東条 英機(読み)トウジョウ ヒデキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「東条 英機」の解説

東条 英機
トウジョウ ヒデキ


肩書
第40代首相,陸相,内相

生年月日
明治17年12月30日

出生地
東京・青山

出身地
岩手県盛岡市

学歴
陸士(第17期)〔明治38年〕卒 陸大〔大正4年〕卒

経歴
大正8〜10年ドイツ駐在武官、昭和3年陸軍省整備局動員課長、9年歩兵第24旅団長など歴任。10年関東憲兵隊司令官、12年関東軍参謀長、13年陸軍次官となり、カミソリ東条と云われ能吏ぶりを発揮。統制派に属し、皇道派の山下奉文らと常に対立した。15年第2次近衛内閣の陸相に就任、日独伊三国同盟締結、援蔣ルート切断、対南方武力行政などの政策を推進した。第3次近衛内閣でも留任。日米交渉に際し陸軍の強硬論を代表して内閣を倒し、16年首相兼陸相に就任、太平洋戦争開戦の最高責任者となる。同年大将に昇任以後、自ら内相、軍需相、参謀総長を兼任し史上空前の権限を一手に集中したが、19年7月サイパン島が陥落した直後総辞職して予備役となる。敗戦後ピストル自殺を図るが失敗極東国際軍事裁判(東京裁判)において最高の戦争責任を問われ、23年12月23日A級戦犯として絞首刑に処せられた。平成2年戦時の秘書官・鹿岡円平海軍大佐によるメモが「東條内閣総理大臣機密記録」として刊行された。7年には第二次大戦中、陸軍航空本部に対し、日本独自の原子爆弾を極秘で製造するように命じていたことが判明

没年月日
昭和23年12月23日

家族
父=東条 英教(陸軍中将) 息子=東条 輝雄(三菱自動車工業社長) 孫=岩浪 由布子(教育評論家) 東条 英勝(演歌歌手)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「東条 英機」の解説

東条 英機
トウジョウ ヒデキ

昭和期の政治家,陸軍大将 首相;陸相;内相。



生年
明治17(1884)年12月30日

没年
昭和23(1948)年12月23日

出生地
東京・青山

出身地
岩手県盛岡市

学歴〔年〕
陸士(第17期)〔明治38年〕卒,陸大〔大正4年〕卒

経歴
大正8〜10年ドイツ駐在武官、昭和3年陸軍省整備局動員課長、9年歩兵第24旅団長など歴任。10年関東憲兵隊司令官、12年関東軍参謀長、13年陸軍次官となり、カミソリ東条と云われ能吏ぶりを発揮。統制派に属し、皇道派の山下奉文らと常に対立した。15年第2次近衛内閣の陸相に就任、日独伊三国同盟の締結、援蔣ルート切断、対南方武力行政などの政策を推進した。第3次近衛内閣でも留任。日米交渉に際し陸軍の強硬論を代表して内閣を倒し、16年首相兼陸相に就任、太平洋戦争開戦の最高責任者となる。同年大将に昇任。以後、自ら内相、軍需相、参謀総長を兼任し史上空前の権限を一手に集中したが、19年7月サイパン島が陥落した直後総辞職して予備役となる。敗戦後ピストル自殺を図るが失敗、極東国際軍事裁判(東京裁判)において最高の戦争責任を問われ、23年12月23日A級戦犯として絞首刑に処せられた。平成2年戦時の秘書官・鹿岡円平海軍大佐によるメモが「東條内閣総理大臣機密記録」として刊行された。7年には第二次大戦中、陸軍航空本部に対し、日本独自の原子爆弾を極秘で製造するように命じていたことが判明。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「東条 英機」の解説

東条 英機 (とうじょう ひでき)

生年月日:1884年12月30日
昭和時代の陸軍軍人;政治家。太平洋戦争開戦時の首相;陸相;内相
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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