崇高の訳語をもって考えられているのは、近世以後に展開してくる美的範疇(はんちゅう)の一つであるが、その起源は古代の修辞学の用語にある。古典修辞学では三つの文体が区別され、もっとも格調の高い文体をさして高尚体hypsos(ギリシア語)とよんだ。
この概念についての古典的著作は、1世紀ごろ書かれた偽ロンギノスPseudo-Longinos著『崇高論』である。高尚体の文章が往々にして内容のない表面的な誇張に陥っていることをとらえ、著者は、真の「高さ(=崇高)」が、なによりもまず筆者の精神の気高さの表れであるとし、霊感に支えられた天才の力を称揚し、聴き手や読み手の魂を奪う強い感動の効果を語りながら、そのための修辞技法を論じている。この書物が真に古典となったのは、1674年に、フランスの文人ボアローがそのフランス語訳を公にしてからである。フランス語と英語で崇高を表すことになる「sublime」の語をhypsosの訳語として定めたほか、訳に添えた序文においてボアローは、原著者のいう崇高が文体の種類としての高尚体とは異なり、誇張表現ではなく簡潔なことばのなかに映し出された心の偉大さであることを力説した。
[佐々木健一]
このボアローの訳書の影響下に展開される18世紀の崇高論は、決定的に、文体論から美的範疇論へと性格を変え、崇高は重要な美学概念となっていく。その展開に対してまずイギリスが貴重な寄与をなした。一つには、イギリスの文芸評論家たちが、シェークスピアとミルトンの世界を崇高の概念でとらえるのを適切と考え、そこにイギリス文学の独自性をみいだしたということがあり、もう一つには、いち早く自然美に開眼したイギリス人たちがそこに崇高さを認めたということがある。すでに18世紀初頭アジソンは大平原、大海原、山岳などの風景を前にして体験される驚嘆の思いを分析している。崇高の特異性を掘り下げることによって、それを狭義の美と対比し、二つの基本的な美的範疇としてたてたのは、やはりイギリスのE・バークである。彼は美と崇高を快と苦に対応させ、社会性と自己保存本能とに基礎づけた。安全な状態で危険や無限性を知覚するとき感じられるのが崇高である。すでに兆しをみせていたロマン的思潮のなかで、無限性が崇高の本質的契機となる。
[佐々木健一]
バークを踏まえ、美的範疇としての崇高についてのもっとも重要な研究を残したのはカントである。大きさにかかわる数学的崇高と力にかかわる力学的崇高とを区別しながら、その大きさや力がわれわれにはとらえきれないような圧倒的なものであることを崇高の根本性格とした。感性的なもののなかに無限なものを体験する感動が崇高であり、ここにカントは自然と自由の結合の可能性をみた。悲劇詩人シラーは、人間の自由を無限に高める道徳機能を「崇高」に認め、これを悲劇の主人公の体現するものとしてとらえた。このような思想において崇高は悲劇的なものと符合する。また、崇高を美と質的に区別することを斥(しりぞ)けるヘルダーやシェリングの考えは、最高の美を崇高とよんだ伝統的修辞学の概念や現実の用語法とも合致するところがある。崇高は本質的にロマン的な概念であり、19世紀後半以後にはみるべき理論展開はない。
[佐々木健一]
『E・バーク著、中野好之訳『崇高と美の観念の起源』(1973・みすず書房)』▽『カント著、上野直昭訳『美と崇高との感情性に関する観察』(岩波文庫)』▽『カント著、原佑訳『判断力批判』(1965・理想社)』▽『竹内敏雄編『美学事典』増補版(1974・弘文堂)』▽『佐々木健一著「近世美学の展望」(『講座美学Ⅰ 美学の歴史』所収・1984・東京大学出版会)』
古来論議の多い美的範疇の一つ。古代においてギリシア語hypsos(高さ)の意義はさまざま論じられ,《崇高について》(作者はロンギノスに擬せられるが別人。1世紀ごろの著作)では魂を高揚させる価値にまで深められた。この精神的意義を得た〈高さ〉こそ,美学をはじめ倫理や宗教の領分でも見いだされる崇高の概念である。近世ではE.バークが〈崇高とは危険を望見しつつ身の安全を確信できるところに生じる歓喜〉と規定し,これを美と対比させて新たな美的範疇論の進路をひらいた。カントは一時せきとめられた生命力の奔出する感動を崇高に認めて,これを消極的快(美は積極的快)とみなし,仰ぎみて畏怖すべき大自然のとらえ方に応じて〈数学的崇高〉と〈力学的崇高〉の別をたてた。その後もJ.C.F.シラー,ヘーゲル,F.T.フィッシャー,フォルケルトなどの考察がつづき,崇高の一般的特徴として,客観面では対象が直観的把握を超越するほどに絶大で没形式性や没限界性を示すこと,主観面では主体が対象に圧倒されながらも自己を高めるところに快・不快の混合感情たる高揚感の生じることが見定められている。だが今日,形而上学の退潮,政治的・社会的問題の優先,自然科学や工学また心理学の進展という時勢のなかで,崇高論が沈滞していることは否めない。
→悲壮
執筆者:細井 雄介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈ソドムとゴモラの壊滅〉や〈バビロンの崩壊〉など黙示録的情景や,宇宙的規模の幻想,また奇怪なたたずまいの自然の中に展開する文学的主題を,その壮大さや荒涼たる雰囲気を誇張して大画面に描くことを得意とした。このような美意識は,当時のヨーロッパで流行していた〈崇高the sublime〉の美学的観念に合致するものとしてもてはやされ,その作品は国内のみならず,V.ユゴー,T.ゴーティエ,J.ミシュレなど,フランス・ロマン派作家たちの想像力を刺激した。しかし,あまりに文学的な質をもつ彼の芸術はかえって,J.コンスタブル,J.M.W.ターナーらが風景画における近代を構築しつつあったイギリス絵画史に対しては影響力をもちえず,没後は一時忘れられた形であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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