(一五一〇)に義尹、永禄一二年(一五六九)に義昭に多田院領として安堵されているが(同年五月三〇日足利義昭安堵状)、いずれの安堵状も寄進者を高師冬とする。多田院の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文には「原郷東西」とある。永和元年(一三七五)にも「原郷上下」一一二家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂の造営のための棟別銭を納めている(七月二五日諸堂造営棟別銭郷村注文)


原郷
ならばらごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。郷域は梶並かじなみ川の下流左岸の沖積地を中心とする地域、現英田郡美作町楢原上ならばらかみ・中・下付近に推定される。当郷域を中心とする地は英多あいた郡域内において古墳文化の最も発達した地区である。沖積地を見下ろす美作町の丘陵上に金焼山きんやきやま古墳(前方後円墳、全長約三六メートル)上経塚かみきようづか古墳(前方後円墳、全長約四〇メートル)楢原寺山ならばらてらやま古墳(前方後方墳、全長五四メートル)の前期古墳が造営され、後期にも小円墳が多数つくられている。


原郷
かつらはらごう

「和名抄」高山寺本は郷名を欠く。東急本には「加都良波良」と訓を付す。天平一七年(七四五)九月二〇日に出家申請をしている大伴部田次の居所「多度郡藤原郷」(「智識優婆塞等貢進文」正倉院文書)は当郡の古名とされ、藤原ふじわら郷は「続日本紀」延暦八年(七八九)五月一九日条にもみえる。


原郷
ならはらごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに「奈良波良」と訓ずる。「大和志」は「方廃村存」として現御所ごせ市大字楢原ならばらに比定。越智郷段銭算用状(春日神社文書)に「楢原庄十町五段半」とあり、中世には興福寺大乗院方国民楢原氏が出た(御所市の→楢原城跡


原郷
はらごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、ハラであろう。古代の二字政策に従わぬ郷名のせいか、東急本では原栗原、名博本では珠浦原と、記載の前後の郷に紛れているが、これらは転記の誤りで、実態はないものと考えられる。


原郷
はしはらごう

「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本など諸本とも訓を欠く。ハシハラであろうか。比定地も未詳であるが、現君津市蔵玉くらたまなどの一帯、木更津市真里谷まりやつの付近とする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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