改訂新版 世界大百科事典 「畑作儀礼」の意味・わかりやすい解説
畑作儀礼 (はたさくぎれい)
畑作物の栽培過程に豊穣を願って行う儀礼。日本では水田稲作農業に絶対的価値をおくことが長い歴史を通して推進されてきたために,畑作地域においても水田稲作農業の受容が行われてきた。また諸種の儀礼においても,水田稲作を母体に成立した諸様式の強い影響を受けてきたため,畑作農業独自の儀礼体系が崩されて,断片的な形で伝承されているにすぎないというのが従来の常識であった。しかし第2次大戦後に,日本国内の民俗誌的研究の進展や,国外との比較研究によって,水田稲作に偏した研究への反省が生まれ,そのなかから畑作儀礼を指標とした日本文化の類型的研究が行われるようになり,しだいにその全体像が明らかになってきた。焼畑(やきはた)や切替畑(きりかえばた),さらに常畑地帯における農耕儀礼としての畑作儀礼は,いくつかの特色をそなえているのである。
まず第1に,神観念についてである。畑の神という名称は東北や中部地方の一部に見いだされるが,その他では山の神,地の神などに包含されており,水田稲作における田の神ほど普遍的な存在ではない。ただ注目されるのは,畑作の主要作物である関東以西の麦栽培地帯では,日本に麦をもたらしたのが弘法大師であるという伝説が多く聞かれ,それが儀礼構成の主要素となっている地方がある。第2には,主として焼畑にみられる儀礼であるが,春に山に入るときに里と山との境界で山の神を祭り,秋に山を下りるとき境界で自分の妻と飲食を共にするところが全国の各地に見いだせるのは,平地に住居を移したのちも,山がなお独自の空間として認識されていることを示すものであろう。第3に,新年の予祝(よしゆく)行事はその年の豊作を祈願して行われるが,そのさいに豊作となった作物の理想的な形を模造した粟穂稗穂(あわぼひえぼ)と呼ぶ削掛けを神棚や畑などに飾ることも全国にみられる。また,夫婦が裸になって炉のまわりを回り,〈粟穂が垂れた〉といった唱えごとをすること(〈裸回り〉などという)が,主として中部地方以東に知られていることなどは,畑作に固有の儀礼であったと推定することができる。第4に,麦を中心とした夏作物の収穫期には,その収穫物で食物を調理して盆の仏に供えることが多いが,これも仏教行事と畑作儀礼との結びつきとして注目されるところである。第5に,畑の収穫物である里芋,大根,ゴボウ,大豆(だいず),小豆(あずき),アワ,ソバ,ヒエなどの祭りが,八月十五夜・九月十三夜,10月の亥子(いのこ),11月23日の大師講などに見いだされる。以上の第3,第4,第5とは年間の行事として一貫している場合もあるが,特定の時期の儀礼として限定されることもある。第6に,畑作の開始と終了の両期に,宮座(みやざ)を中心とした行事がみられる。畑作物で調理したものを神に供え,構成員が飲食するのであるが,宮座を二分して組織している場合は,一方が稲作の豊穣,他方が畑作の豊穣を象徴した儀礼構成をとっているのは,畑作から稲作へと移行した共同体の歴史過程を示すものと考えられる。このように,畑作儀礼の研究は,実体としての全貌をとらえようとする段階にあるが,現実には急速に消滅しようとしているので,その調査が急がれるところである。
→農耕儀礼
執筆者:坪井 洋文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報