日中貿易[第2次世界大戦後](読み)にっちゅうぼうえき[だいにじせかいたいせんご]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

日中貿易[第2次世界大戦後]
にっちゅうぼうえき[だいにじせかいたいせんご]

日本と中国の貿易関係。第2次世界大戦後,日中両国間の貿易は国交未回復の不正常な関係のもとで行なわれていた。まず 1952年6月,日中民間貿易協定署名によって始まり,1953年10月の第2次協定,1955年の第3次協定によって順調に拡大していった。しかし 1957年11月中国が百花斉放百家争鳴運動から反右派闘争を経て大躍進へと進む激動期を迎え,急進路線へと転換した背景もあり,第4次貿易協定,民間通商代表部の設置については意見の一致をみずに交渉が中断した。1958年3月になって第4次協定が結ばれたが,岸信介内閣の「反中国政策」への非難が高まり,同年 5月長崎国旗事件をきっかけに中国は対日経済断絶の強硬措置をとった。貿易中断のあと同年 8月に中国は対日政治三原則,1960年8月に対日貿易三原則を提示,貿易が再開された(→友好貿易)。1962年11月に廖承志高碕達之助の間で LT貿易覚え書が調印され(→LT貿易),5年間の長期協定で貿易拡大が軌道に乗った。しかし 1965年に入ると,佐藤栄作内閣の「反中国政策」への非難が強まり,中国はプラント輸入拒否などの強硬措置をとった。1967年9月佐藤首相の台湾訪問は中国を刺激し,同年 11月 LT貿易交渉は延期された。1968年3月 LT貿易協定に代わって期限 1年の覚え書協定交渉が妥結以後この貿易と友好貿易によって日中貿易が続けられてきた。しかし,1972年9月の日中関係の正常化(→日中共同声明)とともに,それまでの不規則な貿易関係も正常化された。その後日中貿易は中国の開放政策により順調に発展していったが,1989年の天安門事件による西側諸国の制裁措置の影響から日本の対中輸出は大幅に減少した。しかし制裁の解除,社会主義市場経済政策の採用に中国側が踏み切ったことで 1991年から大幅な進展がみられた。

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