同盟(イタリアの政党)(読み)どうめい(英語表記)Lega イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「同盟(イタリアの政党)」の意味・わかりやすい解説

同盟(イタリアの政党)
どうめい
Lega イタリア語

イタリアの急進右派政党。1991年創設、北部の自治を主張する右派政党「北部同盟」として出発。創始者ウンベルト・ボッシUmberto Bossi(1941― )。その後、党首マッテオ・サルビーニMatteo Salvini(1973― )のもとで「同盟」と改称し、2018年の総選挙では第三党へ躍進した。

 第二次世界大戦後始まったイタリア第一共和制では、経済発展が後れた南部地域に対して、地域開発などを名目に膨大な公共投資が行われてきたが、行政の非効率や腐敗のために十分な効果をあげてこなかった。1980年代には、こうした南部優遇措置も背景に税や社会保障負担が高まり、北部や中部地域の独立や自治の強化を主張する新たな政治勢力が浮上する。なかでもベネト同盟は1983年に、ロンバルディア同盟は1987年に、国政に議員を送るまでに成長した。1989年には北中部の自治を主張するこれらの諸勢力が、北部同盟を組織してヨーロッパ議会(欧州議会)選挙に進出した。1991年には、正式に政党として結集する。党首ボッシは、首都ローマを「泥棒」とよぶなどポピュリスト的スタイルで支持を集めた。

 1992年の総選挙では一気に8%余りの票を獲得して有力政党に浮上した。北部では地方政府を握るなど支持基盤を固める。1994年の総選挙以降、中道右派連合に加わり、ベルルスコーニ率いる数次の政権に参加した。1990年代後半には、北部の「パダーニア」地域の独立を主張したが、失敗した。もともと複数の地域勢力の寄り合い所帯としての北部同盟は内部で分裂が拡大し、党勢は一時衰退する。その後、党首ボッシが汚職への批判や内部分裂で失脚すると、マローニRoberto Maroni(1955― )が後を継いだ。

 その後2013年には反ボッシの若手サルビーニが党首に就任した。この前後から、北部の自立よりも連邦制への改革と反移民主義・反EU(ヨーロッパ連合)のアピールに重点を移した同党は支持を急速に伸ばし、フォルツァ・イタリアと並ぶ、あるいは一時はこれをしのぐ中道右派の最有力勢力となった。ただし、北部の自立の姿勢は、ボッシ時代から他の中道右派勢力との間に摩擦を生み、中道右派連合による政権の獲得と維持に影を落としている。

伊藤 武 2018年6月19日]

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